強さ
天窓からの陽ざしは奥の壁に赤みをおびた長い光の線を描いている。
もうこの広間には誰もいない。倫人をはじめ他の人はすでに宿舎に引き上げている。彼らは庶民の私などを待ってくれたりはしない。単なる員数合わせぐらいにしか思っていないはずだ。
せめてもの救いはここではあの人たちに『様』をつけずにいられることだ。彼らとしては面白くないのだろうけど、私一人が皆をそう呼んでいたら卑屈になりすぎる。
こんなところでぐずぐずしている暇はない。宿舎に戻って明日の対抗戦に向けて組技の練習をしないといけない。ただでさえ自己流の私は、周りに比べると組み手の技量が劣っている。
着替えと教本を背嚢に入れていると背後の扉が開く音がした。誰か忘れ物でもしたのだろうか?
「すいません。こちらに風華さんという女性はいませんでしょうか?」
入り口の陰になってよく顔が見えない。研修生ではない。ここの職員だろうか?
「お忙しいところすいません。僕は白蓮というものです。こちらに今回の研修生の方々がいると聞いたのですが、違いますでしょうか?」
白蓮? どこかで聞いたことがあるような気がする?
「風華さんですか?」
「はい、赤毛の女性なのですがご存じでしょうか?」
赤毛? あの特別枠の子だ。
思い出した。あの子が騙されたとか言っていた男の名前が「白蓮」だった。女を騙すような人だから、もっと男前の少しはかっこいい人かと思っていたが、どこか頼りなげなまだ若い男にしか見えない。
言い方を変えれば冒険者というより、どこかの店の手伝いぐらいにしか見えない人だ。
「風華さんなら、もう宿舎に戻られたと思います」
「ああ、そうですか。まだ居ると聞いていたのですが……」
「明日は私の組との対抗戦があるので、今日は早めに上がりました。残念でしたね」
「もしご迷惑でなければ伝言をお願いできますか? 彼女は先触れをどれだけ送ってもまったく反応なしでして。多分、先触れがどこに着くのか、どう受け取るのか全く分かっていないと思うんです」
どういう事?
「冒険者で先触れの使い方を全く知らないなんてあり得るんですか?」
常識も常識でしょう? 先触れが使えなかったら森で何かあった時にどうするつもりなんだろう。
「彼女の場合、色々ありまして……」
そう言えば、彼女は男に騙されたとか言っていたけど冗談じゃなくて本当だったんだ。この人のせいなんだ。
「あなたの彼女は貴方に騙されて冒険者になったと言っていましたが、本当ですか?」
あの子達みたいな能天気が混じっているせいで、こちらはどれだけ迷惑をこうむっているのか分かっているの?
「え、ふーちゃんがそう言っていました。やばいな……。やっぱりちょっとは恨んでいるかな? あ、誤解があるみたいですけど僕は彼女の彼氏とかではないので……。居候なので、誤解無きようよろしくお願いします」
へんな言い訳をして頭を下げている。この人、安全そうな顔をしておきながらあちらこちらに女を作る種類の人だ。あの子もへんな男に捕まってここまで連れてこられたという訳ね。ざまあない。
「あんなただの町娘の人をここまで連れてくるなんて、おかげでこちらは研修が進まなくて大迷惑です」
私はあの子とこの人に普段の鬱憤の八つ当たりをしている。でもそれぐらいしても罰はあたらないはずだ。実際あの能天気な人たちには大迷惑なんだ。
「何も力が無い子ですよ。あの子が森に入ったら数時(10分~15分)と持たない。本当にいい迷惑です」
だが私の言葉に、目の前の男は首をかしげて見せた。私に文句でもあるのか? 文句があるのはこっちだ。本当ならさっきのぐらいではとても足りないぐらいだ。
「ここは、組を超えて研修とかはほとんどしないのでしょうか? 見かけは確かに……」
「横で研修を受けているのを見れば、十分に分かります」
毎日あの能天気な、『がんばれ』とか『君なら出来る』なんて言葉を横で聞いているこちらの身にもなってみな。
「失礼ですがお名前を聞いてもいいですか?」
「実季と申します。彩侯爵領から来ました」
何だろう。この男からさっきの頼りなげな感じが消えた様な気がする。この優男だって一応は城砦の冒険者ということ?
「僕もまだ駆け出しも駆け出しで冒険者になって二年ほどしかたっていません。ですので僕の口から言うのは口幅ったい事なのですが、あの子は風華は強いです。多分ここで研修を受けている誰よりも強いと思います」
「ふざけているんですか!たった2年? 私なんかよりよほど短いじゃないの!」
なんだろうこの苛立ちは。明日は対抗戦があるというのに、この男はなんで私の気をこうも苛立たせるんだろう?
「そうですね。あなたの方が冒険者としては私よりも経験が豊富だと思います。でも僕でも分かります。あの子があなたより強いということでしたら。多分、ここの教官にも分かると思います」
あんた達、何なの? 特別枠!ふざけるんじゃない。私はここに来るだけでもどれだけの努力をしてきたのかあんたは分かっているの?
私はここに来るために、自分の家族の生活を守るために、自分を殺してやりたくもないことだってして作った伝手でやっと来たんだ!あんた達に何が分かる!
「ふーちゃんは、会ったばかりの女の子の為に、短刀一本持って『渡り』の群れに本気で飛び込める子です」
「なにそれ、単なる馬鹿の死にたがりじゃないの?」
「そうですね。一人なら実季さんの言う通りです。でも『組』にはあの子の強さが生き残るために必要なんです。そして実際に必要でした。本人はそれに全く気が付いてないですけどね」
男が私に向かってにっこりとほほ笑んだ。何なんだ、何なんだこの男は……。
「実季さんならきっと分かってもらえると思います。僕は実季さんはふーちゃんのいい友達になってくれるんじゃないかなとも思っています。貴方は正直な人ですから。あ、僕がこんな事を言ったというのは秘密にお願いします。ばれたら多分……相当にひどい目にあいそうな気がします」
また会った時の頼りなさげな男に戻っている。さっき、この男から感じたのは一体何だったんだろう。
「伝言はまた今度にします。明日の対抗戦、頑張ってください」
そう言うと男は扉から外へと去っていった。『頑張る』? 今の私が一番嫌いな気に入らない言葉だ。明日の対抗戦でお前の『強い人』はとてもみじめな醜態をさらすことになる。
せいぜいあの娘に気の利いた慰めの言葉でも考えていな。




