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軍隊

 知良(ちりょう)は、塊子爵領家の長男で年もすでに20代半ばをとうに超えていた。ここのような田舎領地ではあと少しして30に手が届くようになれば家督を譲られてもおかしくはない年だ。


 小さい時の知良は線が細く、幼少の時には年子の弟の知念(ちねん)に喧嘩でまけるようなところがあったが、今では彼の方が父や弟より頭半分大きくたくましい青年に育っていた。


 父に似て年齢にしては若干薄毛なのは残念だが、父譲りの知性を感じる瞳と、母譲りの素朴な笑顔は領民からも親しみをこめて、「領主様のしっかりもののぼっちゃん」と呼ばれている。


 彼としてはこの年で「ぼっちゃん」はやめてほしいと思っているのだが……。


 だが彼の見かけと中身は少し違っていて、彼の夢は内地に行き軍の士官となり、勲章をもらって宮廷でどこかの貴族の末妹あたりと浮名を流すこと、そんな夢想家じみたところがあった。


 弟の方が見かけは天真爛漫で軽目に見えるが、父の手伝い等をきちんとやるしっかり者だ。つまるところ人はその人に自分がそうあってほしいという姿を見るということだろうか?


 表面上はこの戦を嘆く大人達に同調してはいたが、内心では若者らしい野心、この戦で辺境伯領に「知良」という勇将がいることを復興領全体に、いや内地までも響かせるつもりでいた。なにせあの「狂弟」紫王弟を撃つのだ。


 彼は幼馴染の兵士長の息子と共に勇躍してこの戦に臨んでいた。だが自分はまだ戦に参加できていない。右翼では激しい戦いが展開されているというに……。


 自分が活躍する前にこの戦が終わってしまうのではないかと焦りさえ感じていた知良だったが、敵の本陣から70名程度の集団がこちらに向かってくるのを見た時、やっと自分の出番が来たと歓喜躍如の思いだった。


 彼は自分の副官の兵士長の息子の方を振り返ると、


「おい、郭裕(かくゆう)やっと出番だぜ!」


と声をかけた。


「いいのか知良。親父さんの指示を待たなくても?」


 そう問い返した兵士長の息子だったが、


「かまうもんか、敵がくるんだぜ!」


 と知良はニヤリと答えて腰の剣を抜いた。こちらには兵士として父が訓練したものだけじゃない、各村の森人(もりびと)のマナ使い達も参加してくれている。


 彼らは結社の人間ではないが、実質的に結社から黙認されて各村で森に入り、それを切り開いているマナ使い達だ。森のマ者を相手にする彼らがいれば、内地の衛士達などどれほどのことがあるだろうか?


「弩弓隊前へ。斉射!」


 弩弓隊がこの集団に対して弩を放つ。残念なことに彼らが起こした粉塵のために敵をどれだけ倒したかは分からない。ここからが本番だ。彼は剣を前に振り上げると想像の中で幾度も幾度も告げた台詞を叫んだ


「全軍突撃!」


 彼が剣を振り下ろすや否や、彼の左右に控えていた兵士や森人達が一斉に坂を下っていく。彼自身も盾を構えて雄たけびを上げると、彼らとともに坂を下った。


「知良! やつら左に逃げていくぞ!」


 知良は兵士長の息子の声に立ての上へと頭を上げた。なんだあの連中は、砂塵の陰から出てきた集団はこちらから逃げているのか左に向けて全速力でかけていく。


「追うか!どうする?」


 兵士長の息子の声に、ひたすら突っ込んで敵を蹴散らせばよいと思っていた知良は一瞬迷った。だが巻き上がった砂塵の先で金色に輝く鎧をまとった衛士達の列も続いて坂を下りようとしているのが見える。もちろん俺の獲物はこっちだ。


「正面の敵をたたくぞ!このまま突撃だ!」


 彼の答えに兵士長の息子、郭裕もニヤリと答えた。


「進め、正面の衛士達を、あの狂人の手下を打ち倒せ!」


 森人達の戦意は高く、他の兵士たちを引き離して早くも衛士の列の間近まで迫っている。彼らは先陣を切るつもりなのだ。知良がこれからだ、これから俺たちの未来がはじまると思った瞬間だった。


 前列を走っていた兵達が、まるで見えない紐にでも足をとられたかのようにバタバタと倒れていく。その倒れた体に足を取られて、後ろに続く兵にも倒れる者が続出した。その起き上がろうとする体にも雨のように降ってきた矢がつぎつぎと刺さった。


「長弓だ!上から来るぞ。盾を上に掲げろ!」


 父が各隊に隊長として据えた古参の軍歴経験のある隊長の声が響いた。見ると、倒れた兵は前にではなく背中に矢を受けている。知良もあわてて盾を上に構えた。くそ、何てことだ。矢というのは前から来るものじゃないのか!?


 上から降ってくる矢を避けるために立てを上へ掲げざるおえないので行足が鈍る。矢を避けるためにも衛士達との距離をつめなければならない。だが森人達の動きは敵の予測より早かったらしく、彼らは地を蹴り衛士達の列にその槍を突き立てようとしていた。


「叩け!」


 その彼らの頭上に衛士達が持つ3杖(3m)にもなる長槍が振り下ろされた。鈍い音が辺りに響く。森人の兜が大きくへこみその体は後ろへと倒れる。別のものは腕をへし折られその痛みに思わず膝まづく。


「叩け!」


 衛士の槍兵の列が再び振り下ろされた。その長槍は動けなくなった者達の上に無慈悲に振り下ろされていく。こちらの槍ははるかに短く衛士達へは届かない。その動きは人の動きというよりも、仕掛け時計の中の人形のように、同じ調子かつ正確に繰り返されていく。


 槍を投げる者もいたが、それは長槍兵の前に槍を下す隙間を開けつつ列を組む前衛の持つ大盾にあっけなく跳ね返された。


 森人の一人が振り下ろされた長槍を手につかむと、兵士の手から奪って放り投げた。十人力のマナの使い手で知良が初めて森に入った時に色々世話をしてくれた少し恰幅の良い女性だった。


 そうだやつらの槍をかいくぐってと知良が思った瞬間、彼女の体が後ろへと倒れていく。彼女の胸には前衛が放った投擲用の短槍が深々と突き刺さっていた。


 衛士の列は槍兵が槍を振り下すたびに、倒れた森人や兵士の体を踏み越えて前衛と槍兵が相互に前進してくる。その圧力に下がった兵の前列には、長弓隊の矢がまさに雨のように降り注ぐ。それを盾で避けると、今度は前衛の投擲で打倒される。


 前衛の投擲も止まることはない。倒れた兵から槍を回収し再び放っている。矢を避けてやつらを倒そうと近づけばその頭上にはこちらよりはるかに長い槍が落ちてくる。


「知良様、坂の上から弩弓隊で牽制します。盾を後ろにして坂の上まで下がってください」


 古参の隊長の声に我に返った知良は、次々と倒される兵士達を見ながら、知良は自分が何を勘違いしていたのかをようやく理解した。


 マ者は人よりはるかに強力な生き物だ。その森のマ者を狩れる自分たちがマ者の相手などしたことがない内地のやつらに負けるはずはないと信じていた。だが違う。自分の目の前にいるやつらはマ者ではない。


 集団で『人』を殺す訓練をした連中、『軍隊』なのだ。

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