貴賓室
どうやら本当に時間がないらしく、もたもたしていた私達は、寧乃ちゃんにあっという間にひん剥かれて、隊商の洗いざらしの木綿の服に着替えさせられた。
意外と似合っている百夜ちゃん。黙っていれば無垢な子供に見えます。私が大分慣れたというのはあるかもしれないけど……。私はというとやっぱり下女にしか見えていないような気がする。
まるで何かの奇術のように天幕があっという間に消えて、私達の服を寧乃ちゃんが櫃に入れて、他の若い子とさっさと持っていく。なんて素早い。私にはここで働くのは絶対無理だ。
外では、合計で10名を超える程度の隊商の人達が実苑さんを中心に円を作っていた。
「出発の儀式です。すぐ終わりますからこちらで静かにお待ちください」
そう私達に告げると、寧乃ちゃんも円の一員に入った。全員が胸元からなにやら金色の首飾りを取り出して両手で握り、それを顎に持っていって膝まづいた。
「偉大なる森の神、その第一の御手にて我らが守護者よ。大いなるお力にて我ら僕を導き給え」
実苑さんの声が響く。続いて隊商の全員が同じ台詞を唱和した。
「では出発です。先頭組に入らないと、今日中に、向こう側に着けなくなりますから急ぎで行きます」
実苑さんの言葉に、ある者は高馬車の御者台に、ある者はその荷台の後ろへと、隊商の面々が持ち場へと散っていく。白蓮は実苑さんに連れられて、先頭の高馬車へと向かった。彼は私に軽く手を振ってにやけた笑いを見せる。
酔った勢いで口づけを許したからと言って、ちょっとなれなれしいぞ白蓮。お前にはまだ詐欺師疑惑が残っている。それは私も同じか……。また変な事を思い出したじゃないか、どうしてくれるんだ?
私達は寧乃ちゃんに即されて、一番後ろの高馬車の御者台に登らされた。一行の御者の振りをしていくのだろうか? そんなことを思っていたら、寧乃ちゃんが御者台の後ろの板を思いっきり蹴った。板が外れて何やら黒い穴が顔を出す。
「では貴賓室へお入りください」
『貴賓室』!この真っ黒な穴のどこが? 入れというのだから、入らないとだめなんですよね。本当に貴賓な方々は腹がつかえて入れないのではないだろうか?
私は身をよじって何とか穴に体をねじ込んだ。足元を探るとなにやら台のようなものがあるので、それを足場に頭を下して中を覗き込む。皮の長椅子とかはもちろんない。木に毛布を引いただけの横長の狭いただの隙間だった。
上からの光を頼りにおそるおそる足を床に下す。その時何かが上から落ちてきて、私の体を床の毛布の上に放り投げたあげくに踏みつけた。
「邪魔だ赤娘」
何を偉そうに。もうあなたに「ちゃん」づけするのは金輪際止めます。さっき、無垢な子供に見えるなんて思ったのは、完全に私の目の錯覚でした。
百夜(もうちゃんづけは一切無しです)の後ろから、角灯と小さな籠を持った寧乃ちゃんもするすると降りて来た。角灯に明かりをつけると、床に落ちていた板を中からはめる。あたりは角灯の黄色い光だけに包まれた。
「あの、貴賓室って?」
「私達の合言葉のようなものです。どうかお気になさらずに。普段は検査対策などに高級品を入れておく場所です」
そうですね、私も赤葡萄酒とか出てくるとは思っていませんでした。それに今回の私達は荷物ですし。確かにお手洗いに行っておかないと大変だった。白蓮もこの貴賓室とやらに入っているのだろうか?
「でも、貴賓室というのもあがなち嘘ではないですよ」
どこがですか?
「見てください超高級品です。マ石の角灯です。ここでは油灯は使えないですから」
寧乃ちゃんが手にした角灯を私に向かってふりふりする。隊商で働いていても年相応の子供なんですね。彼女に少し親近感が湧いた。あれ、そういえば緑香さんからマ石の角灯をもらったはずだけど、どこに行ったかな? あれもきっと高級品のはずだ。
「お前、おもかろいな?」
やばい、忘れていた。慌てて百夜の口をふさぐ。
「おもかろいですか?」
「この子のかわいいの意味です。どうかお気になさらずに……ほほほほ」
寧乃ちゃんは不思議そうな顔をしたが、手にした籠を私達に差し出した。
「とりあえず、朝ごはんに麺麭と醍醐を持ってきました。お腹が減っているようなら食べてください」
「お~~、なんだこの白いのは?」
「醍醐です。こちらの匙を使ってください。おいしいですよ」
あんた、三春さんからもらったお弁当、私達がうろうろしている間に勝手に全部食べたよね。もしかしてこれも全部食べるつもり?
「あ、動き始めましたね。関門を登り始めるまではお静かにお願いいたします」
しょうがない。黒娘に文句を言うのは後回しだ。
『お願いみんな無事でいて!』
私も彼らとは違う神に祈りを捧げた。




