交渉
その野営地というのは、名前から私が想像していたものとは全く違っていた。
色とりどりの天幕とその間を行きかう大勢の人々。馬の嘶き、街道筋につきものの馬糞の匂い。朝の準備に追われる人々の喧騒は、何かのお祭りがこれから行われるかのようだった。
違うのは音楽の調べがないぐらいなものだろうか? 各国、各地方の様々な衣装の人々が水場から水を持ってきたり、馬の世話をしたり、天幕を立てたり、畳んだりとともかくせわしなく動いている。
私と百夜ちゃんを背負った白蓮は、この城砦に向かう街道横の野営地の入り口で呆然とそれを見ていた。
『緑の三日月』を探そうとした時もそうだったけど、これから自分たちが目当てとする隊商を探すことなど出来るのだろうか? 唯一の目印は、天幕の上に掲げている国旗と隊商旗であるが、こう沢山の天幕があっては、どれがどれだかさっぱり分からない。
それに朝の出発の時間を逃してしまうと、城砦に向かうのは明日になってしまう。私は焦る気持ちを抑えて、朝の風にはためく隊商旗を白蓮と一緒に必死に目で追っていた。その時だった、
「あなた方ですかな? 連絡があったのは?」
誰かの声がしたかと思うと、きょろきょろと辺りを見回していた私と白蓮の間に、一人の男性の顔が飛び出した。
背が高い人だ。背を丸めて顔を出したにも関わらず、白蓮の頭より半分近く高い位置に、そして私からは見上げるような位置に顔があった。そしてこの正体不明の人物は、私の肩に手を置いている。
頭には布を巻いた帽子をかぶり、その布の隙間からは、はちみつ色の長髪が布と一緒に肩から前に落ちている。少したれ目で切れ長の目には、黄色に近い薄い茶色の瞳があった。
もともとは白かったと思える肌は薄茶色に日焼けして、目じりのあたりにわずかにある薄いそばかすが愛嬌のある趣を添えている。
あごにはわずかに生えた髪よりちょっと濃いはちみつ色の無精ひげ。白いゆったりとした衣裳を着てその袖先には赤や青、黄色と言った鮮やかな色の布が縫い付けられていて、異国情緒を醸し出している。
男装した世恋さんを超絶美少年と呼ぶのであれば、この人は超絶男前とでも言うべき人だった。年齢は私達よりははるかに上だと思うが、まだ若いと呼べそうな年齢に見える。
白蓮、申し訳ないけどこの人の隣だと君はじゃがいもだ。これで少しは世恋さんの隣を歩く私の気持ちが分かったか?
「おや、驚かせてしまいましたかね?」
男が子供がいたずらを思いついたときのように目をきらめかせながら私達を見た。
「どなたでしょうか?」
白蓮が肩にかかっていた手をどけて男に向き直った。ちょっともったいないとは思ったが、私も慌てて自分の肩にあった手をどけて彼に向き直った。
「緑の三日月の主から連絡があったのは、貴方方の事だと思ったのですが? 違いますかな?」
「角庵さんからですか?」
私は思わずこの得体が知れない超絶男前に答えた。
「昨日の夜に私の所に連絡がありました。あなた方への連絡は?」
「特にもらってはいませんが、自分達の滞在先は伝えてなかったので」
白蓮が少し戸惑いながら答える。
「それでですかね、入り口あたりで見ていて欲しいと言われたのは。まあ、あなた方のような明らかに隊商の一員とは見えない人達は、ここでは相当目立ちますからすぐに分かりました。貴方が白蓮様ですか?」
男が切れ長の目を細めてにっこりと笑った。うん。この人、単なる男前じゃなく愛嬌もある人だ。こんな人に口説かれたら、女はみんなふらふらと行っちゃうんだろうな。
「紹介が遅れて申し訳ありません。私は、実苑というものです。壁の国のこじんまりとした隊の隊商長をやっています」
「白蓮です」
この交渉には偽名は不要ということだね。確かに角庵さんとの事を考えれば話がややこしくなる。
「この子は百夜です」
白蓮が背中で寝ている百夜を彼の前に見せる。
「風華です」
