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御影

「この子です」


 孤児院の事務が一人の男を私の前へと連れてきた。


「君が御影さんかな? 僕は月令というものだ。君のお父さんに頼まれて、君が大人になるまで面倒をみさせてもらう男だ」


 どうでもいいことよ。私には私の世界がある。誰も私の邪魔をしないで。子供の私は心の中でその男に答えた。


「誰とも口を利かない子です。本当にあなたが引き取るのでいいのですか? 一度引き取れば法的な責任が発生しますが」


「もちろんです。私達、冒険者にとって、森で交わした約束はどんな法よりも大事なんです」


 これがあの方との出会いだった。私は田舎も田舎の街の、誰かが酔狂で作ったとしか思えない孤児院にいた。


 後から思い返せば、女の子が引き取られる先など、どこかの貴族の気まぐれか、女衒が適当に嘘をついて引っ張って行く、怪しげなところしかない。いずれにしても、ろくな将来なんてものはほとんどないところだった。


 だけどあの方は森で死を看取った、私の父だという男の死に際の言葉を果たすためだけに、城砦からわざわざ私が居たこの片田舎まで訪ねて来てくれた。


 その男の言葉だって本当かどうかは分からない。その男の勝手な思い込みか、騙されていただけに違いない。なぜなら私の母は娼婦だったからだ。


 ちょっといい関係になった客全員に、私のことをあなたの子供だとでも言っていたのだろう。ここにきて大人から子供から、よってたかって告げられるみんなの陰口、いや正面切って罵倒の言葉があれば、どんなに幼くても、自分が何者なのかは十分に理解できた。


「この子は良い子だと思います。誰とでも口を利く必要などない。特に悪意を持っている相手に、口など利かなくてもいいと思います」


 あの方の言葉に、この施設のろくでもない奴らは何も言い返さなかった。実際のところ奴らは悪意の塊だったからだ。当時の私は本当に子供だった。それなら私もあの方に口を利かなくてもいいのだなんて、とんでもないことを思っていたのだから。


「では、行こうか?」


 そう言うと、あの方は私の前でじっと私が動くのを待っていた。私は苛ついて腹がたった。ここに初めて来る善意の人達に私は人気だった。誰とも口を利かないで部屋の隅にうずくまっている、そんな私は彼らが慈愛とやらをふりそそぐのに格好の対象だったからだ。


 優しくしてやれば、優しいふりをしてやれば、私がにっこりとほほ笑んで挨拶でもすると思っていたのだろうか? そんなことはない。最後には彼らの怒りの対象となり、ここの奴らに蹴っ飛ばされ、食事をしばらく抜きにされた。あの方もそいつらと何も違いはないと思っていた。


 だけど日が陰り夜になっても、あの方は動かなかった。私が我慢できずに手洗いに行って戻ってきても、あの方はそのまま私の前に居た。施設の奴らが来てあの方に何かを言ったが、あの方はそれも一顧だにしなかった。ただ一言、


「待ちますよ」


 と告げただけだ。私はいつの間にか廊下の隅で寝ていた。誰かが私に毛布を掛けてくれている。私達が普段使っている薄い何の役にも立たないやつとは別物の、とても厚く温かい毛布だ。


 日の光が昇って、廊下に日差しが差し込む時間になっても、あの方はまだ私の前に居た。後で私があの方にどうして待っていたのか、辛くなかったかと聞いた時、あの方は笑って私に向かって告げた。


「森の中でマ者を待つのに比べたら、あんなのは苦労のうちには入らないだろう?」


 私はあの方に拗ねて見せた。私をマ者と同じに見ていたのかと。あの方は私の台詞に苦笑いをすると、私の頭をそっと撫でてくれた。


 朝日の日差しが差し込む廊下で、私はあの方の手を握った。あの方は私に頷いて見せると、私の手を引いて施設を後にした。その時の朝日が、あの方の顔がとてもまぶしかったことは、今でも決して忘れることは無い。


 だが私の心の闇はこの方の光なんかより、はるかに暗く深かった。何も信用できない。そう思っていたのだから。


 私があの方と初めて口を利いたのは、いやあれを口を利いたとは言えないだろう。私の声は単なる悲鳴だったのだから。あの方と私が乗っていた乗合馬車が峠で野盗に襲われた時だ。目の前に人の腕が、人の頭が胴体から離れて飛んで行ったのを目にした時だった。


 あの方は何も動じることなく、馬車の天蓋に乗せていた槍を取り出すと、私を背後に隠した。そしてこう告げた。


「怖いかい。だが恐れることはない。私は君を守るためにここに居るのだから。今だけじゃない。これからずっとだ」


 あの方が上着の裾を握っていた私をそっと腕に抱いた。その後、何かがはじけ飛ぶような大きな音が何回かしたかと思ったら、全てが終わっていた。生き残った乗客と、生き残れなかった乗客、それにこの馬車を襲ったものが見えた。


