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留守番

「美亜さん、この麺麭とってもおいしそうですよ。流石は貴族の御屋敷ですね」


 寧乃(ねいな)が美亜に向かって無邪気に声を上げた。いつもの頭を覆っている布は今日は被っていない。監視する方から見たら、隠し場所になりそうなものを着て居られては困るという事なのだろう。あれを被っていないと、寧乃も少しは女の子らしく見えた。


「隊長と一緒に行けなかったのは残念ですが。何にもしないで毎日こんなおいしいものを食べられるなんて、一緒に行った人たちには本当に悪いですね」


 寧乃が美亜の分の麺麭と、小麦を乳で溶いた野菜と肉を煮込んだ汁の、朝昼兼用の食事を卓においた。実苑の隊商は半分が実苑と共にここの主と出かけていて、半分はここに人質として軟禁されている。寧乃が言うように、人質の身にしては食べ物などを含め、待遇はかなり良かった。


「何もしないで食べてばかりいると太りますかね? でも美亜さんはまだ怪我の影響がありますからね、ちゃんと食べてくださいよ」


「はい」


 美亜は素直に寧乃に答えた。


「もう、元気がないですね。商売の基本は笑顔と元気です。それとも痛みがまだひどいのですか?」


「いえ、大丈夫です」


 不意に襲ってくる幻肢痛の痛みはひどい。痛みが襲うとそれが去るまではただ耐えるしかない。だがたかが痛みだ。心の底でうごめくほの暗い何かに比べたら、それは大したことなどない。


 左腕の傷も薄皮が張って、早くも肉が盛り上がってきている。冒険者というのをやっていると、ある意味この手の傷には慣れざる負えないのだが、他の人と比べても、この回復速度はとても速いように思える。まだまだ義手などはつけられないが、付けられるようになれば、日常生活はもう少しまともに出来るようになるだろう。


 腕の傷の回復は良いのだが、右目が少しおかしい。痛みはないが時折像が二重に映る時があり、眩暈を起こしたような状態になる。もしかしたら新種の毒を食らった時に、右目にもわずかに入ったのかもしれない。


 二重と言うより、何か別の像が映っているような感じもする。利き手が残ったのはありがたかったが、利き手側の視界が奪われるのは色々と不都合だ。


 体については色々なものを失ったが、逆にマナの力は強まったような気がする。体に負担がかかるので実際はまだ試していないが、私は英雄持ちでは無かったはずなのに、どうもマ石の補助無しでも森の外で力が使えそうだった。


「美亜さん?」


 気が付くと寧乃が美亜の顔を覗き込んでいた。


「はい」


「考え事ですか?」


「いえ――」


「顔に出ていますよ。私達は人質ですからね。そんな真剣に考え事をしているような表情をするのは、やめておいた方がいいと思います。殺されちゃいますよ」


 寧乃が声を潜めて美亜に語りかけた。


「気を付けます」


 こんな子供に指摘されるなんてどうかしている。こんなところで人質として殺されてしまっては困る。私にはまだまだやることが沢山あるのだ。


「その方がいいと思います。だって殺されちゃったら困るじゃないですか? まあ、死ぬときは死にますから、あまり考えてもしょうがないですけどね」


 その年で死ぬ時の話をするなんて、おませというより本当に変わった子だ。そう言えば百夜もかなり変わった子供だった。


「寧乃さんは死ぬのが怖くないの?」


「怖いか怖くないかと聞かれれば、怖いと思いますけど、人間だれしも最後は死ぬじゃないですか?」


 寧乃が自分の食事を卓に置きながら、あっけらかんと答えた。


「寧乃さんはまだ若いでしょう? 何か将来やりたいこととかは無いの?」


「やりたいことですか? そうですね。実苑隊長から子種を頂いて、子供を育てるぐらいはやってみてもいいですかね」


「子種? 寧乃さん、あなたいったいいくつ? まだ初潮も来ていないでしょう?」


「はい。だから今では無くて将来の話です」


「寧乃さんは実苑さんのお嫁さんになりたいの?」


「お嫁さんですか? 私が隊長を独占するなんて、とても無理ですよ。せいぜいお情けで子種を頂くぐらいです。実苑隊長ですからね。いくらでも女性が寄ってきます。それに私が独占なんてしたらもったいないです。帳尻が合いません」


「え、でもそんなの……」


 寧乃が美亜に向かって、子供とは思えない真剣な表情をした。


「美亜さん、人なんてのは石鹸の泡のようなものですよ。人が生きて死んでいくなんて大したことじゃないと思います。何せこの世界は全て森と竜神様のものですから」


 そう告げると、寧乃は美亜を見てニコリと微笑んだ。私はこの子ぐらいの時に何を思っていただろう? 寧乃を見ながら美亜はそんな事を考えた。にいにいのお嫁さんになりたい。ただ漠然とそんなことを思っていただけだ。


「では食事の儀式です。殺されないように、形だけでもちゃんとまねてくださいね」


 寧乃が胸元から銀色の八角形の首飾りを取り出した。美亜も慌てて右手で首元の鎖を手繰って、同じ首飾りを取り出す。


「偉大なる森の神、その第一の御手にて我らが守護者よ。今日も我らに与えたもう糧に感謝致します」


* * *


「まさか大司教ご自身でお持ちになられるとは、思ってもおりませんでした。こちらでは何のご用意もできておりませんで……」


 ささやきは旅支度を終えた宿の部屋で思わず声をあげた。


「もうくだらない演技は不要です。そんな事より急がないと遅れますよ」


「はい。ですが、お国は大丈夫なのでしょうか?」


「大司教なんてお飾りに、大した用事なんてものはありません」


「ですがお姿が……」


「影なんてものはこんな時ぐらいしか使い道がないと思います。それよりも久しぶりの外出ですからね、昔を思い出して心が踊ります。では道中よろしくお願いします」


「はい、末輩ながら誠心誠意務めさせて頂きます」


「ですから、もう芝居は結構だと言ったではないですか。ちゃんと聞いてましたか?」


 そう言うと、壁の国の大司教はその顔にいかにも不機嫌そうな表情を浮かべてみせた。

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