内示
「入れ」
いつもの、ちょっと不機嫌そうな声。
「どうした?」
扉を閉めてすぐに何も言わない私に、異変を感じたのだろうか、彼が書類から顔を上げてこちらを見た。
「どうした小娘? 具合でも悪いのか? ならさっさと帰って寝ろ」
そう私に告げた。その通りだ。どうしたの私?
いつもしている会話がどうしてできないの。遠くから見ている姉に笑われる。
「狩手組への内示が出ました」
「狩手組?」
「はい」
彼は机から立ち上がると、前に回って、執務机に腰を下ろして足を組んだ。この癖は止めてほしい。立っている私が見下ろす形になる。
「結社長から直々に呼び出されました」
「そうか?」
「はい」
「なるほど。そうでもしないと、俺をうんと言わせられないと考えた訳だ。やつらにしては、やけに単純で短絡的なやり口だな。何を焦っているんだ?」
彼が独り言のようにつぶやいた。この人は私の前では意外と無防備だ。
「この件は俺が預かる。小娘が気をもむような話じゃない。今日は帰って休め」
そう言うと、手のひらを振って私に退出するように促した。
「受けようと思います」
彼はひらひらと振っていた手を止めると、私の顔をじっと見た。どうやってこの人を説得しよう。
普通に言っても、「お前みたいなやつは森にいったらすぐあの世行だ」で終わりだ。私の意図が分からないように説得しないといけない。
「そうか」
そう一言告げると、椅子から降りて私の前に立った。それでも彼と私の背は大して違わない。この顔を下から見上げられる、見下ろしてもらえた姉がうらやましかった。
「子供だと思っていたが……」
いつもの人を小馬鹿にした口調とは違う、真剣な表情で私を見る。何で、どうして今日は違うの。いつものように「小娘」と言って馬鹿にして欲しい。でないと私が私の中の何かに負けそうになる。
私がこの人から離れることで、彼らは何かを仕掛けてくる。この人だけじゃない。私にもだ。相手が仕掛けてくるのが分かっているのなら相手の隙をつける。
理朝のような末端の小物ではだめだ。最後の糸は月貞結社長につながっているのは分かっているが、あの人はそんなものを私達に見せはしない。でもその右腕か、左腕なら私でも切り落とせるかもしれない。
私はこの人を守るために、あの人達の動きを止める為の何かを、何か切り札を得ないといけない。その為に私は自分の命をかける。この人の為に。
本当なら森に行く前に、この人に色々な事を話しておきたかった。私の心の全てを打ち明けておきたかった。一杯時間が、沢山機会があったはずなのに、私はどうして何も伝えられていないのだろう。私は姉が死んでからずっと、同じ場所に立ち止まっていた。
彼が少しはにかんだ表情をしながら、私の肩に手を掛けた。私がよく知っている、まだ姉が生きていたころに彼が見せてくれた顔だ。あなたのこの顔を見るのは、一体いつ以来だろう。
「無事に戻ってこい美亜。これは俺とお前との約束だ」
そう言うと、彼は私の背に腕を回してそっと抱きしめてくれた。涙がこぼれそうになる。でも絶対にここで泣いてはいけない。私から抱きしめ返してもいけない。
私は貴方を見返すために森に行くのだから。誰からも、あなたからも、そう見えないといけないのだから。いつもの、あなたに文句を言う時の表情を必死に思い出す。
「はい。多門室長」
もちろんです。必ず戻って来ます。そしてすべてが終わった時には、私は今日まであなたに話せなかったことを全て話します。嫌だと言ったら体の自由を奪います。
どうか覚悟していてください。




