観戦者
「おい、大丈夫だよな? ばれてないよな?」
「それは私とお嬢に対する侮辱かい、明翠?」
音響卿が不機嫌そうな顔を穿岩卿に向ける。
「一応、確かめただけだよ。細かいことは気にするな」
「音響卿、この人には記憶力とか配慮とかいうものが全く無いから仕方がないんですよ」
穿岩卿はおばさんの顔を見て、この件でこれ以上何か言うと悪化するだけかと思ったのか、
「多門、もっと一方的かと思ったが意外と様になったじゃないか?」
と目の前の対抗戦へと話を振った。
「有利な種目を選ばせましたからね」
周りを刺激しないように小声で答える。こっちとしては、出来ればここの誰にも話を振られたくない。
「なんか夕飯とか言っていたな。おい多門、夕飯とやらはおれがおごる」
「明、抜け駆けはよくないね。この間はお前があの子の前でいい思いをしたんだ。今回は私の番だね」
穿岩卿の言葉に音響卿が異議を唱えた。
「そんな細かい事いいじゃないか……」
押し問答だ。勘弁してくれ。
「おっさん達。いい加減にしてください。うちの預かりですからね。私が出します」
監督官って給金は査察官より上のはずだよな。だが経費はほとんどないはずだ。お前のせいで左遷だけじゃなくて大赤字だよ。
「それにしてもさ、あの男の子達だってがんばっていたじゃないか? あれはほとんど素人みたいなものなんだろ?」
ああ、確かに技術もなにもなってはいないが気合だけは入っていたな。
「ええ、引き継いだ査察官からの報告では何でも引退した受付の手抜きだという話ですが……」
「なんか俺達が本当の駆け出しだった頃を思い出すな!」
「もうずいぶん昔のことで忘れてしまったね」
私にはみなさんがこんな子供だった頃なんて思いつきもしませんね。
「今夜も酒がうまそうじゃないか」
「明翠、酒など飲んでいる暇はあるかな? 私達だけがこっそり見たのがばれたら相当に文句が来るよ」
それまで黙っていた遠見卿が口を出した。
「まさか、全員集めてやるわけにもいかないだろう」
「それはそうだ」
後で全部私のせいにだけはしないでください。お願いしますよ。
「相手した方は、こちらの基準に合わせてよく訓練してきたという感じだな。それゆえに赤毛のお嬢さん達が付け入る隙があったというところか? それにしてもあの子供は何者かな? あんなのは見たことがない。本当に子供かな。音と同類じゃないのか?」
さすが遠見卿だ。運動着姿だけを眺めに来たとしか思えない穿岩卿と違ってよく見てる。
「ほほほ、似ているのは見かけだけだよ。あれは本当に子供だと思うね。あの出で立ちと何か関係があるのかな。その辺りをとやかく言わないのが、ここの美徳じゃなかったのかい」
遠見卿が音響卿に手を挙げてその通りだと答えた。
「むっつり、お前だって上は大丈夫なのか?」
そうだ。この中では一番忙しいはずだが?
「この間の見間違いのせいで色々と予定が狂っているらしくてね、今日は大して潜ってはいない。それに君達だってこちら優先だろう?」
あんたもやっぱり運動着姿を見に来たくちですか?
