商談
「月貞結社長殿、大分ご無沙汰してしまいました」
私邸で本を読んでいた月貞は、その呼びかけに顔を上げる。そして地下の出入り口を使って、居間へ直接来た来客に向かって声を掛けた。
「桐輝君、君も息災で何よりだよ。婿の身だろ。だいぶ気苦労が多そうじゃないか。あそこの主人はひとかどの人物だからね」
その姿はまだ若さを十分に残しているが、大店の者らしく、礼儀正しく落ち着いた雰囲気を漂わせている。
「大店故のあれやこれやはありますが、それなりにやらせていただいています」
月貞に即されて、革張りの長椅子に腰を掛けた桐輝が答えた。
「君の魅了の力は大したものだね。あの油屋のお嬢さんを篭絡できるんだ。いや、これは失礼だったね。僅かに君自身の魅力を後押ししたとでも言うべきかな?」
「相手は箱入り娘です。私のようなものでも、つけいる隙があったという事ですよ」
「君が相手をよく研究する努力については、僕も良く理解しているよ。私も君に丸裸にされているんじゃないかと戦々恐々としているぐらいだ」
「ご冗談を」
その言葉に、月貞が「おや?」という顔をして見せた。
「いや、冗談なんか言っていないよ。確かに君の魅了の力はほとんど感知できない極めて弱い力だ。それを認識している相手にはほとんど効果はない。だけどそれを知らない人にとっては極めて脅威だね。なにせ認知できないからこそ、じわじわと知らないうちにそれに侵されていくのだから」
「褒められているのかどうか怪しいところですね」
桐輝が月貞の言葉に頭をかいて見せた。
「もちろん褒めているのさ。君は商人なんかより、どこかの国の政治家にでもなるべきだったね。君ならその国を簡単に滅ぼせそうだ」
その言葉に桐輝は顔をあげると、商人らしい用心深い表情をして見せた。
「私なんかより、月貞様の方が商人になるべきだったと思います。マ石を仕入れ価格ではなく、売価の歩合に変えられたのは、今回の事を見据えてでしょうか?」
「その件では君にも裏で色々と動いてもらって助かったよ。今回のはたまたまだ。色々と条件が重なって、思ったより早かったのは認めるけどね」
桐輝はこころの中で首を横に振った。この人にたまたまなんてのがある訳がない。
「小規模店の支援とかおっしゃっていましたが、これだけ売価が上げれば、供給が減っても城砦の実入りは変わらない。いや、むしろ増えているのではないですか?」
仕入れは手付に公示売価に対する歩合となると、仕入れ時の費用を抑えられるので、小規模店での商いも可能になる。小規模商店の保護は表向きの理由で、こっちが本命だったという事か……
「世の中ほどほどがいいのだよ。こちらが供給を抑えて価格の制御に走りすぎたりすれば、さぼるやつも出てくるし反発も生む。それに裏で流すとか、売価をだますとかも出てきて、それを監視するための費用など、いろいろと金がかかって本末転倒になる。それでも手付との差額が大きくなるようだと、商会側同士の監視の仕組みや、供給の割り当て調整とか色々と気配りが必要だろうね」
月貞の言葉に桐輝は頷いて見せた。やはりこの人は大店の主でも十分にやっていける人だ。
「確かにそうですね。ですが内地がかなりきな臭いですし、新種騒ぎで今後の見通しもついていないので、マ石の卸価格は右肩上がりですよ。大店の一部では売り惜しみも出ています」
「行き過ぎるようなら、そういうところにはお仕置きが必要だな。こちらには蓄えもあるからね。供給は制御しよう。いずれにせよ限界線を伸ばすので、こちらは金がかかってしょうがない。しばらくはこちらもこれを利用させてもらう」
「限界線越えは例の件に絡んだ話なんでしょうか?」
「絡んでいるといえば絡んでるね。冒険者なんてものになるのは割に合わないという教訓のためだ。まあ、それは後付けの理由でね、正直に言えば、これは僕の人生の目標って奴さ。悪いが誰にも邪魔はされたくない」
「分かりました。いずれにせよ価格の調整や監視も含めて、可能な限りのお手伝いはさせて頂きます」
「さっきも言った通り、ほどほどで頼むよ。もうけ過ぎて目立ちすぎるのはご法度だ。それよりあの猪突猛進男から君が借りている手の者は役に立っているかい? うちの裏みたいに人を殺すのは上手みたいだが、商会でやっていけるのだろうか?」
「変に経験がある奴より、よほど役に立っています」
「それなら安心だな。会談の準備は?」
「はい、滞りなく。何せ世界の行く末を決めるのですから」
「君は大げさだよ、桐輝君。せいぜいここの終焉を決める程度の話しさ」
* * *
「もうだめ、実季さん。大変お世話になりました。私は先に遠いところに行かせていただきます」
「お姉さま、大げさすぎます」
いや、全然大げさではありません。研修所の教官なんかより、実季さんの方がよほどきついです。もしかして美亜教官を手本にして、それをさらにひどくしていないでしょうか?
