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緊急

「緊急、北ー1-3-2」


 伝声管を通して、外の見張り員からの声が見張り所に響いた。副組頭の一人と談笑していた遠見卿は、その卓から離れると遠眼鏡を取り出して外に出る。


「例年の渡りの繁殖地のところか?」


 遠見卿も遠眼鏡で位置を確認しつつ、見張り員に声をかけた。


「はい。今年は空だという話でしたけど」


「確か、今日から大店組の最初の狩り手が入ったはずだな」


「はい」


「そこで緊急事態とは、やっかいな奴だな」


 遠見卿は傍らにある、中に通じる伝声管の蓋を開けた。


「下にすぐ知らせろ。こいつは間違いなんかじゃない」


 遠見卿は中からの応答の声を確認すると、伝声管を閉めて再び遠眼鏡を取り出した。そしてマナを集中させると、その煙の向こうで起きていることを探ろうとする。だがその表情は直ぐに険しくなった。


 遠見卿の傍らに立つ物見方の見張員は、その姿を緊張した面持ちで見つめた。


「おい、おい、誰だあそこが空だと言ったやつは。とんでもない密度の気配だぞ。いったいどこに隠れていやがった」


 そう告げると、遠眼鏡を下ろして見張員の方を振り返った。


「事務方を呼び出せ。北1への進入はすべて止めさせろ」


 遠見卿は荒い息を吐きながら叫んだ。仕組みという奴を当てにして私は少しさぼりすぎていた。年という奴は理由にはならない。たったこれだけ探っただけでこのありさまとは。やはりごまかせないか……


『明、音、早耳。無事に帰って来いよ』


 遠見卿はここから見えぬ、限界線の彼方にいる友に呼びかけた。今の森は間違いなく自分達が知っている、いや知っていると思いこんでいた森とは別物だ。


 お前達は森の外で帰りを待つ俺が、いつもどんな思いをしているのか、本当に分かっているのか?


* * *


「実季さん、知らなかったんですか? 桃子さんは多門さんの元彼女ですよ」


 多門は唐突に耳に聞こえて来た話に、口に含んでいた酒を全て吐き出しそうになった。


「え!」


 風華の台詞に、実季は杯を口元に持っていたまま固まっている。


「おい、小娘。お前は一体何を話している!?」


「え、何って桃子さんの話ですよ」


 風華は何も悪びれる事なく多門の方を振り返った。それは分かっている。人の個人的な話を、どうして大声でしゃべっているんだという話だ。だが当の風華と言えば、多門の言葉に首をひねっているだけだ。


『話にならん!』


 桃子もなんで余計な事をこいつに言ったんだ。意趣返しか? いやそんなわけはない。俺はお前に振られたんだぞ!


「誰だ、こいつを酔っぱらわせた奴は?」


 そう告げると、多門は辺りを見回した。


「すいません、多門様。おそらく私だと思います」


 世恋がさも済まなさそうな顔をして手をあげた。だが多門が見る限り、その目は済まないと言うより、明らかにそれを面白がっている様にしか見えなかった。


「あんたな」


 多門は世恋に向かって大きくため息をついて見せた。多門は世恋にせめて一言なにか文句を告げようとしたが、告げる前に誰かが自分の肩に手を乗せたのに気がついた。


「まあ、いいじゃないか。この辺りじゃこんな浮いた話はそうは聞けないしね」


 振り返ると、たわわな胸元を紫の夜会服に詰め込んだ、妖艶としか言えない女性が立っている。それを見た多門は思わずその胸に見惚れそうになったが、頭を振るとその煩悩を振りほどいた。


 自分はこれの中身が見かけとは違う事を知っている。多門はその台詞に対して、


『男が群がって来そうな感じなのに、あんたはそんなにおっかない性格をしてるから、浮いた話がないんじゃないのか?』


と心の中だけで告げた。もしこれが口から出ていたら自分の命は間違いなく無い。


「そうですよね、歌月さん!」


 赤毛の娘がその妖艶な女性に向かって同意して見せた。


「小娘、お前は黙っていろ」


 だが風華は多門の呼びかけを無視すると言葉を続ける。


「もう私も聞いたときにはびっくりです。この多門さんに彼女ですよ」


 小娘、お前は警告と言うものを全く理解していないのか? 多門は風華に向かって、深く、深く、ため息をついて見せた。


「おまえな、俺に彼女がいたら何でそんなにびっくりなんだ」


「え、だって多門さんって、嫌味を言わないと息を吸えませんよね?」


 と、さらに余計な一言をつけ加えた。多門は風華の台詞に思わず膝の力が抜けそうになるのを感じる。お前は、俺のことをあの嫌味男と同じだと思っているのか!?


「そうですよね、実季さん。あれ? 実季さん、何をそんなに手を横に振っているんですか? もしかして火傷でもしました?」


「お姉さま、ちょっとお水を飲んだ方がいいと思います」


 多門の視線の先には、必死に何かを取り繕うとしている実季の慌てた顔がある。その姿に多門は同情を禁じえなかった。


『実季、お前も大変だな。よくこいつの弟子になったな。毎日寿命が縮まないか?』


「おい、歌月特別査察官。だれがこの組の組長だ。これは正式に抗議する」


 誰が責任者だとか聞くと俺になるから、組の問題にさせてもらう。そう告げると多門は周りを見回した。


「なら、すでに抗議済みだね。うちらの組長はあの子さ」


 歌月はそう多門に答えると、何が可笑しいのか、ケラケラと笑い続けている風華を指さした。


「本気で言っているのか?」


 多門は歌月の顔をじっと見る。歌月は多門に向かって何の躊躇もせずに頷いた。


「多門特別監督官殿、これは冗談でも何でもない。この組の組長は風華さ。あの子がいるからこの組は組としてあるんだ。ここに居る全員が分かっている事だよ。だから、あんたにもしっかりしてもらわないと困る。あんな事は二度とごめんだ。あんたにはうちの大事な大事な組長を預けているんだ」


「本気らしいな?」


「多門特別監督官、風華さんは私達の大事な組長です。どうか彼女をよろしくお願いいたします」


 いつの間にか歌月の横に立つ、金髪に青い目をした美しいとしか言えない女性が、多門に向かって頭を下げていた。そして多門に向かって言葉を続ける。


「あの人は私達の大切な宝なんです」


 人形の様に、ただただ見かけだけが奇麗な奴だと思っていたが、どうやら俺の偏見だったらしい。


「僕からもよろしくお願いいたします」


 白蓮も立ち上がると多門に向かって頭をさげていた。ああ、黒いやつだけじゃない。こいつらはみんな赤毛の為に俺に頭を下げてくる。


『お前は幸せな奴だな』


 多門はカラカラといつまでも笑っている赤毛の少女に向かって心の中で告げた。


「多門君!」


 不意に良く知った声が多門の背後から上がった。


『この声は?』


 振り返ると、そこには小柄な妙齢の女性の姿があった。


「おばさん?」

 

「遠見卿から先触れよ。美亜が森に取り残された」


『了解!』


 多門は手信号で暝暗卿に答えると、卓を囲む面々の方を向いた。


「皆さん、せっかくのお誘いですが、私はこれで失礼させていただきます。どうかよい一日をお過ごしください。白蓮君、百夜嬢。本当におめでとう。君達が常に良き狩り手でありますように」


 そして風華、久しぶりに楽しい時間をありがとう。


「皆様が良き狩り手でありますように。本日はお招きいただき本当に有難うございました」


「多門さん!」


 背後から多門に向かって声が上がった


 小娘、今の俺に声をかけるな。今お前の声を聞けば、俺は自分の弱さを思い知る!

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