巡回
百夜も、実季さんも、それぞれ指示された場所に行ってしまって私は一人だ。
相変わらず、念史さんは本を読みながらくぐもった笑いを漏らしている。せめて世間話とかしてくれると助かるんですけど。女性をほったらかしにしないでください。お子さんが居ると言ってましたけど、奥さんから怒られてませんか?
「念史さん、お呼びでしょうか?」
どこかで聞いたことがある、横柄な声が聞こえた。その声に振り向くと、嫌な奴二人組が戸口のところに立っていた
「あ、君達か? 他には?」
本から顔を上げた念史さんが、戸口の方の二人に声を掛けた。
「みんな新種騒ぎで監視所に出向いています。俺達だけ置いてけぼりですよ」
念史さんはしばし考えたような表情を見せていたが、
「他に居ないんじゃしょうがないな。簡単なお使いだし、まあいいか」
そう呟くと、二人に側に来るように手招きした。
「躍人君に珀人君。風華さんに囚人巡回のやり方の説明を頼む。それから申し送りにも書いてあるが、今日も一件予定が入っているから、その点には注意するように。そちらの段取りの邪魔は決してしないこと。いいね。それから、これが今日の定数表に申し送りだ。臨時扱いになるから房の方への記入は不要だよ」
念史さんが帳簿のようなものを二人に渡した。
「はい、主任代理」
「それと言うまでもないけど、前回のような騒ぎを起こしたら、今度こそ監獄は君たちの所属ではなく、収容先になる。温情措置に二度目なんて物はないよ。そもそも一回目だって別筋からの要請が無ければ、君たちは一月ほどは房に収容されていてもおかしくはなかったんだ」
念史さんの言葉に嫌な二人組が頷いた。
「では君達、僕の目の前で握手をして、これまでの件を水に流したまえ」
えっ、こいつらが実季さんに言った台詞を水に流せと言うんですか?
「風華君、僕が言ったことに何か問題でも?」
長い物には巻かれろという事ですね。分かりました。お前達は許しがたいが、長い物の言う事は聞いてやる。
「この間は申し訳ありませんでした」
右足を引いて、上着の裾を持って頭を下げてやる。今の私ができる精一杯の嫌味だ。二人はお互いの顔を見合わせていたが、一応は貴族出らしく、足を引いて、手を前に回して頭を下げて見せた。できればこいつらとの握手は避けたい。
「やれやれだな。まあいいか、では行き給え。風華君、次回の巡回の時には君から実季さんに伝えてもらうから、二人からよく説明を受けるように。終わったらここまで報告に戻ること。忘れるなよ、僕の帰りが遅くなる」
そう言うと、また本に視線を落とした。話は終わりという事だろうか。ちょっとだけ背が高い躍人が私に向かって手招きする。しょうがない。今日は二人が先輩面するのを我慢しよう。何せ後で私が実季さんに教えなくてはいけないのだ。
二人は部屋を出た瞬間に、私に向かって嫌そうな顔を向けて来た。まあ、そうでしょうね。どう考えても根に持ちそうな人達ですから。躍人という、私が頭突きした相手が私の方へ一歩足を向けた。彼の鼻には白い湿布らしき物がまだ貼られている。
「躍人、抑えろよ。ここで騒ぎを起こしたらマジでやばいぞ」
「そこまで馬鹿じゃない」
「おい、風華だっけ? 俺たちが時間を割いてやってんだ。ちんたらしていたら置いていくからな」
子供の喧嘩並みの台詞ですね。もう少し気の利いた嫌味の一つも言えないんですか? 君達は、旋風卿と言うマ者や、多門という見かけが人間の蛇を知っているか? あいつらは息を吐くように嫌味を言うんだぞ。いや、嫌味を言わないと息を吸えないのか?
「おい、聞いているのか?」
もちろん、聞いていないに決まっているでしょう?
「ちんたら出来ないんですよね?」
ここでにっこり笑顔です。できれば両手の人差し指を頬に当ててやりたいぐらいですが、そこまでやるとこちらがあほに見えるので止めておきます。
躍人の耳が赤くなっていく。この程度で感情を露わにするとは、お前は三才の子供か?
