赤毛組
「お前みたいなやつがいると、この浮橋が沈んじまうんじゃないかと心配になるな」
そう言うと、角灯を手にした無限は中央に陣取った旋風卿を仰ぎ見た。小柄な無限と旋風卿が並ぶとまるで大人と子供に見える。
「大丈夫だと思いますよ。何度も乗ってますからね。でもその時は妹と二人だけです」
「おいおい頼むぜ。しかし事務方を動かすなんて、あの赤毛の姉ちゃん、とんでもないことをしてくれたな。一体あいつは何者だ?」
無限の問いかけに、旋風卿は軽く肩をすくめて見せた。
「ただの赤毛のお嬢さんですよ。それ以上でもそれ以下でもない。ああ、そう言えば冒険者でもありましたね」
「白男、我の餌はどこだ」
二人のやり取りを全く無視している百夜が、白蓮が持つ背嚢の中に手を伸ばそうとする。
「百夜ちゃん、勝手に背嚢を漁ってはだめですよ。では行ってきます。ふーちゃんにもよろしく言っておいてください」
白蓮が岸に残った千夏と実季に手を振った。
「赤娘にこれは貸しだと言っておけ!」
白蓮から背嚢を取り上げられた百夜が、機嫌悪そうな声を上げる。
「承りました。お気をつけて行ってください」
その姿に苦笑しつつも、実季は百夜に頷いて見せた。
「無限さん、白蓮さん、皆様、ご無事を祈っています」
千夏は両手を顔の前に組んで祈るように声を掛けた。
「創晴、この子は研修所じゃなくて、組事務所の宿直に詰めてもらえ。荷物は研修所から誰かに取って来させろ。下着とかもあるからな、お前じゃなくて女の誰かを行かせろよ」
「はいはい、無限さん了解です。お気をつけて」
創晴はさも鬱陶しそうに片手をひらひらとさせながら、無限に向かって答えた。荷物の運び込みも含めて、全ての準備は完了している。
「では『赤毛組』の皆さん、出発です。急ぎますから落ちないようにお願いします。救援者が遭難者になっては物笑いの種ですからね」
旋風卿が対岸に向かって張られた綱を引くと、浮橋は向こう岸に向かってゆっくりと動き始めた。浮き橋の舳先と無限が持つ角灯の灯が闇の中で揺れながら少しずつ向こう岸へと遠ざかっていく。その後ろ姿に向かって岸に残された三人が拳を空にあげた。
『皆が良き狩て手ありますように。そして森が無事に皆を返してくれますように』
浮橋からの返答は闇の中に沈んで、岸に立つ三人からはもう見えなかった。
* * *
「お姉さま!」
実季は監視所から渡口の方に駆けてくる小柄な人影に向かって声を上げた。馬車からここまで走って来たのだろうか? 息が荒い。
「皆は?」
「もう森に潜られました」
「そうね、もう行ったはずだよね。符牒は受け取った?」
「はい、事務方から先触れが回ってきました。『赤毛組』ですね」
お姉さまがほっとした表情を見せた。なんて人なんだろう。事務方を動かして道を開けさせるだなんて。そんなことは考えもしなかった。
「風華、あんたよくやったね」
「歌月さんが先触れを送ってくれたからですよ」
そう答えた風華を歌月はギュッと抱きしめた。本物の姉妹みたいでちょっとうらやましい。私もこんな風に接してもらえる日が来るんだろうか? いや、そんな期待など不要だ。私は何かをしてもらうためにお姉さまの側に居るのではない。
「歌月さん、世恋さんは?」
「あの子はまだ家だよ。色々と後始末というやつがあるから、先触れを送るのを頼んでおいた。あんたの話を聞いたときには、絶対に無理だと思ったけど、私の間違いだったね」
『私も絶対に無理だと思いました』
実季は風華がその考えを述べた時に、歌月同様にそう思った事を思い出した。
「何を言っているんですか、無駄だと思う事でもそれを積み重ねるというのは歌月さんの教えですよ」
その言葉に実季は風華に対する思いを新たにした。私も肝に銘じておきます。お姉さまは私の永遠の師匠です。
「なら、あんたは私をもう超えたね」
「それは無理です。胸の大きさでは絶対に勝てません」
お姉さま!
