壁の国
高馬車がゴトゴトと揺れながら走っていく。
その度に台車のばねがかすれた金属音を響かせていた。百夜は出発してすぐに、私の肩を枕にすやすやと寝ている。弁当に寧乃ちゃんが持ってきてくれた麺麭に、醍醐までぺろりと食べたのだから眠くもなるだろう。
というかあんた食べ過ぎ!
私は肩にかかる百夜の重みを感じながら、襲ってくる眠気と必死に戦っていた。腕の内側をひねるぐらいではぜんぜん効かない。すぐに意識を持っていかれそうになる。例え、目の前にいるのが自分より年下の少女だからと言って、同じ過ちを犯すわけにはいかない。
不意に馬車が止まった。前に落ちそうになった百夜の体を慌てて支える。寧乃ちゃんが唇に指を当てるとマ石の明かりを消した。あたりが真っ暗になる。空気穴だろうか、下の隅にだけかすかに明かりの気配があった。
誰かの靴音。くぐもったはっきりしない声が聞こえて来た。外で御者が誰かと談笑しているようだ。
バンバン!
不意に馬車の外壁を叩く音がした。百夜がその音に目を覚ました時の為に口元に手を持っていく。このまま寝ていろよ黒娘。その叩いた音が合図だったのだろうか、馬が嘶く音が聞こえたかと思うと再び馬車が進み始めた。私達はまだ暗闇の中だ。
しばらくすると、御者が馬達に気合をかける声と手綱を打つ音が響いてきた。私の体が徐々に後ろ側に押し付けられる。関門の上りにかかったのだろうか? マ石の明かりが再び灯った。灯の中に寧乃ちゃんの顔が不意に浮かび、私は思わず小さく叫び声をあげてしまった。
「びっくりさせちゃいました。すいません」
きっと、私の驚いた顔が面白かったのだろう。寧乃ちゃんは笑いをかみ殺すような顔をしている。お姉さんとしてはちょっと恥ずかしい。
「もう、上につくまでは大丈夫です。ここは一本道ですから。横で聞き耳を立てる人はいません」
思わずため息が出て肩から力が抜けた。こんなことばかりだと肩がこってしかたがない。
「今回は皆さんのようなお客様で良かったです」
喜んでいただいてこちらもうれしいです。
「風華さんは、ご出身はどちらなんですか?」
寧乃ちゃんが私に尋ねた。
「あ、すいません。もしお答えできないようなら……」
いえいえ、この眠気をなんとかしてくれるのであれば、なんでも乗ります。だいたいそんな隠すようなことでもないです。
「いや、そんなことは無いですよ。復興領です」
「では、私達と全く縁がないわけではないですね」
「どう言うことですか?」
「『壁の国』は黒の帝国の末裔の国ですから?」
黒の帝国の末裔だと何で復興領と縁があるのだろうか?
「壁の国の事とか全く知らないんです。よかったら教えてもらえませんか?」
是非何かお話をお願いします。もう限界なんです。ただ黙って座っていたら一時(5分)持たないで絶対に寝ます。
「ええ喜んで。だいたい私達の国は、他の国の人達から良く誤解されていますから、正確な話をお伝えできるのはとてもありがたいことです」
「壁の国がここから北西の森に囲まれたところにあるというのはご存じですよね」
「はい」
多分、そう聞いていた気がします。あくまで多分ですけど。
「壁の国は中心に湖があって、その湖に面して水晶宮というとてもきれいな宮殿が建っています」
「すごく魅力的なところなんですね」
「はい」
寧乃ちゃんがにっこりとほほ笑む。みんな自分の故郷は好きなんだな。私も丘の上から見る一の街は大好きだ。
「みんなマナ教を信じていて、穏やかな人たちばかりです」
「マナ教ですか?」
「ご存じありませんか? 壁の国と言えば『マナ教』という感じですけど」
「すいません、田舎者なので……」
「いえいえ、むしろ世間の適当な噂を信じていないという点ではとてもありがたいです」
「適当な噂?」
「はい、マ者に処女の贄を捧げているとか……」
「はっ!?」
「全部嘘ですよ。マナ教は森が神様ですが、森に贄など捧げたりはしません。そもそも森は神様の領域ですから立ち入ったりしませんし」
森が神様とか、最近どこかで似たような話を聞いたような気がするのですが……。
「森って『黒き森』が神様ですか?」
「はい。神であり神の領域です。皆さんがマ者と呼ぶ存在は、私達にとっては神の御手であり、私達の導き手であります。私達人は神様の領域から人が立ち入っていい場所を与えられている存在にすぎません」
「なるほど……」
よく分からなかったがとりあえず頷いておく。森に入ってマ者と切った張ったりした私なんかは、完全に神の領域を犯した罪人という事になりますかね?
「森にはいったらどうなりますか? 殺されちゃったりするんですか?」
そうなら絶対に壁の国には近寄りません。
「いいえ、そんなことは無いですよ。森に入ったり禁忌を破ってマナの力を使った人は、国外に追放になるだけです」
国外追放って十分重罪ですよね?
「他の国の人は入れないって聞きましたけど?」
「はい。基本的には入れません。と言ってもまったく入れないわけではありません。許可を得た隊商は入れますし、他の国の偉い人が来た時にはそれを追い返したりはしません。普通は入れないというだけです」
つまり、特別じゃないと入れないという事ですよね。まあ、行くこともないからいいでしょう。
「それに、とても平和な国なので、あきたらずに自分から外に出る人もいます。城砦には『壁の国』出身の冒険者の方も結構いて私達のお得意さんです。みなさん自分から国を離れても、食べ物とかいろいろ国のものを欲しがるみたいです」
「マナを使えないと、火とか、水の浄化とか色々困りませんか?」
「どうでしょう? 火は火打ちで起こせばいいですし、水はきれいな井戸が豊富にありますし、さほど困ったりはしません」
そんな、森に囲まれているのに森にも入らない、マナも使わないなんて国があるんだ。マナ酔いもしなくてすみそう。
「復興領の私達とは真逆ですね。縁もゆかりもなさそうです」
「いえ、とてもありますよ。私達『壁の国』の住人は、もともと復興領から南、『黒の帝国』の内地に住んでいた住人達が建てた国ですから。私達はもともとは同じところに住んでいたんです」
それなら、皆さんはマ者に滅ぼされかかった人達ですよね?
「でもどうして、『黒き森』とかマ者が神様になっちゃうんでしょう?」
「興味がありますか?」
「あ、ちょっとだけ……でもまたの……」
難しい話なら結構です。されたら多分眠くなります。それより「実苑さんってすごくかっこいいですね?」とか、「結婚しているんですか?」とか「寧乃ちゃんは、実苑さんの事どう思ってます?」の方が個人的にはかなり盛り上がれると思うのですが……駄目ですかね?
「では、マナ教に伝わる昔話をさせていただきます」
寧乃ちゃんは背筋を伸ばすと、膝を揃えて私の方に向き直った。しまった、最初に話題を間違えた。完璧に間違えた。『実苑さん』の話にするべきだった。
今から寝たふりは……無理ですね。




