家族
私は貴族や大店の人達とは縁もゆかりもない人間だったので、上流階級のお家や生活なんてものは肉屋の娘から借りた乙女本程度の知識しかない。
それだってどこまでが本当でどこからが妄想なのかも分かっていない。だがここはその私が知らない上流階級の人達そのものの世界だった
玄関広間とおぼしき部屋は、美亜教官の髪の色を思い起こさせる深い赤の絨毯が引かれていて、奥には二階へと続く大きな階段がある。ここだけでも研修所で組手とか投擲の対抗戦をやった広間より大きい部屋だ。
そこでは案内を待つ人々が、最近の天気やらの辺り障りのない会話というのを繰り広げていた。そしてそこから侍従に伴われて、左手奥の広間へと入っていく。
玄関広間からちらりと見える奥の広間は、黒光りする深い茶色の木と明るい木を組み合わせた床に、深い茶色の壁があしらわれており、天井からはマ石の明かりで彩られた硝子細工の大きな燭台がいくつもぶら下がっていた。
そこには真っ白な敷布が敷かれた大きな丸い卓がいくつも置かれていて、きらびやかな男女がそれぞれ集まって談笑をしている。
ああ、肉屋の乙女本の世界そのままです。本当にあるんです。出来る事なら一の街に取って返して、この感動を肉屋の娘に伝えてあげたいくらいだ。
玄関広間で男性に付き添われて案内を待つ女性の中には、私とそう年が違わなさそうな人達も居る。父親に付き添う娘さんのような人、若い男性に付き添われているのは若いご婦人だろうか? それとも婚約者? あのお顔の形が似ているのは兄弟かな? みんなお化粧ばっちりなので、本当に年が近いかどうかは定かではない。
世恋さんならこの場もぴったりという感じですが、最近は桃子さんとか、歌月さんとか、とってもお強い方ばかりを見ていたので、何やらとても新鮮です。
でもあの方達がとんでもないというか、規格外なだけですよね。しかもほとんど化粧らしい化粧をしていないお二人の方が、ここにいる化粧ばっちりの御婦人方より間違いなく美人だと思います。
二人が気合を入れた化粧をしたら、一体どんな美人になるんだろう? 歌月さんは美人というより妖艶な感じになりそうな気がする。きっと世の男性の視線を釘付けですよ。
「柚安様よ」
「相変わらずお美しい。でも女性の方を連れられていますわよ」
「誰なのあの赤毛の方は?」
「見たことないですわね。内地から誰か新しく来られました?」
皆さん、扇子の陰でひそひそ話のつもりだと思いますけど、こちらは普段マ者とかいうものが相手なので、音には敏感なんです。駄々洩れです。
もうなんだかな。好みのかっこもしましたし、それで十分じゃないですか? この辺りで満足していただけると助かるんですけど!まあ、城砦の芋も自分の手にかかれば、そこそこ見れるぐらいには出来るというのを、自慢でもしたいんですかね?
もう男って奴は!
「失礼します」
女性の侍従の方が、私の肩掛けや、柚安さんの羽織っていた黒い短外套を受け取る。柚安さんが手にしていた白い手袋を脱いで女性に渡したのを見て、私も肘の先まである手袋をとろうと思ったのだけど、どうやって脱ぐか全く分からない。周りの女性を見たら、女性はみんな手袋をしたままの様に思える。このままでいいのかな? すいません、よく分かりません。
私の肩かけを受け取った女性はそのまま深々とお辞儀をすると、それを持って階段の奥の方へと消えていく。皆さん同じようなのをしていますが、どれが誰のものかちゃんと分かるんですかね? これは借り物だと思うので、よろしくお願いします。
「お飲み物はいかがでしょうか?」
別の女性侍従の方が銀色のきれいな盆の上にとても透明な瑠璃の杯を持って私達に差し出す。杯の中は白葡萄酒だろうか?
「僕は遠慮させてもらいます。風華さんは?」
「私もまだ遠慮させていただきます」
「もし、ご必要でしたらいつでもお呼びください」
女性はにこやかにあいさつすると他のお客のところに向かう。
「新しい子かい?」
「そうですね、あの子はまだ柚安様にお会いしたことが無かったと思います」
柚安さん、あの子とってもかわいいお顔をしてましたよ。あの緑の目をした子はいかがですか? 私と交換しません? でも代わったら絶対に盆を落とす自信があります。
そんなどうでもいい事を考えていると、高規さんと柚安さんはそのまま奥の階段の方へと歩いていく。え? ここで案内を待たないんですか? もしかして私は前菜ですか? 今ここで食べられちゃうんですか?
