恋落ち
「千夏さん、ちょっと」
自分としてはやんわりのつもりで、彼女の体を押し返した。押し返す時に触れた彼女の胸の膨らみに、思わず手を引いてしまいそうになる。無限さんなら、むらむらを通り越して悶絶ですよ。
「いきなり何を……」
また顔を近づけようとしている。先程の柔らかい唇の感触が思い出されて、顔が真っ赤になるのが分かった。あの、もう一度とかいらないですから。もしかして酔っぱらっているんですか?
「白蓮さん、私……」
千夏さんが僕の胸に顔を擦りつけて来る。もう一体何がどうなっているんですか!?
「白蓮、何をこんなところで乳繰り合っているんだい!」
えっ!まさか、そんな。
僕の目の前には革の細履きを履いた長い足と、優美な曲線を描く、とても女性らしい腰が見えた。その先を見上げると、前で組んだ両腕と、それに挟まれた大きな、とても大きな胸が見える。その胸の持ち主は鳶色の目で僕を冷ややかに見下ろしていた。
「う、歌月さん!」
あ、終わった。僕の人生は終わりました。もうふーちゃんに首を落とされる最後がありありと目に浮かびます。
「なんだいここは。探索組というのはこんな馬鹿ばかりなのかい?」
歌月さんが呆れ顔で、床に転がっている探索組の面々を見渡した。
「どちら様でしょうか? 今日はこちら様の貸し切りなんですけど」
美明さんが歌月さんの前に立ちはだかった。なんだろう、目の錯覚だろうか。美女が二人、向かい合っているというのに、何やら火花のようなものが二人の間に飛んでいるような気がする。
「この床に転がっている、こちら様には用がない」
「お、新入りかい。すごい美人だね」
駄目ですよ無限さん。絶対にそのまま寝ていた方がいいです。ああ……もう。
起き上がってお尻に手を伸ばそうとしていた無限さんが、歌月さんの強烈な蹴りを食らって、壁際まで転がっていった。だから、言わんこっちゃないです。
「あんた、うちの客に何してくれるの!」
壁際でピクリとも動かない無限さんを見た美明さんが、歌月さんを指差して叫んだ。歌月さんが差し出された指を横に押しのけて、美明さんの方に一歩前へと進む。気の所為ではありません。はっきりと見えました。眼と眼の間に、雷の様な何かが飛んでいます。
「そっちこそ、うちの組の者に何をべたべたくっついてるんだ。人の物に手を出すんじゃないよ」
歌月さんの言葉に、僕の顔の下に見える千夏さんの顔色が変わる。そして固く握りしめた手で僕の上着をギュッと掴んで来た。
緊急事態ですよ。普通は離れますよね? なんで僕に縋りついて胸に顔をうずめてくるんですか!?
勘弁してください。
「白蓮、表に馬車を待たせてある。さっさとここを出る支度をしな」
「何処までですか?」
「監獄だ。今のあの子にはあんたが必要だ」
「分かりました」
千夏さんには悪いが、ふーちゃんの件と言う事であればお行儀よくしてる暇はない。千夏さんの手を振りほどいて立ち上がった。
「白蓮さん!」
千夏さんが訴える様な目で僕を見る。ごめんなさい。これは僕にとっての最優先事項なんです。僕の生死にすら優先なんですよ。
「千夏さん、今日はお話し出来て楽しかったです。またいつかお会い出来るといいですね」
千夏さんが僕の顔を見あげた。新種の件は後で無限さんや、仁英さんに伝えておきます。きっとしばらくは、いや、もうここで働く必要はないと思います。
「白蓮さん、最後に一つだけお願いです。お名前を、字を教えてもらっていいですか?」
歌月さんは既に扉の外に出てしまっている。すぐに追いかけたいが、名前を書くぐらいの時間はあるだろう。裏に戻った千夏さんが、紙と羽筆を持って来た。
『白蓮』
羽筆で、彼女が差し出した、折りたたんだ紙に書いた。彼女はそれを受け取ると、そっと胸に押し抱いて見せる。かわいい子だ。だが今はそんな感傷を抱いている暇などない。
「また会えます!必ずです」
背後から、千夏さんの声と無限さんのうめき声がした。
* * *
「何なの、あのとんでもない女は!」
見かけは同業者だけど、他の店の者じゃない。あれは相当に腕が立つ冒険者だ。だが腕が立つからって、人の店に来て勝手をしていい事にはならない。
「美明姐さん、今日は本当にありがとうございました」
無限さんの手当てを頼んだはずの千夏が、いつの間にか隣に来て扉をじっと見ている。まだうめき声が聞こえているけど、あんたはちゃんと介抱したのかい?
気のせいだろうか、この子の雰囲気もさっきここに呼んだ時とは別物だ。この目は……。
「色々なものから目が覚めました。自分が何をしたいのかもはっきり分かりました」
なんて馬鹿な子なの。。
仁英さん、ごめんなさい。私は、あなたのところの若手にとんでもないのを紹介してしまいました。この娘はあの坊やに惚れています。
心底、惚れていますよ。




