無期房
桃子さんは私達を引き連れて、正面の建物に向かった。
やはり警備の人が桃子さんに手で挨拶する。ここは監獄と呼ばれるだけあって、警備が厳しいところみたいだ。
外からの光が限られるせいか、建物の中は油灯に照らされていて薄暗い。ただところどころでは、マ石の明かりも使われているらしく、そこだけは夕日を浴びているかの様に、明るく照らし出されていた。
石で覆われているせいか、底冷えがして、大外套の襟を手で寄せて首元を温めたくなる。ここで働くんだとすれば、肌着はもっと厚手のものにしないと厳しいかも。
所々にある扉の向こうからは、あまり人の気配は感じられない。みんな出払っているのだろうか? 桃子さんはどこの扉にも入らずに、廊下をずっと右に進んでいく。
廊下を進んでいくと、別の棟に続く感じで、斜め前に進む廊下が続いていた。どうもここの建物は全部が繋がっているらしい。
ちょっと進んだ先にはまた鉄の扉があり、扉の前で警備の人が桃子さんに挨拶する。だが今までと違って、その扉がすぐに開けられる気配はない。桃子さんが内衣嚢から何やら書類と、金箔のようなものを取り出すと、警備の人へそれを差し出した。
黒い服を着た警備の人は、それを明かりに照らして確認すると、書類を傍らの執務机に持っていき、何やら羽筆で署名のようなものを書いて、桃子さんに返した。ここはこれまでの所より、さらに警備が厳しいようだ。私達は一体どこに連れていかれようとしているのだろう。
二人の人間がそれぞれ、上と下の別々の鍵穴に鍵を差し込んで、鉄の扉が開けられた。扉の先には今までと同じような通路が見えるが、これまでの通路と違って、左側にある扉は全て鉄の扉だ。
桃子さんは私達について来るように手で促して、先へと進んでいった。足を踏み入れると、中はさっきのまでの人気の無さと違い、何かが隠れているような、何とも言えない不気味な気配が濃厚に漂っている。
あ……匂いだ。人の、それも決して衛生的とはいえない匂いが漂っている。あまり思い出したくない、旧街道での旅を思い起こさせる匂いだ。実季さんなんかは露骨にしかめっ面をしていた。
桃子さんはそれも気にすることなく、先へ先へと進んでいく。そして廊下の中ほどにあった小さな螺旋階段のところに来ると、腰から角灯を取り出してそれに火を着けた。
また、螺旋階段にぶら下がっていた角灯の一つを私に渡して来た。とりあえず桃子さんと同じように、ぶら下がっていた火打ちで灯を着けて、桃子さんの後に続いて螺旋階段を登る。
上った二階の廊下は、油灯もなく真っ暗だった。ただ、左側のところどころから差し込む白い光が、通路の上に一筋の線となって見えている。各部屋にある明かり窓だろうか?
そしてここは、下の階とは比べられない程の、むせかえるぐらいの酸っぱい様な、何かが腐った様な、何とも言えない匂いがしている。なんだろう? 角灯の光を前へ差し出してみた。
左側には扉がなく、鉄格子になっている。そして床には何かが転がっていた。先についている黒くて丸い物。それに両側から伸びている何か。人だ。人が転がっている。死体? いや微かに動いている、寝ているんだ。
床だけじゃなかった。壁にある棚のようなところでも人が寝ていた。でも今って、まだお昼にもなっていないですよね? 左側は5杖ほどの間隔で壁が区切られていて、同じように鉄格子がはめられた部屋が続いていた。
桃子さんは角灯の向こうでにっこりとほほ笑むと、無言で先へと歩きはじめた。微かな寝息や低いいびきの中、私達の足音だけが高い音を廊下に響かせていく。
「なんだ、まぶしくて寝れねぇじゃないか」
突然の声に、思わず息が止まりそうになった。声がした方に角灯の光を差し出してみると、鉄格子の向こうで、一人の髭ずらの男がこちらに向かって顔を上げていた。その脂ぎった顔が角灯の光にてかてかと光っている。
「なんだ、桃子ちゃんじゃねえか。夜這いにでも来てくれたのかい?」
「うるせぇな」
闇の向こうから別の声も響く。
「こっちは女日照りだから、いつでも準備万端だぞ」
男が髭ずらを歪ませて、下世話な笑いを浮かべた。
「おや、今日はかわいいお嬢ちゃんたちも連れてきているとは、これは誰かが吊るされでもするのかい?お嬢ちゃんついでだ。俺の相手もしてくれよ」
男が立ち上がって下着に手をかけた。ちょっと待て、お前は一体、何をするつもりだ。
背中がちりちりする感覚がする。何だろう、誰かが力を使おうとしているのだろうか?