「皆は奥かい?」
「はい、まだ少しお時間がありますので、居間でお待ちです」
「では風華さん、先に僕の家族を案内しよう」
「はい。えっ!」
ご家族ですか……えぇええぇえ!
* * *
柚安さんに続いて階段を登る。右手に折れるときに一瞬だけ階下の様子がちらりと目に入ったが、玄関広間に居たほぼ全員がこちらを見ているのが分かった。
なんだろう。似たようなのを前に感じたことがあるような気がする。そうだ、実季さんを救おうと森に入って黒犬の群れに狙われた時だ。この下にいる人たちは黒犬並みという事? 人も十分に恐ろしい。
そもそも何が起きているのか自体がよく分からない。柚安さんはこの間の私の借りで、この休暇中に私を好き勝手にできる。まあ柚安さんも男ですから、好き勝手される我が身を横に置いておくとして、そういう事をして遊びたいというのを理解しようと思えば理解できなくはない。分かったからってなんだという訳じゃないですけどね。
でも家族に紹介するというのはさっぱりです。だってこれから好き勝手しようという女の子を親に紹介する人っています? もしかして、肉屋の乙女小説の下品な方と同じ筋で、お父様とやらも似た趣味を持っているとか?
急に背筋に冷たいものを感じてきました。正直もう逃げ帰りたくなって来る。
柚安さんは、右手に折れてすぐの廊下の両開きの重厚そうな戸を軽く叩くと、おもむろにその戸を開けて私を中へと招き入れた。柚安さんに続いておそるおそる頭を下げながら中へと入る。
「柚安、本当に連れて来たのね!」
部屋に入るや否や、女性の驚く声が耳に入って来た。
「姉さん、今年は遅刻しないで間に合いましたよ」
「今はそんなことはどうでもいいの。早く私にそちらのお嬢さんを紹介してちょうだい」
「風華さんです。私の城砦での同僚の方です」
「初めまして、風華と申します。よろしくお願い致します」
とりあえず、丁寧に頭を下げます。あれ、こういう時は裾を持って挨拶かな? 間違っていたら許してください。
「こちらこそ初めまして風華さん。私は柚安の姉で、柚衣と申します。本日はお忙しいところわざわざお越しいただいて、ありがとうございます」
おそるおそる頭を上げてみると、目の前に背の高い灰色というよりは銀色の長い髪の女性が、にこやかな笑顔で立っています。何て事でしょう!ここにも女神様はいました。生きている間にお会いするのは二人目です。
「柚衣様、こちらこそ本日はお誕生日会にお招きいただきましてありがとうございます」
「風華さん、お願いですから、『様』なんてつけないでください。どうぞこちらにお座りになって。三和さん、お茶の用意を。それとすぐにお父様とお母様を呼んできて。どんな大事な話より大事な要件だと伝えてちょうだい」
「はい、かしこまりました」
部屋に控えていた初老の女侍従の人が、別の出口から出て行った。
「風華さん、その首飾りと耳飾りがよく似合っています。柚安から装身具を借りたいなんて先触れが来てから、もう今日はそわそわしっぱなしでした」
「姉さん、それはおおげさじゃないかな? そわそわした姉さんなんて見たことないけど」
「貴方が女性の方を家に連れてくるなんて、初めてのことですからね。そわそわしない訳がないでしょう」
「え、そうなんですか? 柚安さんは女性の方にもてもてだとばかり思っていました」
「風華さんもそう思う? 姉の私から見ても、この子はかわいいかをしていると思うのだけど、女性に興味がないというか、むしろ鬱陶しいと思っているのよね」
いや、柚衣さんみたない女神様のお姉さんがいたら、周りの女性がみんな芋に見えるのは仕方がないような気がします。
「姉さんは僕を何だと思っているんですか?」
柚安さんがちょっとすねた表情をする。この人ってこんな表情も出来るんだ。
「とってもかわいい弟です」
かわいいですね。その点は私も同感です。
この人達は私なんかから想像もできないくらいのお金持ちなんだろうけど、なんとなく私の周りにいた人達と同じ何かを感じることができる。二人ともとっても仲良しな兄弟なんですね。