 生き残れた乗客、私達と御者に数人以外は、地面にかつて人間だったものとして横たわっていた。私は胃の中のものをすべて吐き出した。


 それから再び私は黙ったままだった。それ以外を知らなかったからだ。あの方は私に何かを話しかけたり、会話を強要することなく、城砦までの旅路を続けた。そしてある一軒の家の前に来た時にやっと口を開いた。


「ここが私の家だ。そして君の家だよ。お帰り御影」


「た…………」


 私はあの方に感謝を、そして「ただいま」の一言を告げたかった。だが私の喉は何かがはりついたみたいに、何も出て行こうとはしない。ただ声にならない息が漏れていくだけだった。


 だけどあの方は、私が「ただいま」の一言を、必死にその言葉を出す間、ただそれをじっと待っていてくれた。


「……、ま」


 やっと私が言い終えると、あの方は私の頭をそっとなでてくれた。そして私を家の中へと招き入れる。着いたときには高かった日は、私達が部屋に入った時には扉に長い影を描いていた。


 あの方は私に何も急がせたりはしなかった。常にそれが出来るようになるまでじっと待っていてくれた。そして私という空っぽな器の中に、ちょっとづつあの方が満たされていくのを感じていた。


 だけどあの方にはあの人が居た。舞歌姉さんだ。舞歌姉さんも決して私に何か無理強いをしたり、腹を立てたりはしなかった。


 私が作った料理をひっくり返そうが、舞歌姉さんが大事にしていた器を壊そうが……。とても深い慈悲の心と、まるで太陽のような笑顔。あの人は私が持っていない全てを持っている人だった。あの方の心は私がどんなに気を引いても舞歌姉さんの物だった。


 一度はあきらめた。あの方の幸せは私の幸せなのだと自分に嘘をついた。だがあの(山櫂)が現れて、舞歌姉さんはあの男に夢中になった。あの方がいるのにだ!私の中で蓋をしていただけの闇が、深い、深い闇が再び口を開けた。


 あの男は舞歌姉さんの事をあっさりと袖にした。あの方の事を思ってなのか、最初から興味が無かったのかは私には分からない。あの男が城砦を去って、どこかの田舎の普通の女と結婚したという話を聞いて、舞歌姉さんはやっとあの男の事を諦めた。そしてあの方と一緒になり、娘を設けた。


 だけど女の私には分かった。舞歌姉さんはあの男のことを決して忘れてはいない。あの方と子供まで作っておきながら、何てことだろう。そんなことはあってはいけない。許される訳がない。


 私の中の闇はどんどん広く深くなっていった。例えあの方が私に光をむけてくれてもダメだった。闇はすべてを飲み込むのだから。


 私は心を決めた。あの女を、あの裏切者をあの方の側から永遠に取り除くのだと。そして今度は私があの方を救うのだと。たとえどんな手段を使ってでもだ。


 だけど私が行ったことはすべてが無駄だった。いや全てを壊しただけだった。月貞の思惑通りに……。あの方は私の元をさり、私だけがここに取り残された。正しくは私の闇だけがここに残された。


 抜け殻の私にとって、美亜は唯一生きている意味を与えてくれた。あの子は多門の心だけを欲している。そしてあの子には私と違って闇などない。


 日々どうしたら彼の気をひけるか、どうしたら彼の役に立てるか、それだけを考えてひたすらに頑張る子だ。なんてかわいくいじらしいのだろう。あの子は私がこうありたかったと思う姿そのものだった。


 ごめんなさい、美亜。私はあなたを守るために、あなたの一番大切なものを奪わないといけない。それが間違いであることは分かっている。それを知ったら、あなたは私を殺しにくるだろう。


 だけど私はすでに多くの間違いを犯し、すでに自分が望んだのとは違う人生を歩んでいる。そして一度動き出したものは決して止まることはない。


 一度生まれた闇が無に帰ることなどないのだ。そして私の闇は私が生まれた時から私と共にある。たとえどんなに光が私を照らそうとも、消えることはない。それは私自身なのだから。


 そして闇は闇を引き寄せる。月貞という闇を……


 カーン、カーン!


 年の終わりを告げる鐘が辺りに響き渡る。その音に、冥闇卿は瞑っていた目を開けると、辺りを見渡した。目の前には使い慣れた執務室の机がある。そして誰も座っていない二つの机がその向こうにあった。


 三人でここで書類をやりとりしていたのはそれほど前の話ではないのに、冥闇卿にはそれがとても遠い過去の様に感じられた。冥闇卿は机の上の書類を整理すると、立ち上がって扉へと向かう。そしてそれを閉めると一言つぶやいた。


「これにて本年の業務終了ね」

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