学者
「帝国以前の資料を中心に当たれ。ともかく巨木のようなという記述があるやつは総ざらいだ」
学心は冬だと言うのに滲み出てきた額の汗を拭いた。羊皮紙でできた禁書はとてつもなく重い。鎖や大層な鍵がさらにそれに重みを加える。骨と皮しか残っていないような自分の腕で、それを書庫から下すのでもう汗みどろになりそうになる。誰がこんな面倒な事を始めたんだ。書庫に鍵をかけるだけで充分だろ。
学心は腰につけた鍵束から目の前の本の鍵を探すが、ちょっとずつ違う鍵の中から目当ての本の鍵を探そうとするだけで、気が遠くなりそうになった。今したいのは鍵の当てっこなんかじゃない。新種の情報をさらうことだ。
鍵束から鍵を必死に探そうとしているのは学心だけでは無かった。この書庫の司書が総出でそれを行っている。書庫は鍵束の中で鍵同士がぶつかり合う、耳障りな金属音で満たされていた。
学心は苛つく気分に頭を振った。ここは一体いつから鉄がぶつかり合う音が響く、戦場のような場所になったんだ? ちょっと前までは、墓場のような静けさに支配されていたというのに!
「おやおや、みんな大変そうだね」
やっと目当ての鍵を探し当てたところで、誰かが声を掛けてきた。誰だ? この忙しいときに無駄話をしてくる奴は? 顔を上げると、そこには月貞結社長の顔があった。その顔にはにやにやした笑顔とも皮肉とも言えない表情がある。せっかく見つけた鍵が指から滑り落ちて、鍵束の中へと落ちていった。
「結社長?」
「学心君、借りていた君のご指定の本を持って来たよ。いや、禁書と言うやつは無駄に重いね。何かね、書いた奴は重いと偉そうに見えるとでも思ったのかな? 知識は重さで計れるものではないはずだけどね」
月貞はそう言うと、侍従に押させた手押し車の上の書物をパンパンと叩いて見せた。
「今日は全員総出かい?」
月貞が書庫室の中を見回す。
「はい、結社長。全員総出で新種の情報を追っています」
蓄えている書物に比較して、決して数が多いとは言えない閲覧用の卓には、深緑色の短外套を纏った書庫の司書達がはりついて、本をうず高く積み上げている。月貞も深緑色の短外套だ。この人はここを出た後も、気分だけは司書のままでいるらしい。
「やれやれだな。君も学者の端くれだろ?」
月貞がうんざりした顔をして、学心をそして周りの司書達を見渡した。この男は何を言っているのだ? 遠見卿からとんでもない新種が現れたという連絡が、それも緊急で来ているのだ。総出でその情報をさらうのは当たり前では無いのか?
「君みたいに少しは回る頭を持っている人間でも、こんなかび臭いところに居ると、全く物が見えなくなるんだね」
月貞が学心を見下ろしながらため息をついて見せる。かび臭い? これらの書物が新種に対する我々の最後の希望ではないのか?
「学心君、どうしてこんなかび臭い代物と顔を突き合わせなくちゃいけないんだ? 本物がいるんだよ。こんなところから出て、それを見に行けばいいじゃないか? 学問というのは客観的な事実の積み上げだろ? こんなかび臭いものに書かれた、本当かどうかもよく分からない奴に一喜一憂するようなものかね?」
「結社長……」
学心は何か意見を言おうとして言葉を飲み込んだ。月貞の顔は本気だ。
「こんなところを出て、羽筆でも持って本物を観察に行き給え」
「観察ですか?」
「そうだ。こんな物を開いているより、一通り力の使い手を集めて、奴にぶつけてみればいいじゃないか。そうすれば奴の得意分野や苦手分野、好き嫌い、色々と分かると思うよ。まあ、恋愛と同じ様なものだな」
「予備知識も何も無しに、いきなり新種にぶつけるのですか!」
思わず叫んだ学心の言葉に、我関せずの態度を必死にとっていた周りの司書達が、本から顔をあげて月貞と学心を見た。月貞は本から顔を上げた司書達の顔をぐるりと見渡す。
「必要な犠牲という奴だよ。初めて見つけた葉っぱを食えるかどうか試すのと何も変わりはしない。そもそもここに居るのはみんな冒険者なんだ。冒険者が新種に挑みにいかなくてどうするんだ?」
「冒険者……ですか?」
「そうだよ。大店の店員じゃないんだ。ちょっと昔は誰が行くかで大げんかしていたんだけどね。明なんかはそれの筆頭だったな。それに行った奴はみんな二つ名持ちにしてやるとか言えば、希望者ぐらいはいくらでもいるさ。それに最近は若い奴が新種を続けて狩っただろ? それをやっかんでいる奴なんかは一発だよ」
月貞が私の顔をじっと見る。
「学心君、分かったかね? 分かったならそのかび臭いものを閉じて馬車に乗り給え。奴は左2の監視所を越えて監獄に向かって進んでいる。連絡は先触れがびびって仕事をしないらしいから、閃光使いの通信係もつけるよ。君の一流の学者らしい所見という奴を期待している」
月貞はそう学心に告げると、くるりと身をひるがえして出口へと歩いていく。出口で後ろでに軽く手を振る姿は、この事態にも何も動揺などしていないように見える。いったいこいつは……
「何て男なんだ」
* * *
「風華さん、あれは一体何なんだ?」
そう告げると、伊一さんは私の顔をじっと見た。
「君と百夜君はあれと会ったことがあると言っていたけど、本当かい?」
伊一さんの目はちょっと疑わし気だ。まあ、そりゃそうですよね。
「はい、伊一さん」
「自分の組の者と、旧街道を抜けて城砦に向かう途中で、あれと似たようなのに会いました」
「旧街道? 君はここに来るのに旧街道を抜けて来たのかい!」
伊一さんが目をぱちぱちさせる。えっ、旧街道を抜けるのって、そんなにやばい事だったんですか? みんなそこしかないみたいな事を言っていましたけど……
「はい、伊一さん」
「命知らずだな」
やっぱりやばかったんですね。死にそうな目にあったのは運が悪かったというだけじゃないという事ですよね。普通にやばかったという事ですね。白蓮、覚えていろよ!
