疑惑
「まだ残っていたの多門君」
桃子に声をかけられた多門が書類から顔を上げた。
「俺もさっさと戻りたいところなんだが、警備方の監督官から、城砦まで書類を運んでくれと言うお使いの依頼が来た。機密保持という奴だ」
「わざわざ多門君が運ぶの?」
「特別がついていても一応は監督官だからな。お前が今ここを離れる訳にはいかないだろう。そのお使いとやらの為に、書類がまとまるのを待っていたという訳だ」
月貞結社長が直々に仕切った吊るしはあっという間に終わり、男の遺体はとっくの昔に棺桶に入れられて、城砦へと運ばれている。月貞結社長も桃子と多門に二言三言ほど声をかけると、あっという間に城砦へと戻っていった。城砦から出向いて来て監獄に残っているのは多門だけだ。
「それは悪かったわね」
「こちらこそ面倒なのを押し付けて悪かったな」
「お互い様と言うところかしら?」
桃子が多門に作り笑いを向けた。
『お前のような根が真面目な奴にとっては大打撃というところだな』
その力のない笑いに、多門は心の中で桃子に声を掛けた。それにこんな事になるなんてお前らしくもない。多門は執行人に警備補、主任代理の調書、調書じゃなくて反省文としか思えない赤毛の御託を思い返してみた。
『ちょっと待て。いくら何でも杜撰すぎじゃないか?』
多門の心に小さく疑念の声が上がった。執行人は子供のお使い以下だ。誰も監視していない。碧真という奴が都合よく現れなかったら、赤毛は今頃どうなっていたことか? あのおっかない姪御に、関係者全員が切り刻まれた事だろう。多分、俺もだ。
だが碧真を監視していたやつは何処にいた? 囚人の碧真ではなくて、先にそいつが止めるべきじゃないのか? 考えれば考えるほど、多門の中の疑念の声は大きくなっていく。
『全部が全部、都合が良すぎないか?』
これじゃまるでここの奴らが揃いも揃って赤毛を襲わせて、吊るされた碧真がそれを助けるように仕向けたとしか思えない。それに碧真の執行人が何で月貞結社長なんだ?
しかも罪状は機密扱いだ。機密の罪の男をわざわざ結社長が吊るしに来る? 何でわざわざそんな目立つことをする必要がある。あの男には色々と裏があったと、わざと言っているようなものじゃないのか?
いったい誰に対する見世物だったんだ? 俺やあのおっかない姪御に対してか? 違うな。俺たちが居たのはたまたまだ。
『ここか?』
あの人は、お前にわざわざ念を押しに来たという事か。そう言う事か。多門は心の中で頷いた。お前はやっぱり鉄の女だ。昔の男の情なんかには流されないという事だな。自分が誰かを、そして自分の上が誰かをちゃんと弁えてやがる。
ちょっと前の自分を見ているみたいだ。多門は心の中で呻いた。だが気をつけろ桃子。お前は俺と同じ深みにどっぷりとはまったぞ。こいつがどれだけ厄介なのかお前には分かっているのか?
「遅いお昼ぐらいは出してあげましょうか?」
無言で書類を見つめる多門を不審に思ったのか、桃子が声を掛けた。その声に多門は我に返る。
「もう出る。気持ちだけ頂くよ」
ああ、帰るよ。ここはお前以外には居心地の悪いところだからな。大人達はなんて奴を俺に頼むんだ。相手が悪すぎだぞ。俺はあの娘をどうやって守る? とりあえず反省文でも書かせることにして、しばらくは俺の目の届くところに置くか?
こいつの動きを見極めてからじゃないと、とてもここには戻せない。多門はそう決心すると机の上の書類を鞄の中に放り込んだ。
* * *
「急な変更は困るな。これでも結構忙しい身なんだけどね」
月貞は学者風の緑の短外套を外しながら、目の前の長椅子に座った男に話しかけた。
「ご迷惑をかけしてすいません。この手の劇は盛り上がりというのが大事でして」
男が月貞に向かって深々と頭を下げた。
「それに手品というのは準備と段取りが大事なんだ。即興でやるものじゃないよ」
月貞が執務机に座りながら、男にさも困った表情を見せた。
「まさかあなた自身に観客の注意をそらす役をやっていただけるとは恐縮至極です。ですがあそこに長くいると、私もお払い箱になったのではないかと心配になります」
「何を言っているのかね。君は私の片腕だよ」
月貞が男に向かって苦笑を漏らした。
「で、何か得られたかね?」
「特に何も得られませんでした。本当に何も知らないのだと思います。あってもまったく気が付いてないのか。いずれにせよ同じことです」
月貞は執務机に足を投げ出すと、男に少し考えるような表情を見せた。
「君のささやきの力でも引き出せないとなれば、どうやら見込み違いというところだね」
月貞はさもうんざりした顔で、男に両手を上げて見せた。男はそれに対しては何も言わずに、長椅子から腰を浮かすと、執務机の上に革の袋のようなものを差し出した。それが執務机に当たって「ゴトリ」と重い音を鳴らす。
「こちらは先にお返ししておきます。監獄でもマナが使えるとはなかなか便利でした。こちらは何処で?」
月貞は男が置いた袋を、さもつまらないものであるかの様に指ではじいて見せた。
「ああ、これかい。大したものじゃ無かったね。ある人からこれがあればマ者を自由に操れると聞いて、アルにわざわざ復興領までいってもらった上に、とある人の墓まで掘ってもらたんだが無駄足だったようだ。使い方が分からない物なら、その辺の石と何もかわらない。君にも手間を取らせた」
月貞の言葉に男が手を振って見せる。
「意外と退屈はしませんでしたよ。なかなかおもしろい子でした」
「おやおや、君まであの噂の赤毛に絆されているのかね?」
「絆される?」
「大人達は皆あの子に夢中だよ。多分、アルもそうだな。それに多門までもだ」
「あの旋風卿に、さらにはあの多門君がですか?」
男の目が大きく見開かれた。
「そうだよ。みんなあの子の味方らしい。お嬢だって怪しいもんだ。それに君までとなると、少し興味が出て来たね。時間があるときにでも一度見に行ってもいいな」
「子供を見る親の気持ちという奴じゃないですか? 私には分かりませんが……」
「ははは、君からそんな台詞を聞くとはね!」
月貞は膝を叩いて笑って見せる。
「それは僕にも分からないよ。でも姪は結構かわいいと思っているんだけどね。あの子は父親より僕に似ているような気がするんだ。それはそうと戻ってきてすぐのお願いで申し訳ないが、壁の国まで行って大司教に会ってきてもらえないか?」
「大司教ですか? 分かりました。でもちょっと遠いですね」
「何言っているんだ元碧真君。君は死んだ人だからね。この辺をうろうろしていると色々と問題があるだろう。もっとも行く前にいくつかのお使いを頼むつもりだけどね」
そう告げると月貞は碧真と監獄で呼ばれていた男に向かって、屈託のない笑顔を向けた。




