にいにい
「にいにい、これあげる」
幼い美亜が俺に積んだ花束をくれた。美空は邪魔になるからと言って、妹をあまりつれて来たがらなかったが、美亜はあの手この手で美空に引っ付いて一緒に来る。
俺が美空の剣術だかちゃんばらだかよく分からない稽古の付き合いをさせられている間に、この子は野原で花束を集めていたらしい。俺が彼女の赤毛をなでてやると、美亜はにっこりとほほ笑んだ。
「多門は美亜に甘すぎよ!」
木剣を片手に持った美空が文句を言うのが聞こえた。このぐらいいいじゃないか。彼女が積んだ黄色い花を鼻先にもっていく。きっといい香りがするだろう。なんでだろう。香りがしない。俺の鼻が馬鹿になったか……
* * *
多門は寝台から起き上がると、頭に手をやった。こめかみの辺りがズキズキと痛む。いつの間に俺は寝てしまったんだろう。椅子に体を預けただけだったのに。
「桃子の仕業か」
多門の口から思わず独り言が洩れた。つまりあいつは完全に向こう側の人間という事だな。おめでとう。これで完全に俺と同じになったな。これからの人生は退屈はしないだろうが、気が休まるときもないぞ。
それに一体どれだけ時間がたったんだ? 辺りは完全に明るい。少なくとも朝の気配など何処にもない。もう夕方に近い様な気配だ。美亜と同じ組だったやつらを逃がすには十分な時間だ。
多門は心の中でため息をついた。ちょっと前の俺なら、すぐにでも桃子を始末に行くところだ。もっとも今はそんな気すら起きない。俺は一体どうしちまったんだ。
「それは、本当か?」
「川向うから先触れが届いてます」
「まだ、二日もたってないんだぞ。いくら事務方が緊急要請を認めたからって……」
何やら周りがうるさい。多門は宿直室を出ると周りを見回した。影の長さを見ると、やはりもう近場に出た戻り組がちらほらと返ってくる時間だ。事務官が多門を見て何か言おうとしたが、多門の纏う気配に気後れしたのか、何も言わずに書類に目を落とした。
『命拾いしたな』
昔の俺ならここにいるやつ全員を、まとめてあの世に送ってやるところだ。
多門はそのまま監視所を出ると渡しの方を眺めた。戻り始めの時間だというのに渡しのあたりに人が群れている。先程の喧騒はどうやらそこが原因の様だった。
どこかの国の偉い奴でも物見雄山で視察にでも来たのか? 多門は一瞬だけそう思ったが、すぐにそうでは無いことに気がついた。森の方からもいくつか狼煙が上がっている。緊急要請に対する回答だ。別の犠牲者でも出たのだろうか?
「無限さん? また探索組か?」
「違う、無限さんは『助け』らしい」
「今度はどこの組だ」
「分からん」
「昨日の特演とも関係があるのかな」
多門の横を何人かの男が話しながら通り過ぎていく。その姿をぼんやりと眺めながら、多門は自分が次に何をすべきかを考え始めた。そうだ美亜の亡骸はどうする。せめて体の一部だけでも回収してくれるようにお願いしないといけない。
美空の墓には何もはいっていない。美亜の墓には何かを入れてやる必要がある。絶対にだ。文句があるなら俺が自分で行く。嫌と言うならその時こそは、森に居る全員をあの世に送ってやる。
『やはり俺はおばさんと同じだな』
多門は自分自身に対して苦笑した。渡しに向かう男達に引き寄せられる様に、体が渡しへと向かっていく。こんなところに居るよりも、一度事務所に戻っておばさんと話をつけないといけないのだが……
「見えたぞ!」
「あれか?」
「あれ、同じ奴じゃないのか? やっぱり探索じゃないのか?」
渡しに浮き橋が付くのが見えた。あのでかいのは嫌味男か? お前達、こんなところで何をしている? 誕生日会とかいうのをしていたはずだろう。
「おい、探索組じゃなかった。赤毛組だ!医者はどこだ。先触れをおくっただろう。さっさとこっちに来い!お前ら道を空けろ。ぶっ飛ばすぞ」
渡口の所で無限のおっさんが喚き散らしているのが聞こえる。どうして旋風卿と無限が一緒にいる? 赤毛組? あれは赤毛の彼氏か? 背中にいるあの黒いのはまさか百夜か? 一体何が起きているんだ!?
多門は渡口に向かって走り出した。だがそこには大勢の人間が居て中々前へは進めない。
「どけ!」
「何しやがる!」
「監督官だ!道を空けろ!」
『お前ら全員邪魔だ!』
多門は自分の前にいるやつらを全部突き飛ばすと、渡しの桟橋へと辿り着いた。間違いない。お誕生日会に居たはずの赤毛組の面々に無限のおっさんだ。あのでかいのが背負っているのは何だ。もしかして奴らは美亜の亡骸を持って帰ってきてくれたのか?
