おごり
宿舎の部屋に戻ると、相部屋の比沙美様はすでに寝ていた。
起こさない様に、そっと寝台の上に横になる。今日は、なんて色々な事があった一日だったのだろう。
はじめてまともに飲んだ赤葡萄酒。自分にはちょっと苦かったけど、みんなと同じものを飲んで話をするのは、こんなにも楽しい事だったんだ。あのやぼったい男二人も、話してみたら、意外とおもしろい人達だった。
明日が、朝日が昇ってくるのがこんなにも待ち遠しいなんて。明日も研修だ。あの人の手前、ここで私の技量不足で落ちる訳にはいかない。
風華さん、お休み。
今日は、今日ぐらいはいい夢が見れそう。
* * *
何かが私の胸の上に乗っている。息苦しさに目を覚ますと、暗闇の中で、何かが私の胸の上に居るのが見えた。小柄な体の人影。
「比沙美さん」
「あら、ここでは比沙美様でしょう」
彼女が私の顔の前に、布の様な物を差し出した。
「何を!」
何かの薬だろうか? 体の自由が効かない。
彼女の指先に小さな炎がともると、まるでいたずらっ子のような表情の、少女の顔が浮かび上がった。
「身の程を弁えない人への折檻ですよ。身に覚えがあるでしょう。おごりすぎです」
彼女が指先の炎を、私の横顔へと近づける。髪が焦げる匂いが鼻をついた。
「おい、焼くのはお楽しみの後だ。倫人が待っているぞ」
同じ顔の二人が、私の体を担ぎ上げようとする。
「殿方は本当に仕方がないわね。こんな下賤な人でも、女なら誰でもいいの?」
私を担ぎ上げた二人が、お互いを見て下卑た笑いを浮かべた。
「まあ、私のお楽しみは後にすることにするわ。どうせ貴方たちはすぐ終わるでしょうから」
「おい、比沙美。俺たちを馬鹿にしているのか?」
「さあ、どうでしょう?」
「では、しばし眠って頂戴」
再び何か布の様な物が、私の顔へとゆっくりと近づいて来た。
* * *
顔に何か冷たいものがかかった。水だ。鼻に口に入った水で、息が詰まりそうになる。目を開けると、そこには私を覗き込む4人の顔があった。
ここはどこだろう?
ああ、男子宿舎の誰かの部屋だ。体は? まだ全然動きそうにない。
「床も水浸しだぞ。これ、後でどうするんだ?」
誰かを非難するような声が上った。海也だろうか、空也だろうか、私にはどちらかは分からない。
「いいだろう。少しはこいつの汗臭さも取れるというものだ。それより比沙美、薬を盛りすぎじゃないのか? こいつに奉仕させられないだろうが」
「まあ、たまに趣向をかえて、こういうのもありじゃないか? そう思わないか倫人?」
「今日はお楽しみが目的じゃない。先ずはこいつに身の程を分からせるのが最初だからな。従僕の娘ごときが、つけあがりやがって」
いつものことだ。さっさと終わらせてほしい。私には明日だって研修があるんだ。なんでだろう。今日は涙が出そうになる。いつものことなのに……。でも耐えないと、そうでないと、あの人が私を救ってくれた意味がなくなる。
「では、倫人が最初ということで。おれと空也は銀貨の裏表だな」
「さっさと終わらせて。その後の楽しみの時間がなくなるじゃない」
比沙美の声。この中で一番恐ろしいのはこの子だ。
「それよりいいのか? 勝手に、こいつを始末してしまって?」
始末?
「指示など悠長に待ってられるか。こいつが生きてたら俺達がやばすぎる。せっかくお咎め無しになったんだ。こいつには世をはかなんだことにして、さっさと死んでもらわないと困る」
倫人は何を言っているんだ。始末する……私を殺す。
嫌だ!死ぬなんて嫌だ!
せっかく、せっかく、あの人と友達になれたのに。やっと、生きることの楽しさが分かったような気がしたのに。
嫌だ!
「おい、騒ぐな。こいつ声もろくに出ないくせに抵抗しやがって。無駄な事はやめろ。こいつ、こんなにあきらめの悪い奴だったか? くそ、もう一度落とすぞ……いいかげんにしろ……」
倫人が私の首に手を掛ける。嫌だ。何をされてもいい。何をしてもいい。例え顔を焼かれても我慢する。
でも、死ぬのだけは嫌だ!