「今日、僕が見に来たのは君たちと思い出話をするためだけじゃなくてね。ちょっとは自分の仕事の話もあって見に来たんだ。その甲斐は十分にあったよ。あの子達に感謝だな。自分の中でもやもやしていたものが全部はっきりした」
「何がだむっつり?」
ここは穿岩卿に同意だ。こんな茶番に遠見卿の仕事とからむような話はどこにも無いように思うが……。
「君達、ここ十年で限界線はどれだけ伸びたか知っているか?」
その言葉にお偉いさん達が顔を見合わせた。
「ほとんど伸びていないんだよ」
「確かに森から上がる収益は飛躍的にあがったし、死者の数は減った。だけど限界線は全く伸びていないんだ。収益や死者についても最近は完全な頭打ちだ。当たり前だ。限界線が伸びていないのだから」
収益が伸びていないのは問題になっていた。効率だのマ者の管理だのという話が中心だったが、さすがは遠見卿だ本質を見ている。
「探索組を独立させて大規模にしたところで、結局のところ先行組がいける限界が探索の限界になっている。先行組はあくまで介護役だ。彼らはあと一町でもすすんで誰も見たことがない何かを見ようとするか? そのための努力を、死ぬ気の努力をするか?」
遠見卿は穿岩卿の顔を覗き込んだ。
「明翠、お前だって先行組を使うようになってから先に進めたか? 年なんてのを理由にするのなら僕のようにすっぱり森から足を洗うんだな。今はすべてが止まっているんだ。それどころか色々なものが日々失われているんだよ」
遠見卿は穿岩卿から視線を外すと、天井を見上げた。
「理由は分業制だけじゃない。この選抜という奴もそうだ。冒険者って何だ? それは他人から認めてもらうものなのか? 確かにこれによっていきなり森で死ぬような奴は減ったかもしれない。だが50年生きることが20年生きる事より幸せだと誰が決めたんだ?」
「どうしたむっつり? 今日はずいぶんと荒れているじゃないか?」
穿岩卿が遠見卿に対して肩をすくめて見せた。
「僕達が若かりし時に新種が出た時のことを覚えているか?」
「ああ、誰が最初に行くかで、殴り合いになりそうだった」
「そうだ。あの時はあの人が居なかったら、お前達だってとっくに死人喰らいの腹の中だった。でもそれに恐怖を感じていたか?」
「そら、怖いものは怖いさ。今でもそうだ。だが、だから行かないかと言われれば話は別だ。怖いぐらいで諦められないものはいっぱいあるだろう」
「そうだ。今日はあの子達をみてそれを思い出したよ。少なくとも恐れてはいなかった。普通はあれだけ技量差があれば恐怖を感じてもおかしくはない」
「やっぱりあの娘が効いているな。俺に啖呵を切って見せたのは伊達じゃない」
おっさん達、本気で言っています? あの小娘を買い被りすぎですよ。
「そこに問題があることは分かっていた。だがどうすればいいかというところまでたどり着けていなかったんだ。でも今日あの子達を見て分かったよ。私達の傲慢こそがすべての原因だという事がね。何が出来て何が出来ないかを、他人が認める事なんかに何か意味があるのか? それは本当に役に立っているのか? 新種騒ぎでただ混乱している現状を見れば明らかだ」
穿岩卿がめずらしくまじめな顔をして頷く。
「皆が何かを目的に、何かに向かって生きているんじゃないのか? 生まれて来たすべての人間は冒険者という奴なんだよ。それがその他大勢の邪魔にならない限り僕らにそれを止める権限なんかないのさ。僕は君たちの背中を塔からずっと見ていたんだ。一番よく見ていたはずだが、何も本質を見ていなかった」
遠見卿は天井から視線を戻すと周りの人間を見渡した。遠見卿、美亜に対する俺の態度は間違っているという事ですか? 美亜にあれの姉と同じことが起きるなんてのは俺には耐えられませんけどね。
「少なくとも選別については僕から結社長に話をする。画一的な基準に問題があることについて話をすることは前々から必要だとは思っていたんだ。もっともあの人は全て分かってやっているとしか思えないけどね」
「そうだな。それがいい。あの子達も、もうちょっとお前のところで鍛えてやれ」
「分かりました。出来る限りはしますよ」
後は本人次第だ。
「おい、お嬢。久しぶりに俺たちと一緒に、自分達でマナ除けを担いで森に潜ってみないか?」
「人の裸を覗きに来るような人と一緒は嫌です」
「おいおい、ずいぶん昔の話だろ? まだ根にもっているのか? これでも俺は昔、あんたに惚れてたんだぜ」
「気持ち悪い」
おばさんがものすごく嫌そうな顔をしている。
「ほほほほ、相変わらず仲良しだね」
「殺しますよ!」「殺すぞ音!」
二人の声が同時に響いた。音響卿、あなたの音場はこんなに大声あげても本当に大丈夫なんですかね?