私は彼に向かってお辞儀した。彼が私に向ってにっこりと微笑んで見せる。なんだかよく分からないが耳の後ろが少し熱くなった気がする。
「ここは目立ちすぎますし、時間もない。私の天幕に案内しますので、なるべくさりげなく後をついて来てください」
彼はそう言うと野営地の外周を回るように移動していく。私達はその後ろを少し距離を開けてついて行った。
彼の天幕は野営地の外れの、他の天幕からは少し離れたところにあった。片手ほどならんでいる天幕の上には壁の紋章の国旗と秤が描かれた紋章の隊商旗が風に揺れている。
天幕の周りでは彼と同じような服を着た一員が高馬車(荷物を運ぶための大型の馬車)に、天幕から物を運んでいた。もうすぐ出発なのだろう。
その向こうでは、装飾のない洗いざらしの薄茶色の木綿を来た若い子が桶に入れた水を馬のところに運んでいる。なんとなく彼がこじんまりとしたと言った意味が分かるような気がした。
「大店と違って私達のようなところは、なかなか水場に近いところは取れなくて。まあ、壁の国のものという時点で、橙の国や高の国とは同じ扱いにはならないから致し方ないところですね」
彼はそういうと私達の方をふり返った。
「もしかして、『壁の国』の人間と話すのははじめてですか? まあ、私達の国は尾鰭が付きやすいけど、そう皆さんの国とさほど差があるわけじゃないです」
彼はそう言うと、一番奥にあった天幕へと私達を招いた。確かに初めて「壁の国」の人と話をした。もっとも「高の国」の人と話をしたのだって、旋風卿や世恋さんがはじめての田舎者だ。
「壁の国」について知っているのは、北西にある黒き森に囲まれた国で、なんかの宗教を信じていて、外から人を入れない国ということぐらいしか知らない。というか興味もなかった。もしかしたら言葉とかも違うのかな?
彼の言葉は完璧な内地言葉だけど、私は相当気を付けないと復興領なまり丸出しだ。でも世恋さんと旅して、少しは内地言葉に近づいた気がする。
「どうぞお入りください」
彼はそう言うと、天幕の入り口をくぐって中に入った。もうほとんど高馬車に積み込んでしまったのだろうか?中には折りたたみ式の丸い卓が一つと、折りたたみ式の椅子がその周りにおいてあるだけだ。彼は手前の椅子を3つ引いて私達にそこに座るように即すと奥の椅子に座った。
「時間もないので、さっそくお話をお伺いしましょうか?」
実苑さんは直ぐに私達に用件を訪ねた。
「城砦まで私達を運んでいってはもらえませんでしょうか?」
白蓮が実苑さんに単刀直入に切り出した。
「結社の馬車ではなくて我々にですか?」
「そうです。みなさんの荷として運んでもらいたいのです」
「あまり筋のいい依頼ではありませんね」
実苑さんが指を顎にあてて考えるような表情を見せた。
「この手の依頼があったときは、結社に先触れを送るというのが正しい手順でね。正直、私も面倒はいやなので、そうするつもりだったのですが、入り口で皆様をみて興味が湧きましてね」
「興味ですか?」
「結社の誰かが点数稼ぎをやりたくなったとしたって、この枯れた時期にやるのはちょっと。それに入り口であんな立ち方をしている皆さんが囮だとしたら、結社の趣味が変わったとしてもいくらなんでもという感じですしね。それで話を聞いてみるのも悪くないと思った次第です」
「話を聞いてもらえる機会を得られたという事は、僕らは幸運だったという事ですね」
「幸運? どうでしょう。このお話の成り行き次第ではありませんか?」
「私は交渉事は慣れていないので、単刀直入にいかせていただきます。私達の荷代としてこちらをご提供させていただきます」
白蓮の手が腰へと動く、実苑さんの手も背後へと素早く動いた。
「お見せするだけです」
白蓮は、ゆっくりと短刀を引き抜いて卓の上へと置いた。さらに、私の革帯から諸刃の小刀を引き抜いてそれも卓の上へと置いた。
