積み荷
残念ながら下りの道中も、実苑さんの話を聞くことはできなかった。
唯一確認できたのは、実苑さんがまだ結婚していないという事だけ。もしかして寧乃ちゃん、もうその年で実苑さんを狙っている口ですか? まあ恋に年は関係ないですね。がんばってください。
その代わり私は、寧乃ちゃんから色々な街の話を聞くことが出来た。東の湿地地帯にいる大鯰の話なんて聞いたこともなかった。白身でふわふわでとっても美味しいんですよね。
一度みんなで行って食べてみたいな。すごく大きいと聞いたけど、百夜だったら一人で全部食べちゃうかも? 知らないと思いますけど、この子はこの小さな体ですごく食いしん坊なんです。
そんな話をしているうちに高馬車の傾きがいつの間にかなくなり、車輪の立てる音も固いきしむような音から、石畳をすすむようなカタカタという音に変わっている。もう間もなく城砦に着くのだろうか? すくなくとも関門は越えたという事だ。
もうちょっとだよ、みんな。助けたらちゃんとほめてくださいね。特に旋風卿、お前だ。あんたは私に感謝の気持ちが全然足りない。世恋さんの爪の垢を煎じて飲め。
バンバン!
御者が入り口を叩く音が響いた。
「お疲れさまでした。到着です」
寧乃ちゃんが隠し戸をあけると、入り口の前に台となる小さな箱をおいた。
「では小さいお子様から先におあがりください」
「着いたか?」
百夜はあくびを一つすると手で左目をこすった。
「おもかろいやつ、ここにもいるな? いいのか?」
城砦ですからね。そりゃマナ使いもいっぱいいるでしょう。頷いた私に納得したのか、百夜ちゃんは置かれた台に飛び乗って、あっという間に御者台まで上がった。相変わらず身の軽いことで。どうして起きてすぐにあんなに軽快に動けるのだろう。
私は寧乃ちゃんに台を抑えてもらいながら、よっこらしょという感じで穴に体をねじ込んだ。ずっと座りっぱなしだったので、背中もお尻も痛くてしょうがない。隣のおばあさんになった気分だ。
御者が私の手を取ると、私の体を穴から引っ張り上げた。後ろでは寧乃ちゃんが私のお尻を押している。寧乃ちゃん、私はお尻を押してもらわないと出れないほど重くはないですよ。肉屋の娘とは違います。
マ石のかすかな明かりに慣れた目が眩む。手をかざして下を見ると白蓮はすでに高馬車から降りていて、その前には実苑さんが立っていた。百夜もすでに高馬車から降りて白蓮の横にいる。
「ありがとうございました。品物のお渡しと譲渡証明書への署名をすぐにさせていただきます」
白蓮が実苑さんに丁寧に挨拶している。普段私にとっている態度はなんだ? 全然違うぞ。
『あれ、白蓮どうした?』
白蓮が首に手をやったかと思うとその体が崩れ落ちた。百夜の体も前へと倒れていく。実苑さんが崩れ行く百夜の体を片手で支えた。
私は帯革にある小刀に手をやった。白蓮を百夜を救わなくては……。だが後ろに回した手が誰かに抑えられた。私の横には寧乃ちゃんの顔があった。彼女のもう一つの手で私の口が抑えられた。全く体の自由が利かない。私より小さな子供のようにしか見えないのに……。
「すでにお代はいただいておりますので、そちらはお納めください。私の依頼人はとても規則にうるさい方なんです」
実苑さんが私に語りかけた。お代? どういうこと?
私は誰かの助けを呼ぶために叫び声を上げようとしたが、寧乃ちゃんに抑えられた口からは何も発することが出来ない。
「皆さんは私達の大事な荷ですから、傷をつけるわけにはいきません。どうかお静かにお願いします」
寧乃ちゃんの冷静な声が耳元に聞こえた。なめるな!私は彼女の手に噛みついた。一瞬、押さえつける力が緩んだ。左手で口にある彼女の手を引きはがしにかかる。だがいつの間にか左手の甲に何か黒いものがあった。なんだろう?
あ、だめ、今意識を失う訳にはいかない……。
『ごめん、みんな!』
* * *
「道中の確認は?」
荷下ろしをする実苑に多門が問いかけた。
「駆け出しに、普通の女の子ですね。特に何もありませんでした」
実苑が荷ほどきの手を休めないで多門に答えた。
「子供はよく分かりませんが、同中ずっと寝ていたそうですから、見かけはともかく普通の子供なんでしょう」
「何も無しか」
多門がやれやれという表情をして見せる。
「ただ、健気ではありますけどね」
実苑は荷ほどきの手を止めると、多門に向き直った。
「それゆえ、大人のあれやこれやに巻き込まれたというところですか?」
その声は少し非難めいた口調にも感じられるものだったが、多門は何も答えずに実苑をじっと見つめた。
「失礼しました。私の商売とは関係のない話でしたね」
そう告げると、実苑はさわやかな笑顔を多門に向けた。
「残りの荷もすぐにお引渡しさせていただきます。今回もお取引いただきましてありがとうございました」




