長い話
「少しのどが渇いてしまいました。歌月様もいかがですか?体と心の疲れが少しは癒されると思います」
世恋は赤葡萄酒を二つの器に注ぐと、一つを歌月の手に押し付けた。
「ここからは、歌月様はどこまでご存じかは分かりませんが……」
世恋は手にした器から赤葡萄酒を一口含むと、先を続けた。
「歌月様のお父様とお母様は『城砦』で一時期、山櫂様と同じ組でお仕事をされていました。もう一人その組にいたのが、兄の師に当たる方、月令様のお兄様です。正確にはお父様とそのお兄様、お母様の組に山櫂様が参加されるようになったようです」
世恋はそこで羨ましそうな表情を浮かべて見せた。
「月令様とあなたのお母様は幼馴染で大変仲がよかったそうで、将来お母さまと一緒になるとずっと信じていたそうです。月令様って若いころは純真な方だったんですね」
そう言うと、確認するみたいに世恋はそこで言葉を切った。もちろん歌月は何も言葉を返したりはしない。
「でも血は争えないようです。歌月様のお母様は山櫂様に一目ぼれしてしまった。そして山櫂様を熱心に口説いたそうです。さすがは『城砦』の女性です。私も少しは見習わないといけないかもしれません」
母が山櫂さんに惚れていた!?
「やっぱり、ご存じなかったんですか? でも山櫂様は、月令様に遠慮されたのでしょうか? 短い間で組を離れられてこちらの『追憶の森結社』へと移られました。あなたのお母様も山櫂様の後を追いかけようとしたそうですが、風の便りで山櫂様がこちらの方とご一緒になったと聞いてとうとうあきらめたそうです」
世恋はさも残念とでも言うように歌月に向って両手を上げて見せた。
「お母様は月令様と一緒になられ歌月様をもうけられましたが、その後も森に入り続けてある時に不幸にも命を落とされてしまいました。でもお母さまが死の間際に口にしたのは、歌月様でも、月令様でもなく、山櫂様の名前だったそうです。月令様はさぞかしつらい思いをされたのではないでしょうか?」
「やめてちょうだい!!」
歌月は手にした器を床にすてると手で耳をふさいだ。だが世恋はその腕を取ると細身のくせにどこから出てくるのか分からない強い力で歌月の手を耳から剥がした。
「お静かに願います歌月様。風華様が起きてしまいます。これは風華様にはちょっと大人すぎる『こ・い・ば・な』だと思いませんか?」
そう囁くように歌月の耳元で告げた。
「お母さまが亡くなられた後、月令様は歌月様をつれてこの『追憶の森結社』に移られた。月令様のお兄様は『過ぎたことだと言って』相当に反対したそうですが、月令様を止めることはできなかったそうです。あなたのお母様を袖にして、町の八百屋の娘との間で風華様をもうけられていた山櫂様、その前に自分と歌月様のお姿をお見せすることこそが月令様の山櫂様への復讐だったのだと私は思います」
そう告げた世恋は、手の指で歌月の胸元に軽く触れると言葉を続けた。
「でもまさか、自分の娘が自分と同じような年の山櫂様に恋心を頂くとは思わなかった。私の想像ですが歌月様の山櫂様への思いは『恋心』というよりもっと熱い思だったのではないでしょうか? 月令様にはどうしても止めることなどできなかったくらいに」
世恋は、歌月の胸元から指を離すと、まるで天からの宣告のように話の結末を歌月に告げた。
「歌月様、山櫂様があなたを受け入れなかったのは風華さんではなくてお父様こそが一番の理由なのでは無いでしょうか?」
父の『甘やかしすぎた』という意味は自分の山櫂さんへの思いのことだったのだろうか? それとも父の反対を押し切って結社の一員になったことだったのだろうか?
長い沈黙の後で歌月は世恋に向って口を開いた。
「やっぱり、あんたは相当意地が悪い女だね。他人の人生をからかってさぞかし楽しいだろうさ」
そう一言告げると次第に暗くなっていく部屋の中で器を手にこちらを見ていた世恋を睨みつけた。
「私は兄と共に査察館補佐という役割でこちらにまいらせていただきました。これって本当だったら『裏』の仕事だと思いませんか? 最近は『表』なんかより『裏』の方がお忙しいみたいですが、『裏』の方が忙しい組織なんてどうかしてますよね?」
「裏!?」
歌月の口から悲鳴の様な声が上がった。
こいつは『裏』の人間だったのか!
世恋は、歌月の考えを否定するようにゆっくりと首を振った。
「歌月様、ご安心ください私は表の人間です。本来結社間のごたごたは『裏』の仕事ですが、恋話程度で『裏』は動いたりしませんよ」
こんな小娘が何故こんな事まで知っているんだ? 兄から聞いたとでも言うのだろうか? 普通の冒険者なら預かり知らない事だというのに。
「歌月様の叔父上から兄が色々と押し付けられて、ご家族の『恋話』に巻き込まれ、今やこんなところに閉じ込められてお手洗いすら不自由しています。これこそ哀れだと思いませんか? まあ亡くなられてしまった片目の方とそのお仲間よりはましかもしれませんが……」
そう言って、世恋は優雅に肩をすくめてみせた。
玄下には本当に悪いことをした。昔から自分に好意を寄せているのをいいことにいいように使って殺してしまった。でも戦場で人通しで殺し合いをさせれた挙句に死ぬのと、ひと思いで殺されるのとどっちがましなのだろう。
「どうせ、連れていかれた連中と同じで私も長くはないさ。あんただって……」
世恋は、せめて何か嫌味を言おうとした歌月の言葉を遮ると、今度はその手をそっと握って見せた。
「歌月様、誤解されていませんか? 私は歌月様がきらいな訳ではありません。むしろ好ましい方だと思っています。自分だけ逃げてもよかったのに私たちの手前、結社の方々が身を隠すのを優先して危ない橋を渡られました。それでもこうしてまだ無事に生きていらっしゃいます。運は尽きておりません」
この子娘、一体何を言っているんだい?
「事実を知るのと、真実を信じ続けるのとどちらがいいことなのでしょう? 例えそれが辛いことでも人は事実を知るべきだと私は思います。ですが私がこの件についてお話ししたことは兄には秘密でお願いします。ばれたら怒られてしまいますから……」
そう歌月に告げると、世恋は子供の様に「てへ」と頭をかいてみせた。
「あんた……あんた……」
この小娘に何かを言いたいのだが言葉が続かない。歌月はそれでもなんとか声を絞り出した。
「『様』はやめてくれない。虫唾がはしる」
「歌月さん。様付なしで承知いたしました」
「つまらない話、終わったか?」
世恋と歌月の前に黒い何かが不意に割り込んできた。
「おもかろい妹」
「百夜様、世恋です」
「今日もまた夜だ。持つのか?」
「はい、百夜様」
二人の間には私ごときでは理解できない何かがあるらしい。赤葡萄酒の残りはまだあるのだろうか?
酒でもないと……。




