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夜会服

「世恋さん、お手数をおかけしてすいません。夜会服(ドレス)の着方も、それに合わせた化粧も全然分からなくて……」


 私の言葉に世恋さんがちょっと怒った顔をした。


「風華さん、そんな他人行儀な事を言ったら怒りますよ。それに私としてはずいぶん楽しませてもらったつもりなんですけど?」


 世恋さんが私の顎に手を添えて、少し顔を上に上げさせると、手にした小さな筆で私の唇にそっと紅を差した。


「はい、お疲れさまでした。どうでしょうか? 気に入ってもらえると嬉しいのですが……」


 世恋さんが私に銀箔を貼った手鏡を渡してくれた。誰だろうこの銀箔の中に居る人は? あれ、使っている紅とかやり方は違うけど、これって麻夕さんが私にかけてくれた魔法と同じだ。


 麻夕さんは私をとてもかわいらしく演出してくれたけど、世恋さんは私を上品でいて、どこか謎めいた感じを秘めた魅惑的な女性に変えてしまっている。


「これって、本当に私ですか?」


「もちろん、本当の風華さんに決まっているじゃないですか?」


 目元に線を書いてもらって、頬と唇に紅を乗せてもらうだけのつもりだったのに、世恋さんは私になんて素敵な魔法をかけてくれたんだろう。


「世恋さんってほとんど化粧なんていらない人だから、こんなに上手にしてもらえるなんて、思ってもみませんでした」


 私の言葉に世恋さんがおやって顔をした。いけません、心の声が一部漏れていたかもしれません。


「あら風華さん、本音が出てますね。私だって女性の端くれです。化粧だってしますよ」


「えぇぇぇ!そうなんですか? 今はほとんどしていないですよね。世恋さんがバッチリと化粧なんてしたら、一体どんなになっちゃうんですか? 想像もできません。今度化粧したときには呼んでください。森の中からでも飛んで来ます!」


 世恋さんが口元に手を当てて、含み笑いをもらした。


「もう、風華さんたらお上手ですね。それに風華さんは私のことを何だと思っているんですか? 今度私のことを『女神様』とか人に紹介したら……そうですね。実季さんに代わって私が短剣の修行の相手をします。休みは無しですよ」


 う……何気に世恋さんの修行が一番的確であるがゆえに一番きつい。何せ指摘されたことが出来るようになるまで休ませてくれません。


「それは、ちょっと……」


「そんな事より、立ってもらっていいですか? そのとても素敵な夜会服とちゃんとあっているか、確認させてください」


 世恋さんに即されて立ち上がってみた。


「ほんとにきれいな赤色ですね、風華さんにぴったりです。それにとっても上品な仕立てですね。上品な淑女を目指してお化粧したつもりですが、いかがですか?」


 もう一度手鏡を今度は自分から少し離して映してみる。恵理さんのお店がしたててくれた夜会服は、たとえそれを着ているのが私だとしても、本当にため息がでるくらいに美しい。深紅のそして微かに光を映す生地でつくられたそれは、まるで私を炎でつつまれたかのように華麗に、そしてとても神秘的に見せている。


「風華さん、本当にとってもおきれいですよ」


 背後で私の髪を梳きながら、世恋さんがそっとつぶやいた。自分が、本当の自分が何なのか分からなくなりそう。


 本当は来年の柚衣さんのお誕生日会に招待されるまで、袖を通すつもりはなかったのだけど、これを作ってくれた当事者から、今日の参加の条件として示されては仕方がない。彼にはまだ借りが残っていると思うので、なるべくその希望には沿ってあげたい。それに今日の事だって私のわがままなのだから。


「世恋さんは、本当に参加されないのですか?」


「ええ、白蓮さんには申し訳ないのですが、私は人見知りが激しくて、はじめて会う方とそのような席をご一緒させていただくと、皆さんの気分を壊しそうです。なので今回はご遠慮させていただきます。代わりに兄にはきちんとお礼を言うように言っておきました」


 白蓮のばか。もしかしたら世恋さんの夜会服姿を見たくて企画したのかもしれないけど、世恋さんに断られてしまったではないか。ともかく今日は白蓮を捕まえて、色々な疑惑の解明と合わせて、色々と説教もしてやらないといけない。首を洗って待っていろ。


「赤娘、まだか。我はもう待ちくたびれたぞ。それに腹も減った」


 百夜が扉を開けると、足でトントンと床をならして見せた。どうやら本当に待ちくたびれたらしい。


「百夜様、終わりましたよ。それに今日の風華さんの付添人の方が到着されたようですね」


 世恋さんの言葉に耳を澄ますと、表に馬の嘶きが聞こえた。


「待たせてごめん。実季さんは?」


「しっぽ娘の支度も済んでいる。おもかろい兄とおっぱい女はもう先に出たぞ」


 もう実季さんは外に居るらしい。実季さんは相当に遠慮していたけど、実季さんの化粧は歌月さんが引き受けてくれた。結局私の準備が最後か。用意していた手提げを持って表に向かう。