百夜じゃないですが、研修所の中庭の枯れた芝生の上にうつぶせに倒れています。ちなみに百夜はとおの昔に倒れていて、今はすやすやと眠っていると思います。
「でもお姉さま、かなり剣の扱いが様になって来ました。ちゃんと腕も合わせた重心の保持と、刃の返しができるようになっています。あとは剣を突くときの速さですが、まだ上体だけを使っています。これは全身の瞬発力が必要です」
「ありがとうございます、実季教官」
「もう、ふざけないでください!」
実季さんが私に手を貸して起き上がらせようとしている。もしかしてまだやるつもりですか? 私は呼吸を整えると、実季さんに問いかけた。
「実季さん、私はみんなと森に潜れるかな?」
「お姉さま、急にどうしたんですか?」
「うん、千夏さんと話す機会があったんだけど、彼女は私よりも背が低いくらいなのに、探索組の人達と森に潜っている。探索組だよ!何が出るか分からない一番危険な奴よ。私は潜れたとしても、みんなの足手まといぐらいにしかなれない。正直な所、ちょっとうらやましくなっちゃった」
彼女は、白蓮や創晴さん達と一緒に森に潜れているのに、私はまだまだ研修所がお似合いだ。
「お姉さま……いえ、風華さん。弟子としてではなく、同じ冒険者として話をさせて頂きます」
実季さんが私の目をじっと見つめる。もしかして私は余計な一言を言ってしまいましたか?
「風華さんは冒険者って何だと思います?」
「え、冒険者? 森に入ってマ者狩ったり、葉っぱとってきたりする職業でしょう?」
「私も前はそう思っていました。家族を養うために、貴族なんて腐った奴らから逃げ出すために、冒険者になろうと思っていました。だけど今は違います。皆さんに負けない冒険者になることが目標です。いや、冒険者かどうかは関係ないです。冒険者はそのための手段です。私は風華さんの様な人になることが目標なんです」
「私?」
えっ、私に実季さんが目標にするような要素って何かあるんでしょうか? 料理の味付けぐらいしか思いつきません。
「はい」
「風華さんは私が一番足りないもの、何にも負けない強い心を持っています。風華さんに森で助けられた時に、はじめて話をした時に、それを知ることが出来ました。とてもうらやましかったです。神様はなんて不公平なんだと思いました」
それも何かの勘違いです。今だって千夏さんに対するいやらしい嫉妬心で一杯です。
「剣や組手は鍛えられます。それは目に見えます。でも心はどうでしょうか? 目で見ることも、比べて確かめることもできません。だからそれはどうしようもないものだと、抑え込んで制御すべきものだと勝手に思っていました。でも今は違います」
そう言うと、実季さんは私の両手を握って顔の前まで持っていった。
「風華さんの側にいて分かりました。冒険者というのは未知なるものに恐れず挑戦することだと私は思います。それは剣のような技術で語る物ではなく、生き方、心の在り方だと気が付きました」
『心の在り方?』
「風華さん、私からみたらあなたは冒険者そのものです。あなたは、たとえそれがが想像もできないようなものでも、決してあきらめたり、逃げだしたりはしない。あの『神もどき』を前にしてさえそうでした。私もそうありたいのです」
うん、良く分からないけど、何となく分かったような気がする。
「確かにそうだよね。世の中知らないことがいっぱいあって、それを相手に毎日せっせと生きて行かないといけない。味付けを工夫するのもそうだしね」
要するに、あきらめちゃいけないという事だよね。
「味付けは舌で確かめられそうな気がしますが……」
そうかな? 結構未知の世界が広がっていますよ。
「風華さん、『神もどき』を前にして怖くは無かったのですか?」
「う~~ん。怖いと言えば怖いけど、どちらかというと気持ち悪い方が先かな。そんな事より、みんなを傷つけやがったんだよ!そんな奴が五体満足でその辺をうろちょろするなんてのは絶対に許せません!」
「はい、お姉さま。許せません!」
そうです、当たり前です!
「お姉さまは、『神もどき』を恐れずに倒せるのです。私が一番大切だと思っているものはすでに備わっています。足りないのは単なる技術です。それは目で見ることが出来て訓練できるものです。大したことはありません。私が出来る限りのお手伝いをさせて頂きます」
「では、続きです」
えっ!まだやるんですか? やっぱり余計な一言でしたね。
桃子さん、その後さっぱりですけど、お使いってどうなったんですか? このまま研修所に居たら、私は実季さんに殺されます。囚人扱いされるよりよほどひどいです。もしかして、桃子さんは最初からこれを狙っていたとか?
どうでもいいから、早くなんとかしてください。




