派閥
さっきのよく分からない言葉の後、辺りが一斉に騒がしくなった。
地図に張り付いていた人達が、今、乗っている旗より一回り大きい赤い旗の駒を地図上に置いた。そして中二階から筒がどんどん投げ込まれ、柚安さん他、数名が下の階にいる人にそれを投げていく。何やら下の階の人が手信号を出すと、それに合わせて地図の駒が動かされていくのが見えた。
目まぐるしい速さだ。さらに筒は奥の管にはりついている人々にも投げられて、受け取った人が管に向かって大声で何やら指示を叫んでいる。これって確かに頭がいい人達じゃないと絶対に無理。
「左1-2に待機、即、左1-1に左2-1への移動、即」「左2-2を左1-3,猶予半刻、探索」
「確かに忙しくなったな。邪魔になるから行くぞ」
私達は多門さんに即されて壁際にあった小さな扉に向かった。金属の薄片と書類を提示してそこから出ると、そこは塔の外階段だった。下は……見ない方がよさそう。足が思いっきりすくむ。
「今日は良く晴れているからな、近くに見える。あそこだ」
多門さんが渓谷の出口側を顎で示した。ああ、なんてすごい光景だろう。両側の山の茶色い渓谷の先に黒い森が広がっている。これが城砦の冒険者が挑む『嘆きの森』なんだ。
「左側にあるのが本物の城砦、『本城砦』だ」
多門さんが指差した方を見ると真っ黒な失敗した飴細工のようなものが横たわっていた。ただ渓谷の左右にある山と比較しても、とんでもない大きさの飴細工だ。
「赤の竜の炎で塔が硝子細工のように溶かされて固まったそうだ。とんでもない熱だ。人なんかは一片の消し済みすら残らないだろうな。おばさんはああ言ったが人では竜には勝てんよ」
うん。どこかの国では神様みたいですけど、一生会わずに済むならそれで済ませたいですね。
「正面の奥に赤い煙が上がっているのが見えるか?」
奥の方で赤い煙が上がっている。あれがさっき下で言っていた煙ですか?
「ああ、正体不明の何かという奴だ。最近の流行りだ。黄色に変わったな。見失ったという事か。だが左はもう狩にはならないな。今日、出ていたやつらは、かわいそうに大損だ」
「そうなんですか?」
「ここは追憶の森はもちろん、どの結社ともやり方が違う。基本的に分業制なんだ」
「森に行ってマ者を狩ったり、葉っぱとって帰ってくるだけじゃないんですか?」
多門さんが私の頭のてっぺんからつま先までを見る。あっ、これ旋風卿と同じ奴だ。かわいそうな生き物を見ている目だ。
「違うと言ったばかりだろうが。お前の頭の中身はなんだ?」
今は我慢です。とりあえず愛想笑い。
「相変わらず、気持ちが悪い奴だな」
我慢です!
「お前が知っている冒険者の『組』は、ここでは狩手組と呼ばれる組だ。要するにマ者を狩ることを目的とした『組』だ。だが、ここはかなり奥まで潜る。狩手組の連中が道中に必要な食料やらマナ除けなんかを全部背負って行くことになると、時間もかかるし体力も持っていかれる。マ者と戦う前に森を抜けるのでふらふらになったんじゃ話にならない」
そうですね。あの赤い煙も相当遠いですから、とても一日ではいけそうにないですね。
「そのため、道中、先に行って必要な食料、水、マナ除けなどの物資をあらかじめ用意しておくのが先行組だ」
おー、マ者と戦わなくて済む方法があるじゃないですか!