 庭先を抜ると、目の前に黒毛の馬に黒檀の漆黒の馬車が止まっていた。そして一部の隙も無い礼服に細長杖(ステッキ)を小脇に抱えた背の高い男性が、頭を下げて私達に向かって右手を差し出している。


「淑女の皆様方、お待ちしておりました」


 柚安さん。今日の私の付添人だ。


「柚安さん、今日は遠いところわざわざ迎えに来ていただきまして、ありがとうございます」


 下げられるだけ頭を下げる。


「私はあなたの付添人ですから当然です。礼には及びません」


 指であの変わった眼鏡を軽く直しながら、私達ににっこりとほほ笑んだ。この人のこの表情を前にすると、耳の後ろが本当に燃えそうになる。


「中にどうぞ」


「うむ。よいぞ」


 百夜が差し出された柚安さんの手をとってぴょんと馬車の中に飛び込む。続いて実季さんが遠慮がちにその手をとって、馬車の中へと進んだ。


 うわ!実季さん。なんて凛々しいんですか。その銀をあしらった簡礼服(セミフォーマル)姿は、まるでどこかの()()()みたいですよ。今日は王子様が二人です。眼福です。


 もう柚安さんの手を取って馬車に入っていく姿なんて、向かいの肉屋の娘が隠し持っているやばい本の妄想世界の中そのものです。もう一部の乙女の心を鷲掴みですよ。できれば、今のもう一度やってもらえませんか? それに誰かこの「キャーー」と言いたい気持ちを、ここで共有できる方はいないんですかね?


「風華さん、どうかされましたか?」


「いえ、何でもありません!」


 ちょっと向かいの肉屋の娘の妄想世界に浸りかけていました。やばかったです。


「どうぞこちらへ」


 柚安さんが私にそっと手を差し出す。左手で裾をちょっとだけ持ち上げて昇降台を登った。正直なところ、夜会服なんて初めてだから、裾がからまって転びそうで怖い。それにやっぱり胸がもう少しある人が着た方が似合いそうな気がする。世恋さんなんかが着たら、もう世の男全員が鼻血ものだろう。


 椅子に座ると、正面に座っていた実季さんがあっけにとられて私を見ている。そうですよね。普段の私と比べたら別人ですからね。


「とってもお奇麗です」


 実季さんがぼっとした表情のままつぶやいた。もう実季さんも上手ですね。弟子だからって師匠をほめなくちゃいけないなんて法律はないですよ。


「皆さん、とってもお似合いですよ。それに風華さんには夜会服に袖を通してもらって助かりました」


 馬車の扉を閉めた柚安さんが私達に語り掛けた。彼が手にした細長杖で天井を軽く二階ほど叩くと、馬車は軽やかな車軸の回る音を立てて走り始める。


「本当は来年の柚衣さんのお誕生日会までは、取っておくつもりだったんですけど……」


「いや、今日は招待された身なのに無理を言ってすみませんでした。母と姉が私信でも夜会服の件は申し訳ないと言って来ててね。これでちゃんと着た姿を見たと言えば、彼女たちに対する私の顔も立つというものです」


「お忙しいところ本当にすみません」


「いやいや、赤毛組のみなさんには一度ちゃんとご挨拶をしたいと思っていたので、丁度いい機会を頂きました」


 そう言うと、柚安さんが右手を胸に当てて、百夜と実季さんの方を向いた。


「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。百夜様、実季様、事務方で指揮官をしています柚安と申します。今日は皆様の付添人に指名していただき、光栄の至りです」


 実季さんの顔が真っ赤になる。分かります分かります。この方からこんな丁寧な挨拶をされたらそうなりますよね。私も隣に座っているだけでもドキドキものです!


「うむ、よいぞ。ちゃんと我の元に餌を運んで来い」


 百夜!何だその台詞は!柚安さんはお前の侍従じゃないぞ!


「よろこんで、百夜お嬢様」


 百夜のこの態度のでかさにも動じないとは、さすが柚安さんです。助かります!


「お前がこの間の赤娘の相手だな?」


「はい」


 百夜が紅を差してなくても、妙に赤い唇の両端を持ち上げた。何か悪い予感がする。実季さん、ぼっとしている場合じゃないです。傾向と対策です。口を、口を塞がないと……


「赤娘はお前の口には合わなかったか?」


『え”!』


「はははは、百夜さんはずいぶんおませなんだね」


 ちょっと待て百夜!


「こら黒娘、口に合わなかったとはなんだ!それを言ったのはこの口か? この口だな!」


「お姉さま!」


 実季さん、放してください。この黒い悪魔に天罰を与えてやらねばなりません!


「お姉さま、夜会服が……夜会服が、皺になります!」


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