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継続

 黒犬の牙を手にしたまま、千夏は白蓮の肩に頭をもたれ掛けて寝ていた。辺りはとっくの昔に闇へと沈んでおり、馬車の車輪が石畳を叩く軽やかな音だけが二人を包んでいる。


 研修所までは大した距離はないのだが、用哲は千夏を研修所まで送るのに馬車を仕立てた。馬車の中には白蓮と千夏だけが居る。


 日帰りとは言え、さすがに疲れたのだろう。その千夏の寝顔には疲労の色が濃く出ている。白蓮としても無限との潜りもきつかったが、今回の創晴との潜りも十分にきつかった。


 男の自分ですらきつかったのだから、久方ぶりに森に入るこの子(千夏)にとっては、体力的にも精神的にもまるで地獄のような厳しさだったに違いない。


 だが、この子の頑張りもすごかった。決して根を上げなかった。だからこそ過酷になったのかもしれない。はぐれの黒犬らしきものを探知したときも、恐怖は十分に感じただろうが、決して自分の役割を投げ出したりはしなかった。僕に対しても黒犬の来る方角やその速さ等を、もたつきながらも必死に伝えてきた。


 創晴さんはさらに彼女に黒犬に対する囮になるように指示した。その後で創晴さんは射撃のために黒犬から姿を隠す動きをする。その時点で彼女からはその姿が分からなくなったはずだ。


 その孤独の中で彼女の探知の力が、耳が、目が黒犬が一直線に自分に向かって来るのを感じたはずだ。耐え切れずに逃げ出したっておかしくはない。


 しかし彼女はそれにじっと耐えた。だが相手の黒犬は老獪だった。一直線に迫ると見せて一度右手に切れこみ、木立の影から彼女を襲おうとした。前方にいた僕には創晴さんの位置が分かっている。奴が飛び込んだ先は、木立と千夏さんの体が邪魔になって、創晴さんから射界を奪う位置だった。


 僕の本来の役割は、創晴さんが急所を外した時の二の手だったが、こうなれば僕の方が近い。笛を吹いて警告した直後に閃光弾を放ち、黒犬がそれにわずかにひるんだ間に奴との距離をつめる。


 さらに笛の音で奴がこちらに注意を向けた瞬間に、喉元に黒刃の短剣を差し込んでやった。そしてそのまま体を向こう側に投げ出す。そこに留まれば黒犬の爪の餌食だ。その直後に創晴さんの放った弩が、黒犬の口からやつの脳天を貫いて止めを差した。


 正直なところかなりぎりぎりだった。千夏さんが創晴さんの動きを理解していれば、身を屈める、あるいは移動するなどして、創晴さんと黒犬の射界を確保しつつ、明確な射点を示す、あるいはその位置に誘導するなんてことも出来たかもしれない。


 しかし初めての森で、はじめて組んだ人達とそれをやれというのはかなり酷な話だ。それに黒犬はここ(嘆きの森)や、追憶の森のような本格的な森でないと、そうそうお目にはかかれないマ者だ。


 彼女がこの森で生き残るためには、これから色々なことを命がけで学ぶ必要がある。そして生き残れれば、彼女が持つ様々な知識と合わせて、彼女を冒険者として成功に導けるかもしれない。ただそこには生き残ることができればという前提が常に存在する。


 この子はそれに耐えられるだろうか? いや、そこまで命をかけて森に潜る必要があるのだろうか? 森に潜るだけが人生ではない。世に暮らす大半の人々は、森なんかに近寄ることなどなく生涯を終えている。それに彼女の知識は別に森に潜らなくとも有効だ。


 キーーー、バン、バン


 馬車の制動板が甲高い耳に障る音を立てると共に、御者が背後の板を叩く音が聞こえた。研修所に着いたらしい。


「千夏さん、起きてください。研修所に着きましたよ」


 彼女は慌てたように僕の肩から顔をあげると、寝ぼけた目で辺りを見回す。そして隣に僕の顔があるのを見てそっと息を吐いた。


「すいません。弟子の身なのにずっと寝てしまってました」


 千夏さんが僕に小さく頭を下げる。


「そんなことを気にする必要はありませんよ。流石に今日は疲れたでしょう。ゆっくり休んでください。明日は反省会と基礎の反復で潜りは無しです」


「はい、白蓮さん」


「ただ、降りる前に千夏さんに一つだけ聞いておくことがあります」


「なんでしょうか?」


「これを続けますか?」


「どういう意味でしょうか?」


 千夏さんが不思議そうな顔で僕を見る。


「今日はたまたま生き残れました。だけど次に潜った時には生き残れるかどうかは分かりません。ここでの鍛錬と言うのは実際は選別に近いんです。生き残れる運があるか、それだけの意欲があるか、そして他の人の足をひっぱらないか」


