塩胡椒
「お腹は空いたかい?」
店を出ると柚安さんが私に問いかけた。
「ちょっと胃はまだ……」
空いたかと聞かれれば、空いているような気もしますが、まだ胃が張っている感じは抜けていない。何かご馳走してくれるつもりでいるのなら悪いので、正直に答えることにします。
「そうだろうね。ちょっと時間も押しているからね。ちゃんとした食事はもうちょっと後にしようか?」
「はい」
一体何が押しているんでしょう。二日も休暇を頂きましたから、時間は十分にありそうな気がするのですが。柚安さんでも世の男性と同じで、こういうのは待てないんでしょうかね?
「では次だ」
「えっ、次ですか?」
柚安さんが私の手を引くと、今出た店の数軒隣の、これまた重厚な真っ黒な樫の木の戸の呼び鈴を鳴らした。いいんですか? 指揮官のお給料がいくらか知りませんが、ここも絶対にお高いところですよ。多門さんに払ってくださいと言ったら、絶対に悶絶すると思います。白蓮など鼻から無理です。
それに通りを歩く人の視線が痛すぎて、よく見ていませんでしたが、周りはすべてりっぱな店構えの、しかも女性向けのお店ばかりです。贅沢に硝子を使って、商品を並べている店なんかもある。うわ、こんな上品な服に鞄なんて、一の街では見たこともありませんし、そもそも縁がないものばかりだ。
歩いている女の人達も、若い子というよりは妙齢の方が多いような気がする。私と年が近い若い子は、ガラスの向こうに並べられた商品を見ながら、何やら楽し気に話をしているのが見えた。憧れっていう奴ですね。よく分かります。
「いらっしゃいませ」
私が周囲にそんな印象を抱いているうちに、戸がゆっくりと開けられた。そして前のお店と同様に、上品な姿をした女性が丁寧に頭を下げる。
「お邪魔するよ。久しぶりだね」
「柚安様。関門にお戻りになられたのですか?」
「まさかですよ。今日はこの風華さんの為にこちらに立ち寄らせてもらました。よろしく頼みます」
「入り口で大変失礼いたしました。どうぞこちらへお入りください」
お店の中はとてもいい匂いがして、私が見たことがないような大きな鏡も据え付けられている。やっぱり、立派な革の意匠を凝らした長椅子と卓も置かれています。
「お飲み物はいかがいたしましょうか?」
「僕は遠慮させてもらいます」
「私も遠慮させていただきます」
毎回飲んでいたら、お手洗いが近くなってしまう。
「どのようにいたしましょうか?」
「本人の希望通りと言いたいところですが、多分遠慮すると思うので、麻夕さんの見立てでお願いします。僕からは一つだけ」
「はい、なんでしょうか?」
「彼女の赤毛がよく映えるようにお願いします」
「承りました。では風華様、こちらへどうぞ」
そう告げると、麻夕さんが私の手を引いて店の奥へと案内した。あの、また裸にひん剥かれるんでしょうか?
