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司書

「おや、わざわざこんな老いぼれの暇人のところまで出向いてくるとはね?」


「ご無沙汰しております、学心(がくしん)殿」


 戸口に出た老人に向かって、旋風卿が丁寧に頭を下げた。


「昨今はお忙しいと聞いていたので、ご在宅で何よりでした」


 旋風卿の言葉に、老人は追い返すのは無理だと悟ったのか、諦めたように戸口の脇へと体をずらした。


「まあ、ともかく入り給え。君は目立ってしょうがない。おや、今日は妹さんも一緒かい」


 旋風卿が学心と呼んだ老人が手招きした。老人は、ぼさぼさの白髪交じりの長く伸ばした髪を背後で結んで、ゆったりした裾の長い部屋着を着ており、背後から見たら、背の高い老婆に勘違いされそうな感じだ。


「ともかく、座れそうなところに座っておくれ。あまり物は動かしてほしくないが、後で戻してくれるのなら、床にでも何処にでも、適当にどけてもらって構わない」


 老人はそう言うと、もともとは食卓だったと思われる卓の上から本をいくつか床に下ろすと、ふっと息を吹きかけた。卓の上からはまるでかまどの灰のように白い埃が舞い上がる。


 旋風卿は辺りを見回したが、自分が座れそうな椅子などないのを確かめると、


「おかまいなく。それほど手間はとらせません」


 と老人に告げた。背後には黒い御者服を着て、口元をやはり黒い布で覆った少し背の低い御者が続いている。老人が先程「妹さん」と呼んだ人物だ。


「今日はお願いがあってまいりました」


「君にはこの前、いつぞや昔に戦場で受けた恩は返したつもりでいるのだがね」


 老人は革が破けて中の詰め物が顔を出している、ひじ掛け椅子に腰を掛けながら旋風卿に答えた。


「前回の君のお願いだって、私にとっては結構命がけだったのだよ。ああ、それで妹さんか」


 どうやら煙管につめる煙草を探しているらしく、本の背後あたりに手を伸ばしていたが見つけられなかったらしい。老人はあきらめて煙管を投げだした。投げ出した煙管が本の隙間へと落ちていく。


「おや、煙草を探していてうっかりしたことを言ってしまった。君に殺されてしまうな」


 老人が旋風卿に向かって両手を上げて見せる。


「私が殺すまでもありませんね。あなたはきっとこの本たちに殺されますよ」


 旋風卿が部屋の中にうずたかく積まれた本たちに目をやりつつ答えた。老人の皺だらけの顔に苦笑が浮かんだ。


「正直、君のようながたいのいい男にこられると迷惑至極だ。本当に命に係わる」


「ふふ……」


 旋風卿の背後の御者が、可憐な声で思わず含み笑いを漏らした。

 

「お嬢さん、これは冗談じゃないよ」


「学心様、分かっております」


 旋風卿は二人のやり取りをじろりと見ながら言葉を続けた。


「あなたは、帝国、いや帝国以前からのマ者に関する記述の研究者としては第一人者です」


「お世辞とは、君にしては珍しいな」


「まさか、本心ですよ。ある娘が私がお世辞を言ったなんて聞いたら、きっと卒倒すると思います」


「おや、やっぱり君らしくない」


 老人の灰色の目に驚きとも嘲りともどちらとも言えない色が浮かぶ。照れ隠しか手が煙管を探すが、今度は煙管も見つけられなくて、またもや諦めたらしい。


「今日は、あなたにある物が何かについて、ご意見を頂きたくてお伺いしました。こちらです」


 そう告げると、旋風卿は懐から袱紗のようなもので包まれた、ある物を卓の上へと置いた。固い物らしく、それは卓の上で「ゴトリ」と音を立てる。旋風卿は老人の前でおもむろに袱紗を開いて、中のものを露わにして見せた。


「これは……」


 老人から唾を飲み込むような音が聞こえた。


「なるほど、それで君は妹さんも連れて来たのか? 君は相変わらず用心深い男だな」


 旋風卿は老人に向かって頷いて見せた。興奮か、あるいは恐怖からか、老人の体が微かに震えている様に見える。


「だがこれを見せてもらえるのなら、誰かに殺されても一向に構わない」


 そう告げると、老人は卓の上のそれに手を伸ばした。


「これは何処で? いや、出所を聞くべきではないのだろうな?」


「学心殿でも元が何かは分かりませんか?」


「大きさもそうだが、物自体が全く違うようだ。君だって気付いては居るのだろう?」


 学心の問いに旋風卿が頷いてみせた。


「我々が知っているマ石は基本的に正十二面体が基本だ。だがこれは、正四面体に八角形による多面体を組み合わせたような形をしている。確かに、若い個体や老いた個体などで、十二面体がくずれたやつはいる。だがこれはそのような崩れた結果できたものには見えないな」


 そう言うと、学心は拡大鏡の前にそれを置いて、マ石の明かりを引き寄せた。


「アル君、見給え。傷一つないこの漆黒の美しい姿を。マ石の明かりの反射がほとんどない。まるで闇そのものが落ちたかのようじゃないか。見る者の心まで吸い取るかのようだ」


 そう告げると、学心は旋風卿に拡大鏡を覗くように即した。旋風卿がその大きな体をかがめて拡大鏡を覗き込む。


「ああ、そうですね。僅かな反射もきっとついている汚れかなにかが原因でしょうな」


「少なくとも帝国時代にどこかで加工するなり作り上げたりしたものじゃない。まるで王冠につける宝石のようじゃないかね。マ石の王様とでも言うべきものだな」


「調べていただくことは可能でしょうか?」


「言われなくても調べる。禁書庫番と言っても全ての禁書が見れるわけじゃない。だがありがたいことにこの新種騒ぎで、様々な調べ物に関する規則は多少緩和されている。難しいが不可能なわけじゃない。しかし君はこれが何かを知ってどうするのだ?」


 学心の問いかけに、旋風卿が拡大鏡から顔を上げた。


「ああ、言わなくてよい。私の人生も長いわけじゃないが、こんなことが起きるのであるなら、もう少し長生きしてもよいと思ったところだ」


 学心は旋風卿に向けて慌てて手を振って見せた。

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