「ははは、あんたも言うね。そのうちあの黒いのとおんなじで『おっぱい女』とか呼んでくるのかい?」
「歌月さん、それはあんまりです。百夜と一緒にはしないでください」
そう言うと風華は歌月に笑って見せた。本当にこの人の笑顔は周りを和ませてくれる。私の心もこの笑顔にどれだけ救ってもらったのだろう。この方がいなかったら、私は自分の不幸を嘆き、周りを恨むだけの人間になっていた。
「私達が出来ることはここまでだ。戻るよ」
「え、戻るんですか? ここで戻りを待たないんですか?」
歌月の言葉に風華が疑問の声を上げた。
「探索組の無限というおっさんが来てくれたおかげで、私がねじ込むようなものは何も無しさ。助かったよ。それにあんたが監視所で待っていても何も出来ない。他の奴の迷惑になるだけだ。つなぎには実季に残ってもらう。どんなに早くても戻りは明後日だろう」
そう言うと歌月は実季の方を振り返った。実季も歌月に頷いて見せる。その通りだ。お姉さまがここに居たら間違いなく消耗してしまう。
「そうですね。遠いですものね」
風華も残念そうな表情を一瞬見せたが、歌月に同意した。
「あんたにできることは、戻ってきたときにとびっきりの笑顔で迎えてやることだよ。汚れた顔に目の下に黒いのを添える事じゃない。それに少しはうまいものでも用意しておいてやろう。じゃないと、あの黒いのがうるさいよ」
「はい、歌月さん。百夜に食べられるのは嫌ですからね」
風華が顔の前で両手をパンと叩いた。
「では、おいしいものをたくさん用意して待ちましょう」
はい、師匠。ここは私にお任せください。
* * *
美亜は音をたてないように、マナ除けをゆっくりと体に振りかけた。そして砂時計を戻す。一切の無駄使いは出来ない。それでもあの子を見習って多めに持ってきて正解だった。
ゆっくりと移動すれば動けるという考えは甘すぎだった。泥の小山から頭を出している顎達はちょっとした音にも敏感に反応する。その反応の仕方は渡り以上だ。それはそうだろう。渡りは目も使うが、こいつらは音と振動、それに匂いだけで周りを感知している。
こいつらに食われる前にここまで入り込んだのは、こいつらが地面の下に潜り込んでいたのと、兵太さんがもっと大きな音をたててそちらに注意がそらされたからだ。機会があるとすれば、顎がまだ地面に潜り込んでくれるのをじっと待つしかない。
顎は地中や落ち葉の下に隠れて獲物をじっと待つ。なのでこいつらが群れることは無い。ましてや頭を出して周りを警戒するなんてことはあり得ない。
こいつらが頭を出すときは、哀れな獲物に食いつくときだ。渡りは顎の幼生は獲物として狩るが、大人の顎になると関係は逆転する。その場合、狩られるのは渡りだ。
だが顎達はまるで何かを警戒するかのように、泥の山からわずかに頭を覗かせて、あちらこちらへとせわしなく動かしている。私の近くにいるやつだけじゃない。この営巣地に居るやつが同じ動きをしている。ともかく私が今まで見たことも聞いたこともない事ばかりだ。
こいつらが何をしているのかは全く分からないが、入り込んだ時のように、こいつらが泥の中に体を隠してからでないとこちらは動けない。日が落ちた今は奴らの影を辛うじて確認できるかどうかだが、見えなくても時折聞こえる低い振動音から、奴らがまだ顔を出していることは十分に分かった。
それに夜は顎が移動する時間でもある。夜間に奴らが泥の中に潜り込むとは思えない。眠る訳にもいかない。マナ除けの時間をきちんと守らないと、効果が消えて食われるか、無駄に消費して食われるかのどちらかだ。何れも食われる事には変わりはない。
ともかく今は耐えるしかない。そして朝が来てやつらがまた泥の中で眠りについてくれることを祈るしか今は出来ない。
『多門さん、お姉さま、美亜は必ず貴方達のところに帰ります』
そう心の中で告げると、美亜は再び精神を集中して、周りの顎の動きを探り始めた。




