碧真
「風華さん、男に簡単に抱き着くのは止めなさい。はしたないですよ」
若芭さんの言葉に慌てて碧真さんから離れた。
「すいません」
確かにいきなり抱き着くのは、はしたないかもしれないですが、死んだと思っていた人に会えたのですから許してください。そうだ。抱き着くのは後でもできる。今はそんなことよりも……
「皆さんにお願いがあります」
後ろに下って地面に両手をついた。
「私に先触れを貸していただけませんでしょうか? 城砦にいる私の組の者に、私達が無事でいることを知らせたいのです。それに私の組の大事な人が人質になっています。それを皆で助けに行かないといけません」
頭を地面にこすりつける。一時も無駄になんかできない。これは私達だけの問題じゃない。組の皆の命もかかっている。
「どうかお願いいたします」
「風華さん、それは無理ですね」
碧真さんが私に向かって首を振って見せた。
「碧真さん、私達を保護してもらっていることで、ご迷惑をおかけしていることは分かっています。先触れさえお借りできれば、すぐにでもここを離れて……」
私たちの存在自体がとても迷惑であることはよく分かっています。でも……
「違いますよ。先触れを送ること自体がやってはいけないことなんです」
「どういうことですか?」
だって、皆は私達が人質になっているから手も足も……
「いいですか。この碧真と同様に、風華さんも、実季さんもすでに死んだことになっている人間なんです。そしてあなたの組の者は貴方がまだ生きていて、人質になっていると思っている。ここまではいいですか?」
「はい」
「だけど、貴方が生きているとなれば、それを操ろうとしている者から見て、あなたの組の者は言うことを聞かないとても危険なものになる。つまりすぐに始末されるということです」
始末って、白蓮が、百夜が、皆が殺されるって事!?
「だから貴方の組の者の安全の為にも、貴方はおとなしく死んでいないといけないのです。こっそり知らせるなんてのは無理ですよ。相手は城砦の冒険者達の親玉です」
冒険者たちの親玉って……結社長!でも結社長って、歌月さんの叔父さんだったはずじゃ……。今はそんな余計なことを考えている場合じゃない。白蓮達が頼れないなら……
「分かりました。では別のお願いをさせて頂きます」
「別のお願いですか?」
「どうかお金を貸していただけませんでしょうか? 『高の国』までと、そこから城砦まで戻るための旅費を貸していただきたいのです」
「お金ですか? それに『高の国』までの旅費?」
碧真さんが驚いた顔をして私を見た。
「はい。城砦に残った者たちが無理なら、私達が『高の国』まで行って彼女を救います」
「まあ、何を言い出すかと思えば、貴方たちが救いに行くと言うのですか?」
若芭さんが私に声をかけてきた。
「はい。彼女がひどい目に合う前に必ず救い出します」
若芭さんが私に向かってゆっくりと頭を振って見せると、呆れたような顔をして見せた。
「舞歌と似ていると思ったけど、それはお人良しの部分だけのようですね。あの舞歌でもこんな馬鹿なことを言い出したりはしなかった。それは無謀を通り越して妄想です」
「大司教閣下……」
若芭さんが話に割り込もうとした碧真さんに向かって右手を挙げた。
「あなたは黙っていなさい。そこのお嬢さんと二人で街道筋の旅などしたら、あっさり死ねればまだいいほうですね。最初の峠で人さらいにでも会って、何処かの女郎部屋にでも売られ、死ぬまで男達のおもちゃにでもなるのが関の山と言うところかしら?」
私たちでは力不足なのは分かっている。でもだからって、ここでただ何かが変わるのを待つことなんか出来ない!
「そうかもしれません。どんな目にあっても構いません。救いに行かねばなりません。行かないと私は私じゃなくなります!」
「馬鹿につける薬はないというのは本当ね。あなたは本当にひどい目にあったことがないから、そんな軽口を叩けるのです」
世恋さんが助けを待っているんだ!