 彼女の握る黒犬の牙がかすかに震えている。今日、自分がどのくらい危険だったのか理解出来ているのだろうか? ここ探索組での鍛錬というのは、研修組での研修とは全く違うものだ。


 安全を確保しつつ、誰かの技能を確認するためにやるようなものじゃない。全てが命懸けだ。千夏さんだけじゃない。僕も創晴さんも命懸けでやるものだ。


「僕が無限さんとはじめて森に潜った時には、無限さんに渡りの巣に放り出されました。僕が生き残れるかどうかを試したんです」


「渡りの巣にですか?」


 千夏さんが驚いた顔で僕を見る。


「そうです。森はここだけじゃありません。森に入らない生活もあります。むしろそちらの方が普通です。そしてあなたの知識は、あなた自身が森に入らなくても十分に役に立ちます。多くの冒険者を救えます。それでも千夏さんは、自分の命を賭けて森に潜ることを続けますか?」


 そう告げた僕の瞳を、彼女の黒い瞳がじっと見つめる。


「白蓮さんは、どうして森に潜るのですか? どうして冒険者を続けるのでしょうか?」


『えっ、なんですって?』


 まさかそう来るとは思っていなかったな……。僕の場合は単純と言えば単純だけどね。ふーちゃんを助ける手段、そしてその結果の後始末の為に、当分は冒険者を続ける。つまり全てふーちゃんのためだ。


「僕は単純だよ。僕の好きな人を助けるためだ」


「それなら、私の答えも同じです」


 そう言うと千夏さんが僕に頷いて見せた。えっ、どう言うことですか?


「白蓮さんが冒険者を続けて、この森に潜る限り、私は自分の命をかけて一緒に森に潜ります。白蓮さんが冒険者を辞めるなら私も辞めます。私は白蓮さんのお側に居たいのです」


 あの、いつの間にか理由が変わっていませんか? 最初に説明を受けた時には、お祖父さんから受け継いだ知識が理由でしたよね。


「今日も白蓮さんは、私の為に黒犬の前に体を投げ出してくれました」


 だって一緒の組として潜ったんだから、当たり前ですよ。それが組です。


「別に私情が……」


 僕が言葉を続ける前に、彼女が手にした黒犬の牙を自分の喉に当てた。その先には小さく赤い血がにじみ出ている。


「千夏さん、何を!」


「白蓮さん、もし私がお邪魔なら遠慮なく言ってください。私はあなたの前から消えます。そしてもしあなたが私の前から消えたら、私も消えます。それが私の意思です」


 ちょ、ちょっと待ってください。それは卑怯ですよ。絶対に否定も拒否もできないじゃないですか。もうなんだかな。


「分かりました。今日はゆっくり休んでください」


 今日は僕の負けです。美明さん、本当にとんでもない子を紹介してくれましたね。


 本気で恨みますよ。


* * *


 控室に入った用哲は創晴に声をかけた。創晴は下ろした装備を前に一人でじっと座っている。


「創晴、大分気合が入っていたみたいじゃないか? 千夏嬢だけじゃなく、白蓮もかなり来てたぞ」


 千夏を鍛える手伝いとはいえ、久しぶりの森への潜りだ。それなりに大変だったことだろう。だが用哲は創晴が下ろした装備の汚れを見て考えを変えた。こりゃ普通に潜りに行ったのと同じだな。


「用哲さん、やっぱり誰か他を当たってください」


 創晴は用哲の方を見上げると、そう力なく告げた。


「お前にしては珍しく弱気だな。黒犬を一匹狩ってきたんだろ。あの子にはいい記念になったんじゃないのか?」


 用哲の言葉に、創晴は首を横に振って見せた。おいおい、本当にどうしたと言うんだ?


