回答
「実苑君、行きに君に聞いた私の質問の回答は考えてくれたかね?」
レイが前に座わる実苑に声を掛けた。
「どうした。今更回答をどうしようかと考えているのではないだろうね?」
実苑はそう問いかけた男の姿を改めて見る。白い絹の上着に、それと同じ色の細履きを履いている。濃紺の短い外套を羽織、赤い毛地のよく詰め物がされた椅子に足を組んで座っている。
よく発条の効いた馬車は地面の振動を直接には伝えてこないが、それでも微かにおきている上下運動が、黒に近い茶色の髪をわずかに揺らしていた。どこからどう見ても物憂げな貴族そのものという感じだ。
レイは薄笑いを浮かべて、実苑の方をじっと見つめている。何やらよく分からないが、会談とかから戻ってきてからの彼は少しとりとめのない感じだった。いつもと同じようにも見えるし、違うようにも見える。どっちつかずと言った方がいいのかもしれない。
「いえ、頂いた宿題については自分なりの結論は出したつもりです」
実苑は慎重に言葉を選んだ。大した話じゃないが、この手のお遊びで機嫌を損ねられると厄介だ。ただでさえ貴族と言うのはやっかいな奴らなのだ。杯の水をこぼしただけでその侍従の首を飛ばす奴だっている。
「では、この世の主導権が誰のものか君の回答を聞こうじゃないか」
その表情は実苑がいつも見ている少し軽薄な砕けた感じとは違った。その唇には珍しくいつもの薄ら笑いがない。若くして「高の国」を裏から支配するマイン家当主、レイ・マイン、そのものの顔に見えた。
「人です」
「人?」
「はい。民意、総意とでも言った方が正しいのでしょうか? その時の人々の望み、要求、あるいは欲ですね」
「人ね。実苑君、その通りだよ」
レイがさも愉快そうに白い手袋をはめた手を叩いて見せた。
「その時の関心とでも言うべきかもしれないね。食料が足りないときはそれが一番の関心だろうし、女が足りない時はそれが一番の関心だろう。子供が大勢いるのに譲るべき土地も何もなければ、どこかの土地を奪いに行きたくなるだろうしね。結局は世の為政者もそれを無視することなんかできない。為政者も結局はそれに支配されているのさ」
レイはそう言うと、誰も他にはいないのに、まるでひそひそ話でもするかのように、腰を折って実苑の方へ顔を近づけた。
「だけど最近、この世は森とマ者に支配されているから、その支配者を倒さなければいけないと信じている人達に会ってね。少しばかり意見の相違に驚いているところだ」
そう言うと、にやりと笑って元の姿勢に戻った。一体この人達は何の話をして来たんだ?
「主導権の話はさておき、人が森に支配されているという認識は正しいのではないでしょうか?」
実苑の問いかけにレイが首を傾げてみせた。
「そうかな? 我々がのこのこ森に行きさえしなければ、マ者は我々には何もしない。いや関心がないと言った方が正しいのかな。太陽が東から登って西に沈むみたいに、彼らの営みは日々変わることなどない。何かを変えたいとか思いもしていないだろうね」
「そうでしょうね」
「それを支配と呼ぶかね?」
「呼ばないでしょうね」
「そうだよ。彼らは我々を捕まえて土地を耕せとか、あそこに行って、そこに居るやつらを殺して来いとかは言わないだろう? 支配されているのではなく、支配できないから八つ当たりしているだけさ」
確かにこの男の言う通り、森にとって私達はその米蔵の米をちょろまかそうとしてる鼠のようなものだ。
「森そのものは人に対して何も含むものなどないのさ」
そう言うと、レイは内衣嚢から小さな手帳を取り出してそれを開いて見せた。そこには何かの標本のような黒い葉が一枚挟まっている。
「昔、昔、子供の時に兄にせがんで森に連れて行ってもらった時に拾ったものだ。その頃は冒険物のおとぎ話が好きでね。領地の端に小さなとび森があったのだが、そこに行って見たくてたまらなかったのだよ。私にも、大きくなったら自分は冒険者になるんだ何て夢を見ていた時代もあった。信じられるかい?」
「誰にだって、子供の頃の夢の一つや二つぐらいはあるのではないでしょうか?」
その言葉にレイが小さく含み笑いを漏らす。
「さっき君が言った主導権を持つ『人』の森に対する認識だって、子供の頃の僕と大差はない。そこにあるのは分かっているが、日々の暮らしとは関わり合いがない。どうでもいい話しさ。誰もそれが心から憎いとか、殺らないとこっちが殺られるなんて思っちゃいない。それを滅ぼす片棒をかつげと言うのだから、開いた口がふさがらないとはこのことだ」
そう告げると、レイは少しばかりあきれ返った表情をして見せた。だが森が無くなってくれなくても、後退してくれれば人の住める場所は増える。壁の国はもう一杯一杯だ。
「人がまた黒の帝国並みの力を持てば、出来ないこともなさそうな気がしますが?」
「そうかもね。でも奴らでも滅んだぐらいだよ。この女衒の親玉程度の僕に何が出来ると言うんだい?」
「そうでしょうか? 「高の国」のマイン家と言えば、とても有名で力のある家だと思いますが?」
「おや君も上っ面だけのお世辞を言う類の人間かい? あんなおっかない人達とつながっているんだ。家の家業、私の妹達の噂ぐらいは聞いたことがあるだろう?」
「そうですね。でもせいぜいおとぎ話の類ぐらいなものですよ」
「おとぎ話ね。そもそも話と言うものには必ず尾鰭がついて回るものさ。マイン家の人形。傾国の少女。まあ、よくぞ言ってくれたものだよ。君だって鏡で自分の顔を覗いたことはあるだろう」
鏡? 一体何の話だ? 実苑はこころの中で首を捻った。
「たまには使う事もありますけどね」
「そこに映っているのは他の人が見ているものと同じものかな? 実はそこに自分がこうあって欲しいという理想の姿を少しは映してはいないかい。まあ、君の場合はそんなものを感じはしないかもしれないけどね」
レイが実苑に対して片目を瞑って見せる。もしかしたら、また妹の世話の話ですか?