「軽口なんかじゃありません!」
「黙りなさい!」
若芭さんの鋭い一言の前に二の句が継げなくなる。そんな私を見て彼女は言葉を続けた。
「あなたに昔話を一つしてあげます。そこの男は私の息子です」
「大司教閣下!」
「黙っていなさいと言ったでしょう!」
碧真さんの呼びかけを遮ると、若芭さんは私の方を向き直った。
「私も妹を守るために、あなたと同じような台詞を吐いた時があります。その結果、私はあなたよりよほど幼い時に男達に監禁され、強姦されて好き放題にされました。そして生まれてきたのがこの子です。誰が父親かも分かりません。それでも私はまだましな方です。この子が生まれる前にそこを逃げ出すことが出来たのですから」
この人が? こんなに凛として上品に見える人が?
「僅かな金や食べ物のために売られる子など、この世の中には吐いて捨てるほどいるのですよ。その子たちがその後どのように生きて、死んでいくのかをあなたは想像することが出来て?」
若芭さんはそこで言葉を切ると、私の顔をじっと見た。私には彼女に返す言葉など何もない。
「この子は施設で育ちました。そうせざるを得なかったのです。再び私がこの子と話をすることが出来たのはもう十分に大きくなってからです。私はありのままをこの子に話しました。その時からこの子は自分の名前を捨てました。そして結社に入って、人を殺す修練を始めたのです。そして私を監禁した男達全員を探し出して、その全員を殺しました」
本当の事なんですか? 思わず碧真さんの顔に視線を向けてしまう。だが彼の表情には何の変化も浮かんではいない。
「この子の父親が誰なのかは分からない。だけどこの子が自分の父親を殺したことだけははっきりしている。この子が自分の名前を捨てた、いや持とうとしないのも、いつも誰かのふりをし続けるのにも理由があるのです。そしてずっと私の為に手を汚し続けている」
若芭さんが、私に向かってため息を一つついてみせた。
「あなたは思っているでしょう? 目的の為には自分がひどい目にあっても仕方がない。それに耐えて見せると。でも本当に分かっているの? あなたは女なのよ。一度ひどい目にあえば、それが望まぬことでも誰かの子を身ごもり生む。その生まれる子にまで、あなたの我儘を押し付けるつもりなの? 私の妹は今は壁の国の女王です。私の目的は果たされました。でもそれはこの子にとっては何の慰めにもなりはしません」
「母さん、言いすぎですよ」
若芭さんがはっとした顔をして碧真さんを見た。
「正直そう呼ぶのはまだ少しはずかしいですね。でも二人を見ていて気が付きました。私はずっとそう呼びたかったんですね。それと私の名前も決めました。これからは母さんと風華さんの前では碧真と名乗ることにします」
「碧真。いい名前ですね。私も二人だけの時にいちいち名前を代えたり、あだ名で呼んだりしなくて済むのはありがたいことです。できれば顔を代えてくるのもやめてくれると、色々と面倒がなくていいのだけど。それにあなたが毎回私を試すふりをするのも、いい加減止めにしてもらいたいものです」
「ははは、子としての母さんへのささやかな反抗ですよ」
そう言うと、碧真さんは私の手をとって椅子に座らせてくれた。
「反抗というものはもっと幼い時にするものです」
若芭さんが少しうんざりした顔で碧真さんに告げた。
「風華さん、私が物心ついて母に会った時には、もう母は『壁の国』の大司教でした。母が私に語った事について、頭で分かっていても、心で納得するのは難しい事でした。色々とあがいてみたり、母の手伝いをしてみたりしても、常にそこには壁があったのです。だけど今日あなたが母さんを前に、啖呵を切って見せた姿を見て、母がその時どうしようとしたのか、何を思っていたのか腑に落ちました」
碧真さんは、そこで私に向かって手を広げて見せた。
「何せ実物を見せてもらったんですからね。納得するしかないですよ!」
若芭さんが私たちを見てくすりと笑った。
