嘘
「なぜ美亜を殺したの?私はあの子を守っていたつもりだったのよ!」
月貞は自分の周りが闇に包まれたことに気が付いた。体の感覚も失われている。闇の中にただ自分の意識だけが漂っていた。
「おや、お嬢。ずいぶんと気がたっているじゃないか。昔と変わらぬかわいい顔が台無しだと思うよ。もっとも僕からは見えないけどね」
「ふざけないで答えなさい。なぜ美亜を殺したの?」
「今日はずいぶんとせっかちだな」
月貞は意識の中だけでため息をついた。まるで明みたいじゃないか? あれは本当にせっかちで不器用な男だ。ある意味では君の同類だな。
「早く理由を言いなさい。理由次第では楽に殺してあげます」
冥闇卿の声が意識の中に直接響く。それはまるで何百もの木霊が繰り返し聞こえて来る様にも思えた。
「おやおや、僕に生存に関する選択権はないのかな?」
「もう十分です。永遠の闇に後悔して死になさい」
闇がより深くなり、意識がその深みへと沈んでいく。ぼやぼやしていると本当に死んでしまうね。
「解除だ」
月貞の周りに世界が、感覚が戻ってくる。見慣れた執務机の向こうで、一人の女性が驚いた顔をして月貞の方を見ていた。
「何で……」
「月並みな台詞だね。せっかくの手品なのだから、もっと拍手喝采してくれるとかしてもいいんだよ?」
そこまで告げてから月貞は首をひねって見せた。まあ、この子じゃ無理か。
「大分昔に僕と約束したじゃないか? その力を僕に向けないとね」
だが月貞の言葉に、目の前の黒髪に黒い目を持つ小柄な女性はただただ当惑の表情を浮かべるだけだった。
『君だって記憶力ぐらいはあるんだろう?』
「その約束はもう果たしたはずよ!あなたは、私をだまして月令様を私から取り上げた!」
その言葉に月貞は思わず笑みを浮かべた。これだけ主観に過ぎない自分の主義主張を、客観的であるはずの事実として捉えられるとは羨ましい限りだ。
「君が望んだことだ。僕はその手伝いをしただけだよ。結果として君が令を手に入れられなかったことは僕のせいではないと思うんだけどな。それについては濡れ切れだと思うよ」
女性の顔が怒りに歪む。
「何を言っているの貴方は? あんたのせいで月令様は私を置いて出て行ったんだ!それに何で……」
ああ、君は僕が君に会った時から何も変わっていないね。令は良く耐えられたな。ある意味純真だとも言えるのだけど、僕にとってはかなりうんざりな類だよ。
「それはね、僕が君についたささやかな嘘の一つだよ、御影」
「私を名前で呼んでいいのは、あの方だけよ!」
月貞は上を向くと天井の染みに目をやった。聞くに耐えない。論点がずれている。それにそれは私の力とは違う。君が勝手に決めた規則に過ぎない。
「約束を果たせば僕の制約は取り除かれる? 君は自分の心の闇とばかり向かい合っているから、他の人の気持ちとか、思惑というのが今だに理解できないんだね」
女性の顔から怒りが消え、再び当惑の表情が浮んだ。そんなに驚いた顔をする必要はないと思うけどね。みんな嘘ぐらいつくだろう? 月貞は心の中でほくそ笑んだ。
「先ほどの質問、美亜嬢の件だけどね。それについても君は僕に感謝すべきだと思うんだ。君の心の重荷を取り除いてあげたんだからね」
「重荷?」
本当に君は分かってないな。月貞は少し苛立たしげに指で執務机を「トントン」と叩いて見せた。
「最近の君は、そうだな、覚悟というものが足りなかったと思うんだよね」
二重間諜だからって君はふらふらしすぎだよ。それが三重だったり、四重だったりしたら訳が分からなくなるじゃないか?
「分かっているとは思うけど、君にあるのはその力という奴だけなんだ。それもかなりちっぽけなね」
彼女の顔が恐怖にゆがむ。ああ、この顔だよ御影。令に連れられて僕が最初に君に会った時の顔だ。
「御影、君から力を取ったら、君には一体何が残るんだろうね?」
君はその時も今も何も変わってはいないのだよ。月貞は目の前に立つ女性に浮かぶ恐怖の色を、心の中で笑い声を上げながらじっと見つめた。
* * *
馬車が到着すると、無限と白蓮はすぐに馬車から飛び降りた。その後ろから丸顔で黒髪の少女も直ぐにその後を追おうとする。だがその少女の腕を一本の手が抑えた。
「千夏さんでしたっけ?」
栗色の目と同じ色の髪を頭の後ろの高い場所で縛った少女が、その手で抑えた黒髪の少女に向かって声を掛けた。
「はい」
「初めまして、私は実季と申します」
実季は目の前でこちらを見ている少女をじっと見つめた。見た目は愛玩人形のようなかわいい顔をしている。きっと男の人はこういう顔が好きなんだろうな。そんな思いが頭に浮かんだ。
もたもたしている時間はない。だがこの子と二人になる機会がこの先あるかは分からない。だから先に確かめるべきだ。
「ご挨拶が遅れましてすいません、私は千夏と申します」
聞き間違いではない。やっぱりちょっと北方系のなまりがある。もっとも受け答えと言葉使いははっきりしている。もしかしたら私なんかより育ちは良いのかもしれない。実季は千夏に対してそんな印象を受けた。
「先ほど、白蓮さんのことを師匠と呼んでいましたけど?」
「はい、私は白蓮師匠の弟子です」
千夏と名乗った少女は何に憚る事もなく、あっさりと告げた。お姉さまからそんな話は聞いていない。それに食事会でもそんな話はしていなかった。
『これはあの男がお姉さまに隠している事!?』
そう言えば、探索組の棟に行った時に、あの男はちょっと慌てた顔をしていた。きっと私に見られたことをまずいと思ったのだろう。
「それは知りませんでした」
「最近の事です。師匠にとても口では言えないところから助け出していただきました。何もお役に立てておりませんが、身も心も白蓮師匠に捧げました」
「身も心も?」
実季の耳には千夏が最後の言葉に力を込めて語った様に聞こえた。なるほどそういう事か。新種を狩れればそれは相当の報奨金が出ますものね。如何にも世の男達が考えそうな事だ。
「はい。すいません、私は何か失礼な事でも申しましたでしょうか?」
こちらを見た千夏が慌てた声を上げる。その声に実季は我に返った。私はまだ未熟だ。お姉さまのことになるとすぐに顔に出てしまう。気を付けないといけない。
「いえ、なんでもありません」
「では、私達は同じような境遇ですね。私もある方の弟子をさせていただいています」
「そうなんですか?」
ええ、あの男にはとてももったいない、それはとても素晴らしい方です。どうかそのまま身も心も捧げ続けてください。お姉さまには私が居ます。
「はい。ではいきましょうか。皆さんお待ちです」
そう言って実季が向けた笑顔に対して、千夏は当惑そうな表情を浮かべながらも、小さく頷いて見せた。




