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続き

 冬の夕方の柔らかい日差しが、かつて監獄と呼ばれていたところを照らしている。以前はこの場所では壁に遮られて、見ることが出来なかった光だ。しかし壁の大半が崩れ去った今では、瓦礫の山とそこから立ち上る白い煙を黄色く照らしていた。


 その夕日を浴びて、二人の人間の長い影がかつては中庭だったところに伸びている。そこは瓦礫も何もなく空っぽだった。もちろん煙も上がっていない。ただ大きな黒い焦げた跡が地面に残っているだけだ。そこに積まれていた木片の数々も、角灯の油が入った樽も残っていない。


 そしてそこに侵入してきた者の痕跡もなかった。僅かに残っていた黒い塵も、風に煽られて瓦礫があげる白い煙と共にどこかへと去っている。


「奴が火に弱いという話は本当だったんだな。あれだけの薪と油程度ではこんなになったとは到底思えん。見ろ壁の残骸を、火に溶けて硝子状になっている」


 人影の一つ、念史が口を開いた。その周りには被った水の水たまりが出来ている。そこから流れた水は周囲の瓦礫にふれると、シューという音と共に白い水蒸気へと変わっていく。


 顔に捲いた布から僅かに出ている目元にも、それらが放つ熱気が未だ十分に感じられる。さっきまで水に浸っていたというのに、皮の上下の下では汗が次々と流れていく。


「これはまるで……」


「本城砦の廃墟ね。これだけ燃えてくれるのならば、ここに来る前に油でも撒いておいて、長弓で火を着ければよかったのかも」


 もう一つの人影、桃子が念史の言葉を引き継いで答えた。


「さあな。長弓が使える距離まで近づけたかどうかも分からんからな。ともかく自分が自分でなくなるなんてのは二度とごめんだ。今度あの黒い子供に会ったら殺されかねないな」


 そう言うと、念史は手元においた桶の水で手巾を濡らして、煤けた顔を拭いた。手巾はあっという間に真っ黒になる。


「でもよくあの火の中、あの程度の水で持ったわね」


「助かったのは水と蓋の間の蒸気のおかげかもしれんな」


「蒸気?」


「そうだ。壁の国の神官は儀式の中で、真っ赤にやけた炭の上を素足で歩くそうだ。それでも火傷はしないとか。どうもそれは足の裏にある水が蒸気になって、足を守るとか聞いたことがあるな。どうでもいい話か……」


「そうね。理由はともあれ助かったわ。でもまさかこんなことになるなんて思わなかった。監獄(ここ)を離れたくて仕方がなかったけど、まさか監獄(ここ)が無くなるなんてのは想像もしなかったわ。いずれにせよ、貴方にはお礼を言わないとね。命の恩人よ」


「礼には及ばんよ桃子。あんたが俺をここに引き取ってくれた借りを返しただけだ」


「そうはいかないわ。今度あなたと寝てあげる」


「おいおい、小娘が大人をからかうんじゃない」


「小娘? それっていつの話よ。それに今のあなたは独身なんでしょう?」


 そう言うと、二人は慎重に瓦礫の山を超えながら、監獄の外へと向かう。二人の耳には、城砦からの救援らしい馬のいななきが聞こえていた。


* * * 


 月貞の執務室には先程まで誰かが居た気配があった。濃厚なマナ除けの匂いに、長い間、体を洗ったことも拭いたこともない人が放つ、腐った酢のようななんとも言えない匂いだ。その匂いを消すためか、執務室の窓は大きく開かれていた。


「邪神とはまた大層な呼び方だね」


 月貞は執務机の前に立つ、学心に対してそう声をかけた。


「人を支配できるのですから、ほぼ神と言ってもいいのではないでしょうか?」


 学心の答えに月貞が首を傾げて見せる。人を支配できるのだ、邪神そのものではないのか? 実際、あの赤毛の子は奴を『神もどき』と呼んでいた。


「神なんてものがいるとすれば、それは僕らの目には決して見えないやつさ。何せ神なんだからね。あれは僕らに向かってきて、とって食おうとした奴だから単なるマ者さ。ちょっとばかしこれまでの奴と変わってはいたけどね」