 最初の潜りで獲物を狩ってこれると言うのはかなりのものだ。しかもここ、嘆きの森の最初の潜りで黒犬の牙を持ち帰れたんだ。ある意味、一生の記念じゃないのか?


「どうした、浮かない顔だな。お前迄疲れたとか言うんじゃないだろうな? お使いばかりでなまっていたか?」


 用哲の言葉に、創晴が再び首を横に振った。


「違いますよ。さすがに白蓮や千夏と一緒にはしないでください。とばっちりですよ。白蓮への当てつけです」


「とばっちり?」


「そうです。もう自分が嫌になりました。()()()()のあいつに対する当てつけです」


 そう言うと、創晴は用哲に肩をすくめて見せる。


「単に二人の前で、先輩風を吹かしたかっただけですよ。そもそも、あんなに深くなんて潜る必要はありませんでした。単に二人を危険にさらしただけです。最後は白蓮がうまくとどめを刺さなかったら、かなりやばかったです」


 創晴の言葉に用哲は心の中でため息をついた。本当に不器用なやつだな。心の中でそう思う。用哲から見る限り、創晴がやったことは、二人を鍛えるために真剣に付き合っただけにしか見えない。それも命懸けでだ。


「創晴、その素直さがお前の良さだな。だからきっちり反省している。それがお前がここまで生き残れた理由だ」


「そうですかね? 単なる運だと思いますよ。特に今日はそうです」


 おやおや、今日はずいぶん強情だね。


「そこがお前の悪いところだ。自分に対する評価が低すぎる。俺から言わせれば今日のは悪くはない。そもそもこの程度で死ぬなら、それはそれで仕方がない。他の奴の足を引っ張る前に消えてくれてありがとうだ。そう言えば、同じこと大分昔にお前にも言ったな?」


 こいつは昔の俺に似て来たな。いや仁英か? あの頃の俺達は無限さんにあこがれて、バカばっかりやってはぶっ飛ばされていたな。


「そうですね。忘れてました。何度も死にかけ、いや殺されかけました」


 おいおい、殺そうとはしてないぞ。まあそれに近い目にはあったと思うけどな。


「あの嬢ちゃんだって、ここで生きていきたいからあの店で働いて迄ここに残ったんだろう。甘い奴をやって、勘違いなんかさせて帰ってきたら、俺がお前をぶっ飛ばす。そのせいで何人死ぬと思っているんだ? ここは嘆きの森だぞ」


「そうですね。新種騒ぎで浮かれてました」


 ちゃんと反省できる。そこがお前の本当にいいところだ。


「どうする、止めるか?」


「いえ、俺自身の為にも続けさせてください。色々な事に鈍感になっていました。ただ、一つだけいいですか?」


「なんだ」


「白蓮から千夏に、続けたいかどうかだけ聞いてあげてください」


 自分で聞け。どうしてここの奴はマ者の相手はできても、人間の女には奥手なんだ?


「お前が直接聞けばいいだけだろうが?」


「俺じゃだめです。本音を言える奴から聞かないとだめです」


 創晴、成長したな。自分以外の事もきちんと考えられるようになった。生き残れれば、お前は無限さんの跡を継いでいい組頭になれる。


「分かった。俺から白蓮に言っておく。そう言えば年の瀬の打ち上げについて回覧が回ってきてるぞ。今年もいいところでいいかどうかの確認らしい。まあ、無限さんの意向もあるから、誰も駄目とは言わんけど予約の都合があるらしい」


「正直なところ、あの子を見ていた方がよっぽど幸せなんですけどね」


 本音だな。用哲は思わず口元が綻んだ。


「仁英さん、美明姉さんにもう一人ぐらい裏に隠していないか聞いてください」


 創晴が部屋の反対側に居た仁英に声をかける。創晴、そこを他人に頼るようじゃまだまだだな。


「ばかやろう!俺がもう予約済みだ」


 こいつ(仁英)は、創晴と違って全く成長していない。


「なんですかそれ?」


「ちなみにお前が予約しても三番目だな」


「一番目って?」


「無限さんに決まっているだろう」


 お前ら一生一人でいろ!


 用哲は心の中で二人にそう怒鳴りつけると、控室を後にする。だが用哲は娘が自分の誕生日に絵を描いてくれた時と同じぐらいに、とても嬉しそうな表情を浮かべていた。


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