「医者はどいつだ? さっさと来い!ぶっ殺すぞ!」
医者? 多門の横を担架を持った救護組のやつらが通り抜ける。救護組?
「皆さんご無事で!」
いつの間にかそこには実季までいる。でかい奴の背中から、泥にまみれてはいるが、見慣れた姿が担架へと下ろされた。
「お前達!」
「お、うるさい奴。丁度いいところに来た」
「美亜!」
「まだ生きてるぞ」
百夜が多門に向かって告げた。
生きている。美亜がまだ生きている!お前達が助けてくれたのか?
「患部の消毒と固定は終わったか? 監視所の救護室まで運ぶぞ!」
「お前達、ちょっとだけ待て」
百夜が看護組の連中を呼び止めた。そして多門の袖を引くと、担架に乗せられた美亜の所まで引っ張った。
「小娘」
その言葉に反応したのか、美亜がうっすらと目をあける。良かった。まだ意識はある。
「室長」
消え入るような声が多門の耳に届いた。小娘、お前にはそんなしゃべり方は似合わないぞ。
「にいにい……愛してます。ずっと好きでした。姉さんが生きていた時からずっと……」
多門は美亜の頭をそっと撫でた。その手に何か温かい物が落ちる。美亜、すまなかった。俺は俺自身を、俺の足元にあるもっとも大事なものをずっと見逃していた。そして自分自身をずっと偽っていた。
『お前……左手……』
「もういいですか!止血をちゃんとしないと」
「つんつん女は満足した。行っていいぞ」
担架を呆然と見る多門の横に、多門より頭一つ以上は大きい人影が立った。
「少しだけ遅かったようです。残念ながら五体満足とはいきませんでした」
旋風卿は申し訳無さそうに多門に告げた。多門はその言葉に首を横に振って見せる。何を言っている。あんた達は美亜の命を救ってくれたんだぞ!
「そこを開けろ。応急が終わったら城砦に運ぶぞ。救護用の馬車を監視所に横づけしておけ!」
美亜を乗せた担架が監視所までの坂を登っていく。何かが多門の上着の袖を引っ張っていた。
「うるさい男、これでいつぞやのお願い分はなしだ。いいな」
多門は百夜に向かって頷いた。もちろんだ黒いの。お願い分どころじゃない。お前達は俺の命の恩人以上だ。地面に頭をこすりつけて感謝する。
* * *
「白男、お前が我の餌を忘れてきたことは絶対に忘れんからな!」
「それはもう何度も謝ったでしょう。それより絶対に歯型が肩についていますよ」
本当にこいつらはなんてうるさい人達なんだろうね。歌月はそういつもと同じ感想を抱くと、二人に向かって口を開いた。
「お前達、うるさいよ。静かにしな」
歌月がそう言って口に手を当てて見せると、白蓮と百夜は互いに顔を見合わせた。歌月が二人に向かって居間の方を指さす。食卓一杯におかれた食事の数々のむこうで、赤毛の少女が長椅子の肘に頭をもたれかけて寝ている。
「ずっと寝てなかったんだよ。それでも大張り切りでこいつを作って、やっと寝たところだ。驚かせると心臓がとまっちまうかもしれないじゃないか?」
黒いのが手で口から垂れたよだれを拭っている。この子は相変わらずだね。どうぞ好きなだけ食べな。
「白蓮、お前が起こしてやりな」
「泥だらけですけど……」
「つべこべ言うんじゃない!」
「はい!」
白蓮は歌月に向かって慌てて答えると、赤毛の少女のそばへ向かった。そしてそっとその肩へと手をやる。
「ふーちゃん、ふーちゃん。起きてください。戻りましたよ」
歌月はその姿と台詞に思わず大きなため息をついた。この男は本当に間抜けだね。もっと粋な台詞というのは言えないのかい?
その声に風華が目を開けると、ぼんやりとした顔で自分を起こした男の顔を見た。
「白蓮!本当に無事でよかった!美亜さんは、美亜さんは……」
「生きてますよ。大けがはしてますけど、多分大丈夫です」
そう告げた白蓮が風華に向かって頷いてみせた。赤毛の少女の目から大粒の涙がポロポロと流れ落ちる。
それを見た歌月の目にも思わず熱い何かがこみ上げて来た。風華、良かったね。たまにはあんたからも抱き着いてやりな。じゃないといいところの女に取られるよ。
だが風華はすくっと立ち上がると白蓮の方を向いた。
「白蓮、馬車を借りて見舞いに行くよ!」
そしてそう告げるや否や、白蓮の手を引っ張って納屋の方へと向かおうとしている。
歌月はその姿に思わず苦笑した。風華、溜息が出るね。あんたも少しは、いいところの女を見習いな。