「黒刃です。確認してください」
白蓮が実苑さんに告げた。実苑さんが卓の上の短刀を手にして、その刃を目の前に持っていく。
「おやおや驚きましたね。正真正銘の本物だ。黒刃の短剣をこんな風に普段使いする人というのは、あまり聞いたことが無いですね。マ者に持っていかれたりする可能性だってあるのでしょう?」
彼は短刀をおいて小刀を取り上げた。その刃先を確認している。
「手入れも十分にされているみたいですね」
はい、世恋さんがそれはそれは丹念に磨いてくれていました。
「今どき、黒刃なんてめったに出ないですから驚きましたね。でもマ石と同じで、結社の証がないとおいそれと商えないものなのは知っていますよね?」
「はい。でも証明書なしでも、私達3人の荷代としては十分ではないでしょうか?」
気軽に投げていましたけど、そんなにお高いものだったんですね。そういえば湖畔でもう二つほど無くしてます。
「無事に城砦に着きましたら、正式な譲渡の証明書に結社の者として署名させていただきます。そうすれば表に出すためにかかる費用もなくなりますから、十分に利益が出ませんか?」
「それでは、君たちをこっそり運んだのが私達だとばればれのような気がしますが?」
「どちらにしても、無事に運んでいただければ証明書に署名はさせていただきます。それをどう扱われるかは、貴方次第ということでいかがでしょう」
実苑さんが考え込むような表情になった。きっと頭の中でそろばんをはじいているんだろうな。白蓮、お前意外と交渉上手だったんだね。ちゃんと私達が無事にたどり着くような保証も考えてある。偉いぞ白蓮。見直した。仕入れの時の交渉もやってもらえばよかった。
「分かりました。お引き受けしましょう」
実苑さんは、にっこりと笑うと私達に手を差し出した。
「ここから城砦まではどのくらいかかるのでしょうか?」
私は実苑さんの手を握りながら、一番気になっていることを聞いてみた。
「普通は上りで一日、上に泊まって下りで一日というところですが、残念な事に行荷はほとんどないので、一日で一気に向こうまで行ってしまうつもりです」
3人が捕まってからすでに二日がたってしまっている。一日でいけるのなら本当にありがたい。城砦にたどり着いても3人が無事でなければなんの意味もない。
「では、さっそく行く準備をしていただきます。私達の準備も後はこの天幕だけになっているはずです」
実苑さんは立ち上がると天幕の外に顔を出した。
「寧乃、ちょっとこっちに来てくれ」
「はーーい」
だれかがこちらに走ってくる音がして、天幕の中に洗いざらしの木綿の服を着た若い男の子が入ってきた。
「城砦までのお客さんだ。この人達に合う我々の服を頼む。白蓮様は、私のところに来てもらって、お嬢様方お二人は別の高馬車に隠れてもらいます。一応は皆様が私達に害意があった場合の保険の意味もありますのでご了承ください」
「この子は寧乃です。お嬢様方の世話をさせます」
彼は寧乃と呼んだ子に指示を続けた。
「このお嬢様方には貴賓室を使う。時間がないから着替えの手伝いとかも頼む」
「はい、実苑様。寧乃と申します。よろしくお願いします」
女の子の声だ。頭に布をまいて髪を短くしているから、てっきり男の子かと思っていた。
「風華と言います。よろしくお願いします。この子は百夜です」
寧乃ちゃんが、退屈そうに足をぶらぶらしていた百夜を見て一瞬固まる。
「あ、生まれつきでうつったりはしませんから安心してください」
「我は毒ではないぞ」
百夜がすねる。うんうん、分かっているよ。でも初めて会うとね……。
「変わり者ですけど、気にしないでくださいね」
寧乃ちゃんが作り笑いをする。そのしぐさに花輪ちゃんを思い出して胸が痛んだ。貴方との約束ももうすぐだよ花輪ちゃん。
「では、すぐに出発です。お手洗いには先にいっておいてくださいね」
ああ、またそれなんですね。