「はい、何回か死にそうな目にあいました。その一つがあれです」
「それであれは一体何なんだ?」
私に聞かれても困るんですが……
「さあ、詳しくは分かりません。『神もどき』です。旧街道から外れた、湖畔の島のようなところに居ました。そこでは神と呼ばれていました。だから神もどきです」
「神? そんなところに誰かいたのかい?」
伊一さんが頭を振る。多分理解が追いついていないんだろうな? 私だって自分の目でみなかったらさっぱりです。
「はい、旧街道のおばけです。その神に取り込まれて支配されてしまった人達です」
「支配?」
「はい、香子さんや実季さんがかかりそうになった奴です」
湖畔に居た人達は支配されるだけじゃなくて、お化けにされていましたけどね。そこまで言うともっと訳が分からなくなりそうだから、そこは割愛させていただきます。
「奴は人を支配して意のままに操ることが出来ます。わたしの組の者、旋風卿ですら奴に支配されそうにされました」
「旋風卿って、あの旋風卿か?」
「はい、伊一さん」
「その支配というのはどの程度の範囲で可能なんだ?」
「よく分かりませんが、湖畔にいたやつは一つの島全体を支配していました」
「ならば、城砦全体を支配することは?」
あ、そんな事考えもしなかった。
「可能だと思います。ともかく近づいたらだめです。それにあれは私達が旧街道で見た奴より強力な奴だと思います。旧街道の奴はあんな風に自分で動いたりはしませんでした」
「君達は旧街道ではどうやって逃げたんだ?」
「逃げた? いや倒しました」
「倒した!? どうやって!?」
伊一さんが呆気に取られた顔をしている。
「はい、火を付けて燃やしました」
見かけも木でしたからね。とりあえず燃やしてお終いでした。でもあれは動かなかったし、ちょっと思い出したくはないですけど、周りに可燃物がいっぱいありました。だから火をつけて倒すことが出来た。
でも今度の奴はそううまくいくだろうか? あれは、川の中ほどから監視所まで触手を伸ばすことが出来た。支配の力抜きでも近寄るのは難しい。しかも自分で動ける。つまり逃げることが出来るし近づく事も出来る。前と同じようにはいかない。
何か……何か手は……。もう泥蟹みたいに鍋に放り込めればいいのに。うじゃうじゃうごく奴らだって鍋に入れて蓋をしめればなんてことは無い。すぐに茹で上がっておいしくいただけます。鍋……どこかでそれに似たようなのを見たことがあるような気がする。何処だろう……。
「前から優先の幟の馬車です!左に避けます。みんな掴ってください」
御者役が荷台の私達に声を掛けた。もう、何か思いつきそうだったのに!
前を見ると、監獄からの帰りに見たような立派な馬車が何台か連なって、優先の赤い幟を立ててこちらに走ってくる。私達の馬車がそれを避ける為に道を外れたため、荷台が大きく揺れた。
「何事だ!」
私にもたれかかって寝ていた百夜が不平を漏らす。馬車の列が一陣の風を伴って私達の横を抜けていく。なんだろう? 誰かを救出にでも行くのだろうか? でも空じゃない。窓際に座っていた白髪の人と目が合う。おばあさん? いや、おじいさんか? でも何でお年寄りが?
そっち側はあぶないですよ。奴がいるんです。
そう言えば、隣のおばあさんが蒸し焼き用の上に丸い穴があいた、円錐形の蓋がついた鍋を持っていたな。あれで白菜とかを鳥とか豚と一緒に蒸し焼きにしたのは絶品だった。塩を振るぐらいで、十分にうまみが堪能できました。そう言えば、あれって監獄そっくりですね。
監獄?
「伊一さん!」
「なんですか風華さん? びっくりするじゃないですか」
「監獄です。監獄!」
「はあ?」
「あいつを監獄で蒸し焼きにするんです!」
「蒸し焼き? 言っていることがよく分かりませんが、どのみち監獄は使う事になりますよ。私達はその手伝いの為にも、監獄に向かっているんですから」
使う? どういう意味ですか? よく分かりません。監獄って蒸し焼きにする以外に、何か使い道ってあるんでしょうか?