「あ、おい……くそ、痛てぇじゃないか!」
下着に手をかけた姿勢のまま、男の体が後ろへと落ちていった。桃子さんって美亜教官と同じ力の使い手なの?
「不動使い」
背後の実季さんがぼそっとつぶやいた。
あちらこちらの部屋から、不平の声が漏れだす。あたりはさっきの静寂とは異なり、人の動く音、つぶやく音に包まれた。
「ここの人達には礼儀をしらない人もいるから、気を付けてね。この人達は深夜番だった人達。いまは彼らにとってはちょうど真夜中かな。ここでは色々な作業を彼らにやってもらうから、早く慣れてね」
「桃子さん、こっちは疲れているんだ。お遊びはやめてもらいたいな」
髭で老けては見えるが、ぎりぎりおじさんと呼べるか、よべないかぐらいの人が、鉄格子越しに桃子さんに声を掛けてきた。さっきのあのお下劣男に比べると、はるかに紳士的に見える。
「あら碧真さん、起こしちゃいました?」
「起こすも何もわざとでしょう。それにここは奴の言う通り、女日照りの奴らだらけだから、貴方だけじゃなく、そんな若い子も連れていきなり来るというのはどんな冗談です?」
「少しは刺激が無いと張り合いが無いかな、なんて思ってね。ほらこんなかわいい子をみたら、早く娑婆に戻りたくなるでしょう?」
「それをやるなら、わざわざ娑婆に戻る予定がない俺らの前じゃなくて、別の棟でやってください」
彼はそう言うと、同房の男達にも戻るように手で合図した。他の房からは、未だに下種な言葉が飛んでいる。
「この時間だと貴方達しか居ないから、わざわざ寝床まで、こんな美人が忍んで来たのにつれない人ね」
桃子さんが意地悪そうに片手を上げてみせた。
「ここがこの監獄で、もっとも罪が重いものが入れられる無期房よ。あと何か一つでもやらかせば、吊るされるだけの人達ね。ここを最初に見ておけば、後は軽いものよ」
いや、そうかもしれませんが、これは夢に見そうです。とんでもないものを見せられそうになりましたし、半分も言っていることは分からないですけど、これは全部、相当に猥雑な言葉の山ですよね。
「副組頭殿、質問させていただいてもよろしいでしょうか?」
実季さんが、桃子さんに声をかけた。
「質問を許可します」
「先ほど力を使ってはならない、という趣旨の言葉を頂きましたが、副組頭殿は……」
「あ、さっきのね。貴方が使ったらひどいマナ酔いを起こすから気を付けて。どうやら私は特異体質か何からしくて、ここの中でも問題なく力を使えるのよね。なのでいつまでたってもここの担当で、このむさくるしい奴らの相手という訳。本当にこれって私のような独身女性のやる仕事じゃないよね?」
あの、もしかして同意を求めています?
「早く誰か引き継げる人を見つけて、ここからおさらばするのが私の目標よ。みんな頑張ってね。じゃ、次に行きましょうか」
桃子さんはそう言うと、鼻歌交じりで廊下を進んでいく。
「見回り終了です。皆さん、さっさと寝てください。寝ないと後で大変ですよ」
この人は見かけと中身が別物だ。確かにこの人なら、多門さんとでも付き合えそうな気がする。