「私たちの間に何年もあった隔たりを消してしまうなんて。あなたは、あの山櫂の娘とは思えないわね」
若芭さんは父の知り合い? あれ、若芭さんって壁の国のとっても偉い人だよね。父がそんな偉い人と知り合いだなんて……。そうだ、若芭さんにもちゃんと言っておかないといけない。
「私は養女ですから、父とは直接に血がつながっていません」
私の話に若芭さんが首を傾げて見せた。
「誰から聞いたの?」
「関門に居る父の弟子希望だった元冒険者の方から聞きました。父と母の間に生まれた女の子は、新緑色の目に深緑の髪だったそうです。でも城砦の大人の皆さんは、父が私を娘と言えば私は父の娘だと言ってくれました」
そうか、若芭さんは冒険者じゃない。だからそれでは納得は出来ないのかもしれない。
「そういうことになっているのね」
「はい」
「分かりました」
良かった。どうやら私が養女でも娘として納得してくれたらしい。
「母さん、いや大司教閣下。私は風華さんのお手伝いをしたいと思いますが、お許しいただけますか?」
「えっ!」
碧真さんが私たちを手伝ってくれる? 思わず叫び声をあげてしまった。
「許すも何も、あなた自身の事ですからあなたが決めることです」
「本当ですか? これは閣下を始め私の主の目的に反する行為ですよ。まあ、裏切りと呼ばれる類のものです」
「裏切りね。あの男の欠点は自分が歪んだ信念の持ち主の癖に、他人が打算で動くと思っているところね。だから最後の詰めを誤る。風華さん、あなたが生きているのもそのおかげよ」
若芭さんはそう言うと、私の方をちらりと見た。そうだ。私がここに居られるのは桃子さんの犠牲のおかげだ。決してそれを忘れたりしてはいけない。そして救ってもらった命を無駄にしてもいけない。
「大司教としての責任はあります。ですが私は母としては何もしていない。息子がやりたいという事に口をはさんだりはしません。それにもう私たちの目的のほとんどは達成されているのです。既に成されようとしている事に比べれば、橙の国であの男が覇権が握れるかどうかはとても些細な事なのです」
若芭さんが碧真さんに頷いて見せた。
「あなたも十分に苦しみました。あの男や私の事は気にせずに、ここからはあなたが好きなようにしなさい」
そう言うと若芭さんは碧真さんに微笑んだ。それはとても自然で、そして暖かく感じられる微笑みだ。きっとこれは私の知らない母の微笑みというものなのだろう。
* * *
「実季さん、起きてください」
実季さんの瞼がかすかに動いたかと思ったら、その下から茶色い瞳が現れた。その瞳に私の姿が映る。
「お姉さま……生きてる!」
彼女は飛び起きると私に思いっきり抱き着いた。私も彼女の体をしっかりと抱きしめる。
「良かった、本当に良かった……もうだめかと……」
彼女の体の小さな震えが、こみあげてくる嗚咽が、その腕から私の体に、そして心に伝わる。
「うん、実季さん。私たちはまだ生きているよ」
私の頬にも温かいものが流れる。
「桃子さんは!彼女はどこです!?」
実季さんが思い出したように叫ぶと、私の体から離れて辺りを見回した。右手は腰のあたりを動いている。そうか、実季さんはまだ桃子さんに襲われた時までしか知らないのか……
「桃子さんは私達を逃がしてくれたの。でも遠くにいってしまった」
もう一度、実季さんの体を抱きしめる。
「遠くに……ですか……」
「うん。だから私たちは生きている人を救いに行く」
「世恋さんですね」
流石は私の弟子だ。分かってくれている。
「そうよ。『高の国』まで世恋さんを救いに行く。一緒についてきてもらえるかな?」
「はい、お姉さま」
実季さんが体を離して私の顔を覗き込んだ。
「私は弟子ですよ。簡単にはお姉さまから離れたりはしません」
頼りない師匠だけどね。でもあなたがいてくれて本当に良かった!
「では私の愛すべきお弟子さん。世恋さんを助け出して一緒に女子会をしましょう!」
今度は実季さんの恋話ですよ!