* * *
裸にひん剥かれはしませんでしたが、私、風華は天窓からの光がさんさんと降り注ぐ、立派な詰め物をした椅子に座らされております。前には大きな鏡が置いてあり、あっけにとられた顔をした哀れな赤毛の女性を映している。正直なところ、これはどこか見えない所に持っていってもらいたい気分です。
しかも、立派な椅子に座って、何人もの女性の方に囲まれています。色々なものが髪に摺り込まれ、さらに香油のようなものが刷り込まれていく。爪も油のようなものが刷り込まれては、磨かれてを繰り返している。まるで世恋さんに磨かれている黒刃の短剣にでもなった気分です。
柚安さんが麻夕さんと呼んだ女性は、この周りの女性にてきぱきと作業の指示を出しながら、女性たちが持ってくる様々な色合いの液を見て、これにこれを少し混ぜてとか、さらに細かな指示を出している。
「風華様、失礼します」
そう声をかけた麻夕さんが、私の肌の色に一番近い女性の腕を横にもってきて、そこに色見本らしい液を筆で塗っては私の顔と見比べていく。さらにとてもおしゃれなマ石の角灯を持ってきて、その光の下での色合いも見た。今回は裸にひん剥かれて、寝かされている訳ではないので、気になることを聞いてみることにする。
「麻夕さん」
「はい、風華様」
「あの私はこれから何を……」
「柚安様からは何もご説明はなかったのですか?」
「はい。正直さっぱりです」
「柚安様らしいですね。あら、これは柚安様には内緒でお願いします」
麻夕さんが、いたずらっぽく指を口元に当てながら、私に苦笑して見せた。
「はい」
「風華様の御髪と爪の手入れをさせて頂きます。髪には風華さんの赤毛がもっと映える様に、少し色も乗せさせて頂きます。それに合わせたお化粧も少々。少し時間がかかりますので、喉が渇いたとかお腹が空いたりしたら是非おっしゃってください。大したものではありませんが、ご用意させていただきます」
とても親切でいい人らしい。私は麻夕さんに頷いた。
「少し椅子を後ろに倒させていただきます」
首や体を何人かに支えられながら、椅子の背もたれがゆっくりと斜めになっていく。麻夕さんが上から私の顔を覗き込んだ。
「お辛くはないですか?」
「大丈夫です」
彼女の手でゆっくりと頭が髪がほぐされていく。何ですかこれ。とってもいい気分。これはすぐに寝れそうです。
「ご気分はいかがですか?」
「最高です。でもすぐに眠くなりそうです」
「時間がかかりますから、寝ていただいても大丈夫ですよ」
麻夕さんがにっこりとほほ笑んでくれた。なんかいい感じです。この人なら色々と聞けそうな気がする。
「柚安さんって、こちらにはよく来られるんですか?」
「最近は城砦でのお仕事がお忙しいようで、残念ですがこちらにはめったにお顔は出されません。以前はお姉様の付き添いで来られてました」
「そうなんですか?」
「風華さんも城砦にお勤めの方ですか?」
「はい。城砦で駆け出しの冒険者をしています」
「冒険者の方なんですか?」
麻夕さんの顔に一瞬だけ驚いた表情が浮かんだ。まあ、信じられないですよね。本人としても、未だに信じられません。
「失礼しました。こんなにかわいらしい冒険者の方がいるとは存じておりませんでした」
半分は本音ですね。思わずこちらも苦笑いをしてしまう。
「ええ、私も信じられません」
「風華様を見ていると、柚安様がここにお連れになった理由が、少し分かるような気がします」
「理由ですか?」
「はい。私は柚安様がもっとお若い時から拝見しております。これも柚安様には内緒のお話ですが、こちらに女性をお連れになったのは、風華様が初めてです」
「そうなんですか? 柚安さんって、もてもてだと思うんですけど……」
「はい、それはもう。おそらく柚安様がここを出られた後、店の子達はそれはもう大層うるさいことだと思います」
そう言うと、私の手や足の爪などの手入れをしてくれていた女の子達に目をやる。みんな視線を落として集中して作業している風を装っていますが、ちょっと動揺していますよね?
「でも風華さんは柚安様の前で、とても自然にしておられますよね」
「そうですかね?」
このままぱくっと食べられるかもしれない身としては、むしろ覚悟を決めて一緒に居る、と言う方が正しい様な気がします。
「きっとそれが、柚安様にとって居心地が良いのだと思います。少ししゃべりすぎました。ぜひこの件は内密でお願いいたします」
「はい、もちろんです」
まあ、普段から手の込んだ美味しいものを食べていると、さもない料理が食べたくなるのかもしれません。思わずそんなことが頭に浮かぶ。でも麻夕さんと話していると色々な心配事がどこかへ溶けていく気がしてくる。
私も商売人の端くれだったから、お客さんの表情を読んだり、その人の誕生日を覚えてなんて事は頑張ったけど、この人は表面だけじゃなく、きっと中身まで理解して接しているのだろう。元商人としては、私もこういうところは見習わないといけない。
それになんて気持ちいいんだろう。色々なものが汚れとともに落ちていくような気がする……こんな気持ちがいいものがあるなんて、実季さんにも教えてあげたいな。百夜、お前は100年早いです……、
* * *
「風華様、お疲れ様でした。お休みのところすいませんが、椅子を元に戻させて頂きます」
あれ、私って思いっきり熟睡していました? もしかしていびきとかは掻いていませんよね。一応これでも乙女なので、もしそうだったりしたら、とても恥ずかしくて死んでしまいます。
「大変よくお休みでした」
多分かいてましたよね。もう耳の後ろが燃えそうです。ゆっくりと何人かの手で体を起こされる。前にはまた大きな鏡だ。だから、これは何処かに……。あれ、これは誰ですか?
