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震え

「才雅、朋治こちらに」


 運動場に居た僕らは、研修所の誰かと話をしていた美亜教官に呼び出された。


 何だろう。風華さんと百夜ちゃんも朝から研修に来ていない。美亜教官にそれとなく聞いてみても、はっきりした答えは得られなかった。あんな事があった後だ、誰かにどこかで事情でも聞かれているのかもしれない。


 僕は才雅と顔を見合わせると、美亜教官の元に走った。風華さんと百夜さんに何かあったのだろうか? 美亜教官は苦虫をかみつぶしたような顔をしている。あまり表情を表に出さない美亜教官にしては珍しいことだ。どうやらいい話ではないらしい。


「実季もこちらに」


 あの事件の後、理朝教官は姿を見せずに、実季さん達の組も全て美亜教官が見ている。僕ら3人が呼ばれたという事は、間違いなくあの事件に関する事だ。


 あの子もこちらに走って来た。息を切らせている僕らと違って、彼女は大して息も上がっていない。


「3人ともすぐに着替えてください。着替えたら研修所の前に馬車が待っていますので、それに乗ること。あと、あまり失礼なかっこはしないように。汗で汚れた服などは論外です」


 そう言うと僕ら二人を見た。才雅が不安そうに僕の顔を見る。きっと僕も才雅と同じ顔をしているに違いない。風華さんはどうしているんだろう。無事なんだろうか?


 僕らは慌てて着替えると、研修所の入口へ向かった。失礼のないかっこと言われても、今朝ここまで着て来た服しかない。


 研修所の前には一台の立派な馬車が止まっていた。つば広帽を被った、黒ずくめの御者姿の男が僕らの前に立つ。


「才雅さんに、朋治さんですね」


 御者姿の男が僕らに聞く。とりあえず頷くと、その男は馬車の扉を開いて乗降用の台をおいた。台も樫の木かなんかで作られた立派なものだ。


 ぎこちない動きで僕らは中に入った。革張りの椅子に、窓には複雑な柄が描かれた、薄い白い目隠しがかかっている。これが貴族とかが乗る馬車という奴なんだろうか?


 実季さんは僕らより先に馬車に乗っていた。どこから取り出してきたのか、胸元と肩が少しあいた白いゆったりとした上着に、明るい肌色の緩い襞つきの裾広がりの腰巻き(スカート)を着ている。


 彼女の少し焼けた肌に、その白い上着がとても映えている。髪も櫛を入れたらしく、普段は頭の後ろでまとめている長くまっすぐな髪を前に垂らしていた。


 さっき見た人とは別人だ。彼女は僕らを一瞥しただけで、窓の方へ顔をそむけてしまった。車輪が石畳を叩く軽やかな音を立てて、馬車が走り出す。


「朋治、どこに行くのかな? やっぱりお偉いさん達のところかな?」


 才雅が不安げな表情で僕に聞いてくる。


「あの二人は大丈夫かな? 朝からいなかっただろう。ひどい目にあっていないといいんだけど」


「落ち着けよ、才雅。僕に聞いても何も分からないよ」


「それはそうなんだけど、落ち着けと言われても、これが落ち着いていられるか? やっぱり森でのことだよな」


「そうだろうね。あの後、僕らは美亜教官に大したこと聞かれていないから、どこかで尋問でもされるのかな?」


 前に座る実季さんを見るが、彼女の表情は特に変わらない。今回の事件では、この子に僕らは殺されそうになった。


 僕らを前にして、この子は何を思っているのだろう? 聞いてみたいような気もするが、聞いてしまうと、色々なものが後戻りできなくなるような気もする。


「おい、あんた。何で俺たちを殺そうとしたんだ。そんな事をしなくたって、あんた達なら実力で俺たちを蹴落とせるだろう」


 才雅が躊躇なく実季さんに聞いた。ここが才雅にあって、優柔不断な僕にはないところだ。


 彼女は一瞬だけ僕らを見ると、また窓の方を向いてしまった。一瞬だけ僕らにむけた視線に込められた威圧感、殺気とでも言うのだろうか、思わず身震いしそうになる。

 

「だんまりかよ。風華が俺たちにどれだけ頭を下げたか、知っているのかよ」


「やめなよ才雅。今は僕達自身の心配をする方が先だよ」


「そうだな。余計な事を言ってしまった。あの子に悪いな」


 才雅が『あの子』と言った瞬間、実季さんの表情に怒りのようなものが現れたように見えたが、気のせいだろか?


「おい、朋治。城砦を出ちまったぜ。この馬車、一体どこまで行くんだ?」


 才雅の言葉に慌てて外を見る。馬車は城砦の城壁を超えて、回りにあるわずかな耕作地の集落の間を、止まる気配もなく走っていく。一体どこに連れていかれるのだろう。


 もしかしたら自分達は、どこか人目のつかないところで処分されるのだろうか? そのために冒険者らしくない、寸鉄帯びないこのかっこをさせられているのだろうか? 今まで何の音沙汰もなかったこと自体が、おかしな話だった。


「才雅、まずいよ。まずいと思う」


 思わず才雅の腕を取る。腹の底から這いあがってくる恐怖に、体が震えてきた。


「落ち着け、朋治。もうじたばたしても始まらない」


 こういう時の才雅は本当に頼りになる。辺りは集落さえ見えなくなり、前には山の裾が広がって、辺りには刈り取りの終わった耕作地だけが広がっている。


 才雅に無理やり村を連れ出されたときには、自分にこんな毎日が、こんな事が起こるとは思っても見なかった。だが、何故か後悔はあまり感じられない。


 村に居たら、自分はどうなっていたんだろうか? 兄の手伝いをしながら、どこかの婿や養子の口を待つ。そして日々畑を耕す。当たり前の普通の生活だ。冒険者の自分なんて、想像の中の全くの別人みたいなものだった。


 だけどあの子に会えて、森に入って黒犬と戦った。自分はほとんど何も出来てはいなかったけど、生き残ることができた。


 自分がまだ生きているんだと思えた、あの瞬間の気持ちは、村にいたら決して感じることはできなかった。例え誰のどんな英雄譚を聞いたとしてもだ。


 才雅、君はやっぱり僕の親友だ。正直あの人達に合うまでは、なんてひどい目に会ったんだろうと思っていた。


 だけど、君が僕を村から連れ出してくれなかったら、僕は生きている実感という奴を、一生感じることなく終えていたと思う。


 ありがとう、本当にありがとう。今日、僕らが殺されて、どこかの穴の中に埋められたとしても、この気持ちは決して変わらない。


 その感謝の気持ちに、僕の体の震えはいつしか止まっていた。


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