老兵
身に帯びる剣の重さをこんなにも感じるようになるとは。若い時には予想もしない事だった。
内地では「あの地」で通じる、「追憶の森復興領」にあの男が赴任した結果、「追憶の森辺境伯領」になったこの地の兵士長良仙は、すすけた天井の隅の蜘蛛の巣で必死にもがく一匹の蛾を見つめながらため息をついた。
まるで今の自分ではないか?
すでに齢は五十の半ばを過ぎた彼ではあるが、数年前まではそんな年齢をまったく感じさせない内地の将だった。
たいして位の高くない武人家系ではあったが、四十年近くの軍歴で一歩一歩その地位を築いてきたのだ。だが王宮内の陰謀に巻き込まれた息子が不敬の罪で死罪となり、自分も将の地位を解任されてこの地へ流されることとなった。
本来なら息子が死罪になった時点で自分も毒を仰がされ、妻と息子のとこへと行くべき身であるはずだった。だが、まだこの地で命を長らえているのは自分に嫉妬した名門軍閥あたりの意趣返しの結果だった。
あの男と一緒に辺境領流しにして、私が息子の仇のあの男の首を取らないかと願ったのか、あるいはその反対で、道中にあの男が間違いなく私を殺す事を期待したのかのいずれかに違いない。
だが内地からの行軍中に命を落とすこともなく、この地に辿り着いてしまった。あの男が何をどう考えているのかは皆目見当がつかない。
いつの間にか蛾は動きを止めていた。どちらにせよ私の命も長くはない。たとえあの男に殺されなくてもだ。
あの男は王宮の雀たちの目論見通りにこの辺境領の領主達に無理難題を吹っ掛け、見事なぐらいに彼らの怒りを買っている。
このままではこの地の領主達との戦は避けられない。我々が倒れた後で病に伏した現国王陛下の息子、あの男の甥の誰かによりここは再度蹂躙される事になるだろう。
黒の帝国の崩壊から三百年。やっと人はその領土の一部を取り返してきたというのになんて愚かな行為なのだろう。
いや取り返してきたからこそ、宮廷の雀達はそれをさらに取り上げようとしているのだな。あの男も私も、今はその愚かな行為の狂言回し役にすぎない。
「良仙様 王弟殿下がお呼びです」
まだまだ少年らしいあどけなさを残した従兵が、良仙の前に膝まづいた。初対面の時にこの少年は私に会えたことを光栄だと、紅潮した顔で言っていたのを思い出す。
彼はここがどのような場所で、これから何がおきるかなど微塵も分かっていないに違いない。
なんて哀れなことか。
私の心にも少年に対するその程度の同情心はまだ残っているらしい。たとえそれが幾多と行った戦場で動けぬものにとどめを刺すときに感じる程度のものであったとしてもだ。
良仙は少年に頷いて見せると、立ち上がって軍服の皺を伸ばし、彼の息子の死罪の元になった男が待つ執務室へ続く廊下へと歩み出た。