一応確認のため右目をつぶってみる。向こうの右目もなぜか閉じて開いた。
「えっ、え―――!」
思わず悲鳴をあげてしまった。これって私ですか? 麻夕さんは私に、どんな魔法をかけたんでしょうか? あの白蓮ほどではないですが、おさまりの悪かった赤毛は、その面影すら残していない。まさにさらさらです。しかも天窓からの光を受けてきらきらと輝いている。
マナ除けを被って、日の下を歩いているせいか、最近焼けて汚い茶色に近くなってきたのではないかと危惧していた髪の毛の色も、きれいな赤と橙の中間の美しい色になっていた。
それにさっき片目をつぶった女。貴方です。貴方はどこの誰でしょう? 目の周りに描かれた線の効果だとは思いますが、目の大きさが倍ぐらいになっていませんか?
しかも目元のぼかしと、そこにいれられた僅かな朱色が、きつくならずにほんわかした、とてもいい感じを見事に演出しています。小さく引かれた唇の朱も、私の唇を小さく、そしてかわいらしく見せている。
『完璧です!』
いや、これは本当に魔法です。絶対に魔法です。解けたらもうおしまいという奴です。
「いかがですか? 気になるところはありませんでしょうか?」
麻夕さんが私の髪に櫛を通しながら聞いてきた。気になるところなんかある訳ないと思います。というか元の情けない顔を忘れそうで怖いです。
「ありがとうございます。こんな素敵なのは生まれて初めてです。間違いなく魔法です!」
鏡の中の麻夕さんが、私に向かってにっこりとほほ笑む。
「魔法は大げさですよ。化粧はその人の内面を引き出しているにすぎません。風華さんの心を映しているだけです」
鏡の中の麻夕さんが、私へ向かって丁寧に頭を下げる。
「本日は大変ありがとうございました」
何を言っているんですか麻夕さん。すべて麻夕さん達が私にかけてくれた魔法のおかげですよ。それにおかしいです。ありがとうは私が言うべき台詞です。
見ると爪もすごくきれいで透明だ。薄い赤い色をのせたそれは、日の光をあびて美しく輝いている。
「皆さん本当に有難うございました」
「こちらこそ、ありがとうございました」
みなさんが私に頭を下げる。おかしいな、頭を下げたいのは私なのに……素材が素材ですからね、皆さん大変に苦労されたと思います。
案内されて入り口の待合室に戻ると、柚安さんは私が奥にいったときと同じ姿で、手にした本に目を落としていた。
「柚安様。大変お待たせいたしました」
麻夕さんの言葉に、柚安さんが本から顔を上げて私の方を見た。本を閉じると片手で眼鏡を少し動かして、しばし私の方を見つめている。なんですか? すごく恥ずかしいんですけど……。
あ、分かりました。泥のついた人参はそのままでは食べられないから、とりあえずは洗って、そのままだと味気ないから塩胡椒を振ったという事ですね。少しは食欲が湧きました? 私がそんなことを考えても仕方がないか……。
「麻夕さん、ありがとうございました。大変彼女に似合っていると思います」
「柚安様、風華様をお連れ頂きまして、大変ありがとうございました。とてもいい仕事をさせていただきました」
柚安さんが長椅子から立ち上がって私の荷物を持つ。え、そこまでしなくてもよくないですか?
「では、麻夕さん。またお会いしましょう」
「柚安様、風華様、またのお越しをお待ち申し上げております」
またのお越しがあるとは思えないですが、夢を見させてもらっている気分にさせて頂きました。麻夕さん、皆さん、本当に有難うございました。
私は皆さんに深く頭を下げた。