うらやましいな。私にも兄弟か姉妹がいたらな。まあ今の私にも黒娘という妹の様な、妹とは思えない様な奴が居ますけどね、でもあれとはこんな会話は絶対に無理です。
「風華さん、その耳飾りと首飾り、とっても似合っているわよ」
「ありがとうございます。とっても大事なものだと思いますが、お借りできてとても光栄です。でもすいません。耳飾りは片側だけつけさせて頂きました」
「あら、じゃ左につけているのは?」
「大事な人にもらいました。そしてこれは私の覚悟です」
私の言葉に柚衣さんが頷いてくれた。
「流石は城砦のお嬢さんね。下にいる箱入りさん達に爪の垢を煎じて飲ませてあげたいぐらいよ」
「それは絶対にお腹を壊すから、やめた方がいいと思います」
「そうなの?」
「絶対に壊します」
二人で思わず笑ってしまう。柚衣さんって見かけは女神様みたいだけど、なんて気さくな人なんだろう。そう言えば世恋さんもそうだったな。何せいきなり恋話を仕掛けてきましたものね。
「柚安!」
「父さん、母さん、先ほど戻りました」
父さん、母さん? 私達が入って来た反対側の入り口から初老の男性と女性が連れ立って入って来た。女性はすこしふくよかな感じで、多門さんがおばさんと呼んだ方と似たような感じの女性だった。男性は柚安さんというより、柚衣さんとよく似ている。背が高くて銀髪の男性だった。
「こちらが、柚安がお連れしたお嬢さん?」
女性が口を開いた。よほど急いで来たのでしょうか? ちょっと上気して息が上がっています。
「母さん、そうよ」
柚衣さんが私の方を指し示す。私も慌てて椅子から立ち上がった。
「初めまして、風華と申します。本日はお招きいただきまして、ありがとうございます」
とりあえずは丁寧にお辞儀あるのみです。この後どうなるかはもうさっぱりですけどね。
「こちらこそ、わざわざおいでいただきましてありがとうございます。柚安と柚衣の母で柚月と申します」
女性が丁寧に私にお辞儀をしてくれた。私のような下々に丁寧に接してくれるとは流石大店の奥さんです。私も見習わないといけません。
「風華さん、私は父の安莉です。ちょっと変わった名前ですが、もともとは「高の国」の人間です。どうかお見知りおきを」
安莉さんが右手を胸にして私に挨拶してくれた。この方もとてもかっこいい方ですね。
「風華と申します。本日はお招きいただきまして、ありがとうございました」
一応、裾を上げて挨拶させていただきます。今日は魔法がちょっとだけ効いているから、様になっているといいな。
「どうぞ、お座りになってください。柚安、女性の方をお連れするなら、何故先に伝えておいてくれないんだ」
「お父さんの言う通りですよ。おかげでこの年で廊下を走りました」
いや、元八百屋のしがない冒険者もどきですから、先に伝えるような者では決してありません。
「風華さんは?」
「はい、城砦で一応は冒険者をさせて頂いております」
「これはこれは。こんなかわいい冒険者のお嬢さんがいたとは」
「お父さん、風華さんに失礼ですよ。口を慎みなさい」
「そうですよ、父さん!風華さんに謝ってください」
あの、柚月さん、柚衣さん、安莉さんは正直な感想をいっただけだと思いますが……
「風華さん、これは大変失礼な事を申し上げてすいませんでした。ですがかわいいという点については特に訂正はいらないと思っています」
安莉さんが私に片目をつぶって見せる。うん、いい人だ。
「お父さん!」
柚衣さんが安莉さんに本気で怒って見せる。私も娘をやっていましたからね。どこでもお父さんは女性陣には弱いんですね。でも皆さん仲良しですね。とってもうらやましいです。
「父さん、母さん、姉さん。今日風華さんに家まできてもらったのにはちょっと理由がありましてね」
「どうした柚安、あらたまって」
「風華さんに正式に交際を申し込むつもりです」
えっ!? 今なんて言いました?