 月貞がさもつまらんという顔をして答える。


「そう言うものでしょうか?」


「そう言うものだよ。それより支配されるというのはどんな感じなのかな?」


 月貞が執務机の上に身を乗り出しつつ、学心に問いかけた。どうやらこの男の興味はそこにあるらしい。


「自分の自我がどこかに消えてしまう感じです。後は何も感じません。自分がそこにいる事すら分からなくなるのですから、ある意味死と同じものかもしれません」


「なるほどね。お嬢の力に近いのかもしれないな」


 月貞は椅子から立ち上がると、学心に来客用の長椅子に座るように即した。そして机の中から何やら酒らしきものが入った壺と瑠璃の杯を二つ取り出す。


「学心君、せっかく目と耳を使って実物を見て来たんだ。ここからは頭を、理性と想像力を使う番だと僕は思うね。あれが何者なのか? なんで今頃のこのこ出て来たのかとかね」


 そう告げると、月貞は学心の前に座って足を組んだ。そして値踏みでもするかのように学心の目をじっと見る。


「それに僕が君にした予言はやっと始まったばかりだよ。先ず君は根本的に間違っている。あれは邪悪なものなんかじゃない。封印者なんだよ」


『封印者?』


 前の「予言」発言といい、この男は一体どこまで知っているのだろう。月貞に関する禁書のすべてをそらんじているという噂は本当なのかもしれない。少なくともこの男はこれで終わりではないと言っている。


「これはなにかの……」


 だが月貞は片手を上げると学心の言葉を遮った。そしていたずらっ子の様な目をして学心を見る。


「君の理性と想像力がどれだけのものを()()できるか期待して待っているよ」


 つまり話はこれで終わりということだ。


「では、これにて失礼いたします」


「まあ、学心君。せっかく来てくれたんだ。もう少し僕の相手をしてもらえないだろうか? 君にはちょっとしたお願いがあるんだ」


 そう言うと、月貞は前に置かれた杯の中に、壺から深紅の液体をなみなみと注いだ。


「この一杯につきあってもらえないだろうか?」


「あれの退治祝いですか?」


 学心の言葉に、月貞がとんでもないという顔をして見せた。


「違うよ。僕が何であんなものの為に杯を捧げないといけないんだ。これは私の親友達への追悼だ。最近は一緒に飲んでくれる人がほとんど居なくてね。後輩の義務だと思って付き合ってくれ給え」


 月貞が杯を捧げる。学心もそれにあわせて杯を掲げた。彼は追悼と言った。ならば……


「森は、我は、汝らの事を決して忘れず」


 冒険者の追悼の言葉と共に、二つの金属の杯が触れ合う澄んだ音が響いた。そして芳醇な香りが鼻と喉を抜けていく。


 空になった杯を卓の上においた学心は、前に座る月貞を見て驚いた。気のせいだろうか? いつものわざとらしい軽薄さは見当たらない。その横顔はとても寂し気で孤独な、ただの男の顔にしか見えなかった。


* * *


「うっ!」


 伊一は体中からの針を刺すような痛みに、思わず悲鳴を上げそうになった。ここは何処だ? 私はどうなった? 馬車に乗って監獄から脱出したはずでは?


「痛みますか?」


 頭の後ろで髪を結んだ少女が伊一の顔を覗き込んでいる。


「実季さん、ここは?」


「城砦の救護組の病室です。馬車の中で急に気を失われてびっくりしました。背中にあんな大やけどを負われているなんて最初は分かりませんでした」


 火傷か……それでこの痛みか。伊一は痛みの為か額から脂汗が流れてくるのを感じた。


「痛み止めです」


 実季が屠蘇器で伊一の口に少し甘みのある液体を流し込んで、濡れた手巾で額の汗を拭いた。


「風華さんに、百夜さんは?」


「百夜さんの脱臼はうまくはめられました。一応ここで痛み止めの薬を塗ってもらっています。お姉……風華さんは擦り傷程度で特に問題なしだそうです」


「それは良かった」


 彼らが助かったことは、風華さんを助けられたことは素直にうれしい。壁が崩れたせいか、奴のせいかは分からないが、あそこで力を使えたのは僥倖だった。普通に走ったのでは、水を被ったとしてもあの炎は抜けられなかった。