「ある若い女性が居て、彼女は鏡を覗きながら、毎日一生懸命に自分の理想の姿になろうと化粧をしていたとする。知っているかい? その努力たるや並大抵のものじゃないそうだよ」
「私は男性なので実感はないですが、並大抵の努力でないことだけは分かっているつもりです」
レイが唇を尖らせて見せる。
「例え話だからちゃかさないでくれ給え。でもある日、その鏡が変わっていて、それを覗き込んだら化粧をする前に理想とする姿を映していたとする。それを見たら、その女性は今までと同じ努力をするだろうか?」
「まあ、止めてしまいそうですね」
「そうだね。すでにそこにあるのだから、めんどくさい事は止めてしまう。私の妹達はその鏡だよ。めんどくさい事を辞めさせてしまう程度のものだ」
「そういう物ですか?」
「そうだよ。それに鏡を見た時に、そこに事実しか見ようとしない人がいた場合は? そこに理想とする姿を見ても、それが決して本物ではないと分かっている場合は? それに向かって努力を惜しまない人間に対してはどうだろうか?」
「そんな人がいればの話ですが、あまり意味はないでしょうね」
「その通りさ。魔法の鏡なんていらない人にとっては何の意味もない。だから私の妹は昔から客観的事実という奴が大好きだったね」
「だからさ、僕の妹達には何かを変える力なんてものは全くないんだ。そもそも鏡だよ。その人の欲望を写しているにすぎない。それに本当に何かを変える力がある人には何の影響も及ぼさない。せいぜい、堕落すべき人が堕落するのをちょっとだけ早めてあげる程度のものさ。遅かれ早かれ同じことなのだよ」
そこまで一気に告げると、レイは小さく溜息をついてみせた。
「だけどね。先日僕が会ってきた人達は、妹にそれを変える力があると思っているんだ。さらには妹に変えられてしまう程度の人達に、何かを変える力があると信じているんだよ。そこに集まった人たちは私の妹ではとても太刀打ちできそうにない人達ばかりだからね。どれだけ他の人を愚かや蒙昧と思っていても、結局のところ自分を基準に物を考えているのさ。彼らが変えようと思っている相手は、彼らの想像よりはるかに堕落した、何も変える力などない奴らなんだけどね」
結局、人は自分を物差しにしてしか何かを測れないという事か。実苑はレイの説明に納得した。だがレイと自分の物差しもずいぶん違う気がする。
「最初の話にもどろう。この世界で自分の意思で何かを変えようなんて事をするのは人だけなんだ。つまりこの世の主導権を握っているのは人だ。君の答えだよ。結局何かを変えようとしたら、それは人々の考えが変わることなんだ。黒の帝国が森に突撃していったのは、多くの人がマ石を求めたからだ。今もそうだ。というより火傷の傷が癒えてそうなってきたとでも言うべきかな」
黒の帝国が滅んでから300年、再び同じ歴史を繰り返そうとしていると言いたいのだろうか? 今の世は黒の帝国ほどの力はないが、ここ数十年で城砦の力が増大したのは確かだ。壁の国の衰退はそれに連動していると言ってもいい。
「だけど人がそんな物はいらないと思うには、何が必要なんだろうね」
レイが何かの答えを求めるように実苑をじっと見る。
「それは僕の妹達ではないと思うんだけどな」
実苑の中で思考が一つの言葉になろうとしていた。でもまさか……それを意図的に!?
「滅び……」
「おや、口が滑ったね。君は大した人物だよ。やはり君のような人物にこそ、是非に妹達の世話を頼みたい」
「その件はお断りしたつもりですが?」
「その席はすぐに空きがでると思うんだ。だから早急に必要なんだよ」
そう言うと、レイは実苑に向かって、再度片目を瞑ってみせた。




