金髪
「やっぱりあんな美人といたら、四六時中むらむら来るもんかい?」
旋風卿から紹介されたこの無限という人は、まるで散歩でもしているかのように話しかけてきた。今はこの人と二人だけで、嘆きの森の中を歩いている。
旋風卿からは君にうってつけの先生だと紹介されたが、何がうってつけなのか、既に半日近く、森の中を歩いているが全く分からない。ただ、この人が自分が考えている普通の冒険者からは、程遠い人なのだけはよく分かった。
この時期は水が少ないと言われていたが、十分な水量を抱えた黒青川の浮き橋を渡って、初めて本物の嘆きの森に入ってからも、その前からも、この人はずっとこの調子だった。
森の中でむだ話をする冒険者はいない。まったく会話をしないとは言わないが、必要な連絡も普通は手信号でやり取りする。当たり前だ。例えマナ除けをかけていても、マ者にこちらの気配を嗅ぎつかれたら、それでお終いなのだから。
「本当にうらやましいな。あんな美人と一つ屋根の下だなんて。俺だって、もうちょっと若けりゃな。土俵に乗れねぇ事はないと思うんだけどな」
彼はしゃがみこんで、何やら地面を観察しながらも、絶えずこちらに話しかけている。やがて何やら納得したらしく、立ち上がると僕の横腹を肘でつついた。
「何を黙っているんだ。暗い奴だな。お前の先生って奴が、むらむらするかと聞いているんだ」
「むらむらですか?」
「そうだよ。俺ならもうなんだな。悶絶もんだな。おい、そうだろ」
「悶絶はしないと思いますけどね」
無限さんが驚いたた顔をしてこちらを見た。ここは嘆きの森だよな。間違いない。見あげれば空を真っ黒な葉が覆い隠している。
「白蓮さんよ。お前まだ若いんだろう? あれを見てむらむらしなかったらどうするんだ。何か? お前さんは男の方がいい口か?」
無限さんが彼の左手にあった、木の幹についた微かな傷に手をやりながら聞いてくる。勘弁してほしい。
「違いますよ」
「なら分かるだろう。神様というのはああいうのを見たら、むらむらするように男を作ってんだ」
彼は幹から離れると目の前に来て、こちらを見あげた。彼の背丈はかなり低い。
「まあ、手が出しずらいという気分は、ちょっとは分からなくもないな。あれだけの美人を前にすると、体が動かないというか、手が出せないというか、飾っておきたくなるというか……もうちょい先か」
彼は独り言(ですよね?)を途中で切り上げると、背嚢を背負いなおして先に進んでいく。
指示票は彼が持っていて、僕には見せてくれなかったが、川を渡る前の警備組からの説明によれば、僕ら二人が歩いているのは、侵入禁止区域に設定されている地域の、縁に相当する探索路のはずだ。
つまりは危険地帯だ。そこを普通の森にきのこ採りにでもきたかのように、談笑しながら歩くなんてのはあり得ない。それに背嚢にはマナ除けと、今日の分の食料ぐらいしかない。腰に帯びているのも、護身用の短剣ぐらいなものだ。
自分としては、採取で森に入る時と大して違わないから問題は無い。だがこんな気軽に森を歩く人に会ったのは、あの人以来だ。それでもあの人だって、森でこんな雑談なんかはしなかった。
気が付くと先行した無限さんが、また地面にしゃがみこんで、何かを確認している。立ち上がると、彼はまばらな熊笹の間を左に抜けて、探索路から外れて進んでいく。左は完全に進入禁止区域のはずじゃないのだろうか?
「この辺りか。あんた、旧街道を復興領からここまで、あの子と一緒に来たんだって?」
「はい」
彼の声はさっきよりは少しだけ小声になっている。熊笹の先は奥にむけて下りになった地形で、上が黒い葉に完全に覆われているせいか、薄暗くまばらに生える熊笹以外は、厚く積もった落ち葉が地面を覆っている。
「なら、あの子が着替えるときとか、体を拭くときとかに、裸ぐらいは十分に見てきたんだろう?」
前を少し速足であるく彼が、まるで子供が秘密の話でも聞くかのように、目をキラキラさせながらこちらを見る。
「やっぱり下の毛も金髪か?」
真剣な顔でこちらを覗き込んだ。この人の頭の中には、女の話ししか詰まっていないのか?
「え、知りませんよ。それに見ていません」
そんなの見ているとこなど旋風卿に見つかった日には、命がいくつあっても足りない。いや旋風卿だけの問題ではない。もっと大きな危険がある。
「死ぬ前にそれを見ていないとは、残念な奴だな」
彼の体がくるりと一回転したかと思った瞬間、僕の体は宙を舞っていた。