 だが本当に良かったのか? いったいどこだけの損害が出たのだろう。いや、むしろ運が良かったと言うべきなのだろう。もしあの二人が居なかったら、自分も含めてもっと多くの者の命が失われていたに違いない。


 だが、森にいった4人は二度と戻ってこない。死んだ人達のおかげで英雄なんてものになった軍人の父に逆らって、冒険者になったというのに、結局のところやっていることは父と大差ない。


「ですが、伊一さんが気を失ってからは大変でした」


「大変?」


「風華さんが、伊一さんが死んじゃうって、御者の白蓮さんにともかく急げ急げって大騒ぎでした」


「それは悪かったね。彼らは?」


「風華さんならそこです」


 実季が病室の隅を指さした。


「さっきまで伊一さんの手当てを徹夜でずっとされていました。さっき私が代わったばかりです」


 伊一は痛みに耐えて頭を少しだけ動かした。椅子の背に頭を乗せた赤毛の少女が、大口開けて、しかもよだれを垂らして寝ている。何やらいびきまで掻いているらしい。この子を見ていると、自分の悩みという奴がどこかに消えてしまう気がする。大笑いしたいところだが……


 笑ったら、きっとまた気絶する。


* * *


「お休み中に申し訳ないが、ちょっといいだろうか?」


 白蓮が廊下の長椅子で転寝をしていると、誰かが自分に呼びかける声が聞こえた。


「ここで赤毛組の皆さんが治療を受けていると聞いたのだが?」


 白蓮が顔をあげると、そこには変わった眼鏡をかけた男性が自分を見下ろしていた。背の高い人だ。それに女みたいに髪を長く伸ばしている。いや学者風と言うべきなのだろうか?


「赤毛組ですか?」


「すまない。それじゃ誰の事か分からないね。風華さんと言う赤毛の女性なのだが、ここで治療を受けていると聞いてね。彼女の様子を見に来たんだ」


 あれ、ふーちゃんの知り合いか。というと警備方の誰かかな? でも来ているものは冒険者と言うよりは事務方の出で立ちだ。警備方の事務官の誰かだろうか?


「ふー……風華さんですか?」


「彼女は無事かい?」


 まるで女性のような整った顔に少し心配そうな顔を浮かべている。これはふーちゃんが向かいの肉屋の娘と一緒になってワーキャーいいそうな人だな。


「はい、かすり傷程度で済んだようです。今は、この病室の中で重傷を負った人の世話をしています」


 眼の前の人物がさも安心したように肩の力を抜いたのが分かった。まあこういう美男子という人は何をやっても絵になりますね。僕とは大違いだ。


「そうか、無事で何よりだ。その様子だと君も監獄から戻ってきた一人かい? 大変だったみたいだね。ご苦労様でした」


 よく見れば、上着やら何やらにまだ渡りの羽が山ほどついたままだ。城砦に戻ってきたときに、よく撃ち殺されずに済んだものだ。


「はい。ありがとうございます」


「申し遅れた。私は柚安(ゆあん)という物で事務方で指揮官をやっているものだ。失礼だが君は白蓮君ではないかな?」


 白蓮は男性の自己紹介を聞いて少し驚いた。指揮官? 若く見えるけど、指揮官って事務方のお偉いさんじゃないのか? 白蓮は慌てて立ち上がると頭を下げた。


「はい、白蓮と申します。あのどこかでお会いしましたでしょうか?」


「多分、お初にお目にかかるよ。君は有名人だからね。知らない人はいないと思うよ。彼女は忙しいみたいだから、またの機会に挨拶に伺わせてもらう。では彼女によろしく」


 そう言うと、短外套を翻して廊下の向こうに去っていく。やっぱり美男子と言うのは何をやっても様になりますね。僕とは大違いだ。


 一体誰だ? ふーちゃんが事務方に知り合いがいるという話は聞いてなかったな? 美亜さんの救出の時の歌月さんのお使いの時か? でもどうしてあの人がふーちゃん個人の安否を気にするんだろう? まあ、ふーちゃんに聞けば分かる話か。


 それより千夏さんをどうするか考えないと……こっちの方があのマ者より手強い気がする。


 絶対に手強いよな。

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