「柚安!」
安莉さんの口から声が上がった。ちょっと柚安さん、皆さんびっくりした顔をしてますよ。いや私もびっくりですけど……柚衣さんなんて口に手を当てて今にも息が止まりそうな顔をしてます。
「風華さん、申し込んでもいいよね?」
柚安さんはそう言うと私の顔を覗き込んだ。柚安さん、今日の私は貴方に「否」はないですけどね。それが私があなたにした約束です。
でもこれはだめです。
私はあなたと約束したのであって、ここにいる皆さんと約束したわけじゃないです。
「柚安さん、これはだめです。これはだめなんです」
「風華さん?」
柚衣さんが不思議そうな顔をして私を見る。
「私は貴方に借りを返す約束はしました。どんな事でもいう事を聞くと約束しました。でもだめです。それが貴方のご家族をだますことになるなら、私に『はい』はありません」
こういうのはあいまいにしちゃだめだ。すべてはっきりさせないと。椅子から立ち上がって、深紅の絨毯に手をつく。
「安莉さん、柚月さん、柚衣さん、私は柚安さんに大変大きな借りがあります。柚安さんに無理、いや、無茶苦茶なお願いをして、私達の大切な方の命を救って頂きました。本当に感謝しています。そのご恩は本来はとても何かで返せるものではありません。でも私はそれを何とか返せるものなら返したいと、柚安さんのお願いをすべて聞き届けるという約束をさせて頂きました」
頭を床にこすりつける。
「柚安さんごめんなさい。でもこれは駄目です。私にはみなさんを、こんな素晴らしい柚安さんのご家族を偽ることはできません。そして柚衣さん、本当にごめんなさい。せっかくのお誕生日会を台無しにしてしまって、本当にごめんなさい」
どんな非難でも甘んじて受けます。
「風華さん、頭をあげてください」
柚月さんの声だ。
「そこのバカ息子、何をしているの? さっさと風華さんの手をとって、椅子に座らせてあげなさい」
誰かが私に手巾を差し出してくれた。柚衣さんだった。白いきれいな花の刺繍が入った手巾だ。
「本当。この馬鹿な弟が無理を言ってごめんなさいね」
「謝るのは私です。私は絶対守ると言った約束を破りました」
「この子は子供の時みたいに、お尻を100回ぐらい叩いてやらないとだめなようね」
「母さん、それはひどいな」
「酷いのはお前です!こんな素晴らしいお嬢さんをこんな目に会わせるなんて、母として穴があったら入りたいぐらいです」
柚衣さんが私の手をとってくれて、安莉さんが曳いてくれた椅子に座らされた。みんないい人達だ。本当にごめんなさい。
グ~~~~~!
「ん!?」
なんでこんな時に鳴るんだ!
「今の音は?」
「すいません、気にしないでください。多分私のお腹です」
皆さんがおやっという顔をしたかと思うと、皆で大笑いをしている。柚衣さんなんか目に手巾を当てて笑っていた。もう、恥ずかしくて穴があったらこちらが入りたいです。耳の後ろが燃えまくりです。
「はははは、これは大変失礼した。まだ何もお出ししていなかったね」
「柚安、もしかして食事もしないで、朝からずっと連れまわしていたの? 風華さん、気の利かない弟で本当にすいませんね」
柚衣さんが本当に申し訳なさそうな顔をして私を見る。そして柚安さんの方を睨んだ。いや、私が後で良いと言っていただけでして……
「三和、すぐに食事をお持ちして」
柚月さんが背後に控えていた侍従さんに声を掛けた。
「はい奥様。承知致しました。すぐにお持ち致します」
「母さん、家族でこんな楽しい時間をすごしたのは一体いつ以来かな?」
「さあ、一体いつ以来かしら。本当にごめんなさいね風華さん」
「風華さん、あなたがうちのバカ息子とした約束とやらが何かはよく分かりませんが、貴方がここまで来ていただいた分で、それは十分に果たされたと思いますよ。いや十分過ぎです。もう忘れてください」
「そうよ風華さん。あなたのような素晴らしいお客様を招待できたというので十分ですよ。そうよね、柚安!」
「もう、母さんと姉さんには敵わないな。風華さんも何を勘違いしているんだい。僕は申し込んでいいかと言ったのであって、それを受け入れろなんて言ってはいないだろう? よく話を聞いてくれないと……」
「何を言っているのこのバカ息子。あなたは相手の立場というものの理解が根本的に足りていません。本当にごめんなさいね風華さん。でもあなたをご招待出来て心からうれしいわ。今日はなんて素晴らしい日なんでしょう。バカ息子だけど、女性を見る目は間違って無かったと分かった日なんですからね」
あの柚月さん、私について何かとてつもない大勘違いをしていませんか?
「失礼いたします。あのお嬢様、桐輝様が皆さんがお待ちだと」
女性の侍従の方が、おろおろした感じで部屋の中を覗き込んだ。
「あの人に待たせて、と伝えてください」
「はい?」
「『待たせて』よ。正直なところ、下の人達にはみんな帰ってもらってもいいぐらいよ」
「姉さん、さすがにそれはまずいんじゃないか?」
「いいのよ。むしろ誰が本当のお友達か分かっていいかもしれない。それともこんな楽しい誕生日会を私から取り上げるつもり?」
「姉さんね。これは桐輝さんも苦労するな」
「貴方達、何をごちゃごちゃ言っているんですか。料理が来ましたよ」
三和さん以下の侍従の人達が、とてもいい匂いがする料理の数々を卓の上に並べていく。いけません、また腹がなってしまいます。
「そうだな。こんな楽しい誕生日会を楽しまない訳にはいかないな。では柚衣の誕生日と風華さんとの出会いと祝って乾杯といこうじゃないか」
安莉さんが瑠璃の杯を片手に立ち上がる。
「はい、乾杯は大好きです」
みんなが私を見てまた笑う。私ってそんなに面白いですか?
鳥踊りはどうして受けなかったんだろう? 謎だ?