「躍人」
珀人とかいう奴がうんざりした顔で、躍人と私の顔を見る。
「二人ともいい加減にしてくれ。俺としてはさっさと終わらせて、宿舎に上がりたいんだけどね」
こいつはちょっとだけは話しが通じるらしい。
「そうですね。さっさと終わらせましょう」
ここでにっこりと思ったがさすがにやめておく。
「基本的に俺達が巡回するのは、短期刑の房と一部の作業場だ。長期刑というか無期の房は、特別な許可を持っている人じゃないとここの人間でも入れない」
そうか、初日も桃子さんが書類を出していたっけ。
「この帳簿にある人数と房または、作業場の人数を確認する。臨時だから本人かどうかの確認はしないが、定時の場合は帳簿の人相、特徴と入っている印に関する情報があるので、それで本人かどうかの確認をする。基本男子房は男が、女子房は女がやる。帳簿に確認した時間、確認した二人以上の人間の署名を書く。それを房がある棟に置いてある簿にも書く。ここまではいいか?」
「分かりました」
八百屋の仕入れと大して差は無い。
「終わったら、主任か主任代理の所に持っていって署名をもらう。それとたまに吊るしの手伝いをさせられることがあるらしいが、俺たちはまだやったことは無い。今日も一件あるらしいから、その準備の邪魔をするなというお達しだ」
近寄るなという事ですね。
「基本的に巡回の時間は一亥(二時間)以内だ。房を回る順番は基本的に毎回変える。今日は臨時だからいいが、定時の場合は躍人が言うようにちんたらやっていると時間が無くなる。それに病気だとか、ここが痛いから今日は仕事ができないなんて事を言ってくる奴もいるから、その余計な時間も勘定にいれてやる」
こいつの説明自体は悪くない。とりあえず頷く。
「じゃ、今日は短い方から回る。俺達二人と一緒だから男子房だ。よだれを垂らすなよ」
こいつ……多門並みだ。
* * *
房の数は思ったより多く、移動するだけでも大変だった。それに嫌な奴二人組は私が女だという事を全く考慮しないで歩いていく。自然と私は小走りにでもならないと二人に追いつけなくなる。そもそもここの構造自体が、ひどく出入り口が限られている上に、すべての建物がつながっているものだから、回るのに時間がとてもかかるのだ。
つまり、房から出た人間が外へ出にくい構造という事なのだが、その仕組みは囚人でない私達にも否応なしに適用される。ちょっとでも気を許すと角の先で二人を見失いそうなぐらいだ。それに動きが速すぎて、正直ここが何処かもよく分からなくなりつつあった。もっとも全部の建物はつながっているのだから、ぐるっと回れば事務棟には戻れるはず。
「え、あいつあの娘に気があるのか? あれは、橋家の奴だろう。大丈夫なのか?」
「奴の方が色香に惑わされているという感じかもな」
二人はどうでもいい話をしながら大股に廊下を進んでいく。こちらは息も絶え絶えという感じだ。こっちはそもそも暗いうちから監視所まで行って、戻ってきてんだぞ。しかも昼間の囚人房の明かりは暗く、足元もおぼつかない。もし囚人がこの時間に房に居れば朝番や夜番で、この時間は寝ているからだ。
二人の姿が角を曲がっていく。せめて角ぐらいではこっちを待ってくれたって罰は当たらないんじゃない?
冬だというのに汗をかきながら廊下の角を回る。ここは特に暗い。油灯だけでマ石の明かりがないんだ。それに人気も無かった。ここの房はみんな作業に出ているんだろうか? 二人の姿がない。あいつらどこにいったんだろう? もしかして、柱の陰からこちらを脅かそうとかしているんだろうか?
「すいません、どこですか?」
大声を出すと息が上がる。声があたりの壁に反響して、私の声はとてつもなく大きく響き渡った。
「ちんたらしてんじゃない、こっちだ」
奥の方ではなく、手前にあった左手に曲がる角の向こうから声が聞こえて来た。多分ですけど。ここは天井が吹き抜けになっているのもあって、声が響きまくって良く分からない。油灯のかすかな火を頼りに奥の方に目を凝らしてみたが、二人の姿は無い。さすがに柱の陰には居ないか。子供じゃないんだから。
角を曲がると、柱の向こうに扉が一つ見えた。あれ、中庭に出るのかな? 中庭を通って作業棟に向かう? 多分そうだ。もしかしてもう扉の向こうにいってしまいました? 本当に女性の扱いがなってない人達ですね。
私は木の扉を押した。だけど開かない。跳ね返された。なんて重いんだ。全身の力で押したらやっと扉が開いて、隙間から明かりが漏れて来た。油灯の明かりだ。外への通路ではないらしい。
全部を開けると大変なので、隙間から体をねじ込んで中に入った。扉は自動でゆっくりと閉まる。ばねでも使っているのだろうか? どおりで重たい訳だ。
中には、仕立ての良い黒い服と帽子を持った男の人達数名が立っていた。あれ、あの二人はどこへ行ったのだろう?
「今日の担当は君か?」
見回りの事だろうか?
「なるほど。分かった。ちょっと時間よりは早いがいいだろう」
私が何か質問をする前に、その人達はすでに何かを理解したらしい。お互いに頷きあっている。
「いつもとは色々と趣向は違うが、これも規則の内と言う事で良いだろう」
この人達は何を言っているんだろう?
「あの?」
「こちらから伝えることは特にない。向こうに従ってくれ。ではこちらへ」
男の一人が私の背後に立ち、奥の扉の向こうに行くように即した。中庭に出るのに、何か規則の様な物があるのだろうか?
別の男が扉を開けると、私は両側に来た男の手によって、扉の外へと押し出された。
* * *
「珀人いいのか?」
「なんてことはない。ちょっと恥をかいて、腹をたてて戻ってくるだけさ」
「しかし主任代理からは邪魔するなと念押しされたぞ」
「遊女に間違えられるなんて、下賤の輩には丁度いいお灸じゃないか? あの身の程知らずめ!」




