昔話
終わりの時は突然訪れた。黒き竜の瘴気によりこの地は黒き森と化し、黒紫宮を守る8つの塔と鉄壁の城壁は赤き竜の炎によってすべて焼け落ち、この地を守る兵たちは白き竜によって灰となって風に散った。
そして王宮の巨大な閲兵台の上で、この三匹の竜が私を見ている。
すべては父が、自他ともに歴史上最強のマナ使いと言われた父が、その強さを誇らんがために『竜』を捕らえようとしたことが発端だった。父と魔女と恐れられた母、そして父の自慢の英雄兵達によって、それは成し遂げたかのように思えた。
父は南の森で一匹の黒き竜を捕らえることに成功した。何百ものマナ使いによる炎、風、つぶて、そして何百ものマナ使いによる鉄鎖の力、何百のマナ使いによる眠りの力。それらを駆使してついに『竜』を捕らえたのだ。
マ者の王、すべてのマ者に君臨する『竜』を。それは幾度もマ者に滅ぼされかけた人がついにマ者を森を制したかと思われた瞬間だった。
父は己の力に狂喜乱舞した。捕らえた黒き竜を帝都に、黒紫宮に運び己の力をすべて人に誇示する。だがそれは同時に悪夢の始まりだった。
国境に現れた二匹の竜。赤き竜と白き竜は、黒の帝国の国土をらせん状に回りつつ、その途上にあるすべてのものを滅ぼしていった。城も、街も、耕地も、そして人も。
二匹の竜は黒の帝国の中心。この黒紫宮へと現れ、父の最後の砦をいとも簡単に蹂躙した。そして捕縛から逃れた黒き竜はその怒りを父に向けた。
黒き竜は父の体を貪り食った。父が閲兵台の上におのれの血を下らせながら叫んだ最後の言葉は、「我に力がもっとあれば」だった。父は最後までその力がこの国を、自身を滅ぼしたことを決して認めようとはしなかったのだ。
母は黒き竜に貪り食われる父を見て、心が壊れたのかもしれない。あるいは父より正直だったのだろうか? 母は、「こんな力などなければ」とすすり泣きながら床に手をついて泣いていた。
黒き竜が父を貪ったのを見た赤き竜は、母の前に首をのばすと、まるで人が菓子をついばむかのようにその身を一口に飲み込んだ。私の目にそれは、黒き竜が父を食べたのを、ただ真似てみただけのように見えた。
白き竜が私の前に首を伸ばす。次は私の番だ。私は腕に抱いていた赤子の妹を背後に置いて身を差し出した。私を食べてそれで満足して欲しい。どうか妹だけは助けてほしい。私は心の中で願った。
「お前たちはなぜ無我を求める?」
その心に何かが呼びかけた。目の前の白き竜が首を横にして、その瞳孔のない瞳で私を見つめていた。そして黒き竜が私を殺そうとしたのを押しとどめていた。
「お前たちは、なぜ無我を求め、我らが餌を狩る?」
再びその声なき声が私の中に響いた。
「無我?」
一体何のことだろう?
「そうだ。無我はお前達を求め、お前たちは無我を求める」
「マナの事ですか?」
「そうだ」
「我らは、無我に現れた一時の我にすぎん。いずれは無に戻る。われらが餌も全てそうだ」
マ者も竜もマナの一部という事なのだろうか?
「そもそもわれらとお前たちは交わるはずがないものだ。われらは一にして全。お前たちは個だ。個が個を生む」
「お前たちが無我を求め、無我が個を求めて、お前たちはこの地に交わった」
「私達が望んでこの地に来たというのですか?」
「お前たちが無我を変えた。無我が、お前たちが、両方が望んだのだ」
「私達は生き残るために森に挑み、あなた達に挑みました。ではどうしろと。あなた達を恐れて、隠れて生きて行けというのですか?」
「触れねばいいのだ。そうすれば個が全に交わることはない。その赤子のように」
私は背後で泣き声をあげている妹を見た。
「妹は力を、マナを求めなければ殺さないでくれますか? 生き残ることが出来ますか? 約束してもらえるのなら私は喜んでこの身を捧げます」
私は必死に祈った。祈りを捧げる私の前に白き竜は自分のうろこを一枚差し出した。
「これを持て」
白き竜は、怒りに咆哮をあげる黒き竜を押しとどめると、二匹の竜を連れ立って空へと舞いあがった。
「いずれお前をもらいに行く」
それから十余年がすぎた日の夜。私はその日が来たことが分かった。破壊されずに残った数少ない建造物、水晶宮の塔の上にあの方はいた。約束の日が来たのだ。
満月の光がそのうろこを白銀に染めている。なんて美しいのだろう。妹を守りこの地にたどり着いてから、いつしか私はこの方が現れるのを心待ちにしていた。
妹にもこの日が来ることは伝えてある。そしてそれは私が望んだことであることも。そして今では私がそれを心待ちにしていることも。そして私達がこの方との約束を決して忘れてはいけないことも。
私は死ぬのではない。あの方に私の魂を捧げるのだ。私の精一杯の感謝と共に。あなたは私達に人がこの地に生きていく希望と指針を与えてくれたのです。
白き竜よ。