「それならマ者と戦わないから私にもできますかね?」
「お前は馬鹿か? 連中の前で、お前がそんなこと言ったら吊るされるぞ。先行組の連中は体力に自信があって、達速だったり、十人力のマナの使い手だ。必要があればマ者ともやりあえるやつらだぞ。狩手組より難しい時だってあるんだ。お前に何ができる? 自分の消費する分すら運べないだろう?」
すいません。軽率でした。
「さっき、狼煙をあげていたのは探索組だ。マ者を狩るのではなく、動向を調べるのが目的だ。探知使いや、天候がある程度悪くても連絡が取れるように、閃光使い、マ者から身を隠す為の案山子使いなどで構成された組だ。これから行く物見方と連絡を取り合って仕事をしている」
そう言うと多門さんは、外階段のはるか上を指した。まだまだ先は長そうだけどもう息が切れて来た。確かに私には先行組は絶対無理ですね。
「後は、狩手組が狩った後にマ者の解体を専門とする解体組。遭難した組やけが人を助ける救護組なんかもいるが、数は決して多くはない。基本的に人数制限があるからな。先行組が兼ねる場合が大半だ。そして見えるか? あそこに川が流れているのを」
多門さんが渓谷の出口、森がはじまった手前に近いところを指さした。そこにはとてつもなく大きいとは言えないが、それなりに川幅がある川が右から左へと緩やかに蛇行している。
「黒青川だ。どちらの森の色を映すかで色が変わる。あの川より手前では奥で崩れでも起こさない限り大物は出てこない。本当の嘆きの森はあの川の向こうだ。その手前には色々な集積所やら宿営地、常駐の監視所や集積所がある。見えるか灰色の籠のようなやつだ。そこを任されているのが警備組だ。城砦の守りや関門の検問も担当している」
確かに川の手前のところに、灰色のお椀を逆に伏せたようなものが見える。
「お前のような駆け出しは、まずはあの監視所辺りに所属して、集積所への物資の輸送やら先行組の邪魔になるような小物を狩る仕事から始めるのが普通だ。小物と言っても黒犬とかだ。時には槍熊とかも出るから普通の森なら十分に大物の奴らだ」
黒犬? 槍熊? どんなやつなんでしょうね? 鳥もどきよりも怖いんでしょうか? 今度、白蓮にどんなものか聞いておかないと。
「気が付いているか? 上の方で閃光が光っているのが?」
気が付いていました。さっきから塔の上の方でちかちか光ってますし、森の奥の方でもちかちか光っていますね。目がちかちかします。
「この森では冒険者は全て、事務方がきめた場所、時間に従って動く。絶対にだ。これだけの人数が森に潜っているんだ。従わなかったら『崩れ』が起きる。だが今日の赤玉みたいに予定外のことが起きるときもある、その場合は城砦から各組に狼煙か閃光で連絡がいく。各組も閃光か閃光玉を使って応答する。何れにせよ、皆、事務方に従って行動する」
「見落としたりしたらどうなるんでしょうか?」
多門さんはいきなり私の胸倉をつかんだ。前にもあったような? 私は何か悪いことをしました?
「絶対に見落とすな。マ者に追いかけられて領域を超えそうになったらそこで食われろ。絶対に超えるな。時間を超えそうになったらそこで自決しろ。それがこの嘆きの森に入るという事だ。絶対に忘れるな」
多門さんの瞳に私のあっけにとられた顔が映っている。でも何だろう、この人は私に怒っているんじゃない。一体何に対してこの人の怒りは向いているんだろう。白蓮、私達はやっぱりとんでもないところに来ちゃったみたいだぞ。
「おい、うるさい奴。腹が減った。さっさと行くぞ」
百夜が多門さんの上着の裾を引いた。彼は我に返ったように私から手を放すと一言、
「すまなかったな」
と声を掛けた。この人も色々あるんだろうな。
「もっとも、このやり方が定着したのは今の結社長になってからだ。あんたの親父さんの時には多少は分業していただろうが、これほど徹底的にはやってなかったはずだ。結果、関門は一大商業都市になり、結社の金庫も潤ったという訳だ。お前にはあまり関係のない話だな」
そうですね。私にはあまり関係がないですが、自由に逃げられないというのはいつも逃げ回っていた身としては大問題のような気がします。
「ただ、これだけは覚えておけ。今、この結社には二つの派閥がある」
派閥ですか? 結社も商会とか貴族みたいなものなんですね。
「一つは、古参組。お前があったおっさん連中で、昔気質の腕に自信があるやつらだな。もう一つは大店組だ。まあ新興勢力というところだ」
「何が違うのかよく分かりませんが?」
「古参組は、事務方に申請して狩に行く。つまり自分で獲物を決めているやつらだ。まあ冒険者そのものだな。大店組は、事務方がいつどこで何をするのかを決める。まさに大店、商売中心のやり方だ。今はどっちが優勢とはいえないがあのおっさん達が引退する頃には、ここは大店組のものだろうな」
多門さんは、そう言うと溜息を一つついた。
「大店組には二つ名持ちなんてもんはいらない。それより均質な能力があった方が都合がいい。人だって来るのを待つのではなく、あちらこちらの出先に出向いて自分達の目にかなったのを集めてやっている。もう冒険者とは呼べない連中だな」
どちらについた方が上納を返すのに都合がいいんでしょうか?
「気をつけろ。お前はおっさん達のお気に入りだから大店組からは快くは思われてはいないはずだ」
ああ、もう私の立ち位置は決まっていたんですね。これって肉屋の娘の乙女本だと古い人達のお気に入りですから破滅役ですよね? あ、そうか話が微妙だから、こんな、他には誰もいないところで言ってくれたんですね。この人、少しは気を使える人なのかな?
「さあ、先は遠いぞ。先行組でいけるかもしれないとほざいた口で頑張って登れ」
いや、絶対にたまたまだ。百夜、私を置いていくな。それに下を見たら動けません。今度は絶対に内階段で行きましょう。




