不幸な人達
才雅と朋治は、内地の西の端の街道からも遠く離れた村に生まれた。同じ月に生まれた上に家が近所だったから、何をするにも二人は一緒だった。正しくは、才雅が兄貴面をして朋治を従わせていたというのが正しい言い方かもしれない。
才雅はいわゆるちょっとやんちゃな若者で、朋治はちょっと控えめのおとなしい性格だったから、それはそれで中々いい組み合わせとも言えた。
二人とも次男で少し年の離れた長男が居たこともあり、比較的あまり束縛されずに村では自由気ままにやってきた。
ちょっとしたマナの才なんかもあり、才雅はやんちゃな若者らしく村の自警団のようなものに出入りし、昔冒険者だったという爺さんが一人でやっている結社の出先で冒険者になり、近くの大して黒くもない飛び森の入り口あたりで、やっぱりちょっとだけマナの才があった朋治と共に角兎などを狩っては、いっぱしの冒険者気分でいた。
彼らが特に大けがをすることもなく冒険者気分を味わえたのも、実はかなり運の要素、どちらかと言うとかなりの幸運によるものだったが、比較対象がない彼らがそれを知ることはない。
爺さんのかなり尾鰭のついた昔話なんかを聞きながら、この爺さんでそこまでできたのなら、自分達だって二つ名持ちになれるのではないかと勝手な想像を膨らましていた。
その想像、いや、妄想を実践しようなんて話になったのは、才雅が惚れていた村では比較的大きな農家の娘に婚約話が持ち上がったからだった。水場で洗濯している彼女を遠くで見たり、祭りの時にちょっと冷やかしたりするぐらいしかできなかったが、彼の中では彼女は冒険者の自分にあこがれる少女ということに勝手になっていた。
相手は隣村のやはりちょっと大きな農家の次男らしい。父親はまだ年齢的にちょっと早いというのと、相手が次男だという事もあり渋っているらしいが、このど田舎ではちょっと目鼻立ちがいい娘が年頃になればこんな話は米にでる虫のように湧いてくる。
才雅は焦った。次男であり、さして大きくもない農家の自分が、彼女をお嫁さんにする手段なんてあるのだろうか? 少なくともこの小さな村の中にはない。
あの爺さんだって二つ名持ちの一つ手前まで行ったというのだ、自分達だってもっと大きな結社に行って、1~2年も頑張れば二つ名持ちとまではいかなくても、いっぱしの冒険者になれるのではないだろうか? そうしたら彼女は自分のものだ。そしてこんな田舎ではなく、大きな結社がある街で彼女と暮らすのだ。
時間もない。次の次あたりには話がまとまってしまうかもしれない。どうせいくなら大きなところ、『城砦』がいい。この村は内地の一番西端にあり、街道筋まで出ればさほどの距離じゃない。
彼らは爺さんの手金庫から勝手に印を持ち出して推薦状を書くと、親の箪笥の隠しから金を持ち出し、こっそりと村を抜け出した。正確には、朋治は止めようとかなり才雅に言ったのだが、結局は才雅に押し切られて一緒に行くことになった。
ここまではど田舎の村のやんちゃの若者にはよくある話だ。普通は村を離れて一晩か二晩かすれば、不安の方が大きくなって村に逃げ帰るか、少しは度胸があって街道筋まで出たとしても道行く人々にびびり、そこで金を盗まれたり使い果たしたりして逃げ帰るというのが関の山だろう。
親なり、村長なりにこっぴどく叱られ、もう少し大人になった時にやんちゃな若者たちに、「俺も一度は村を出て……」みたいな作り話をして過ごす。それが普通だ。運が悪ければ騙された挙句にどこかに連れ去られたり、殺されたりすることだってある。
だが、彼らはとても幸運だった。何も災難に巻き込まれることなく街道筋を進み。途中でお金が無くなりそうになった時には、同じ地方の親切な隊商がわざわざ彼らを関門の近くまで届けてくれた挙句に、関門から城砦に入るための路銀まで出してくれた。なんでも彼も昔同じように田舎の村を飛び出した口らしい。
しかも彼の紹介してくれたとても親切で美人のお姉さんが、わざわざ関門の結社まで連れて行ってくれた。その人が居なかったら彼らは関門で途方にくれただろうし、彼女が居なかったら関門の結社にたむろってた冒険者を見て、どう見ても自分達と同じ種類の人間じゃないと気付いて逃げ帰っていただろう。
彼らが震えながらも受付にならんだのは、商人が紹介してくれた美人のお姉さんに見守られていたからだ。彼らだって美人を前にすればちょっとぐらいの見栄が出てくる。
その日で引退という受付の爺さんが引継ぎがめんどくさいのと、この後で彼の引退祝いがあるばっかりに、普通ならこんこんとお前達の行くようなところじゃないという話をして追い返すべき彼らの推薦状に判を押して、次の定期便の手配をした。
彼らはとても幸運だった。ものすごい幸運だった。だがその幸運が不幸な事に彼らをどう考えても場違いな城砦へと連れてきてしまった。まだ彼らは自分達の幸運が、どれだけの不幸にもたらしているか全く理解していない。
ただ、研修所で居並ぶ他の冒険者を見た時に、どう考えてもただものじゃない人達に囲まれて震え上がると同時に、どうしてこの人達が研修なんてものを受ける必要があるのかと訝しんでいた。
無知とは本当に罪である。




