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酒場

「馬車で待っていますから、遠慮せずにごゆっくり」


 三春さんは私達にそう言ってくれたので、私は白蓮と一緒に馬車を下りた。そして二人で風に揺れる看板を見上げる。緑の月に茄子にかぼちゃにじゃがいも。どう見たって八百屋の看板だ。


 間違いない。この酒場の主人は私の父さんを慕ってくれているのだろう。そうじゃなかったら酒場にこの看板は絶対に使わない。


「ふーちゃん。ふーちゃんは切り札だからね。最初は僕が話をして、ふーちゃんが娘だというのは伏せておく。相手が渋るようだったり悩むようなら、ふーちゃんの事を紹介するという段取りでいいかな?」


 白蓮にしては考えているな。確かに交渉事というのは、最初にこちらの手札を全部出してしまうのは良くない。私だって仕入れで、その程度の事はわきまえています。こちらは()商人なんだから、なめないで頂きたい。


 私は白蓮にうなずいた。要は最初はおとなしくしてろと言う事でしょう?


 私が頷いたのを確認した白蓮が、少しだけ戸に耳をあてて中をさぐる様子をしてから、ゆっくりと片開きの風雨にさらされた樫の木の戸を開けた。低く木がきしむ音に続いて、戸に括り付けられている呼び鈴の音色が響く。


「いらっしゃい」


 中からは中年らしい男の低い声がした。店の奥で一人の口ひげを蓄えた中肉中背の男が、布で金属の器を磨いていた。油灯の炎のゆらぎに、その器が金色の光を放っている。


 彼の背後には酒が入っているであろう大小の壺がたくさん並んでいた。嗅ぎなれない酒の匂いでむせそうになる。


 店は勘定台の続きに5~6席、背後の壁沿いに合わせた二つの卓をあわせても、10名も入れば一杯になるようなこじんまりとした店だった。白蓮と私の二人では何日かけても、とても見つけられなかっただろう。


「こんばんは」


 白蓮が愛想よく答える。


「おやおこの店に若いお客さんとは珍しいね。はじめてかな?」


 男が顎髭を手でしごきながら白蓮に向かって語った。どこかで見た仕草だ。それってうちの父のまねですよね?


「はじめて寄らせてもらいました」


 白蓮が答える。私はとりあえず愛想笑いだ。


「表の看板ですけど……」


 男はにやりと笑うと口を開いた。


「あーあれか。もしかしてまだ開いている八百屋をお探しだったかな。残念だね、うちは酒場で野菜は置いてないんだよ」


「実は僕はあの看板を、別の街で知っているんです」


 男の顔に驚きの表情が浮かんで、器を磨いていた手が止まった。


「別の街?」


「一の街の三日月通りです」


「驚いたな。お客さんは一の街からここまで来たという事かい?」


 白蓮が頷く。


「うちは八百屋じゃないが、一杯おごらせてくれ。この店始まって以来だよ。一の街から来たお客さんをお迎えするのは。ともかくこちらに来て座ってくれ。そちらのお嬢さんもこちらへどうぞ」


「もうかれこれ20年近く前には何度も何度も足を運んでね。懐かしいな」


 男は後ろの棚から壺をいくつか物色したが、一つ手を打つと、大きな壺の背後にあった少し高そうな小さな壺を取り出した。


「うちのとっておきだ。今日みたいな日に出さないでいつ出すんだって感じだよな。この辺りの『のん兵衛』達にはもったいない酒だ」


 男は白蓮と私の前に白い陶器でできた器を置くと、そこに琥珀色の液体を注いでくれた。確かに高そうなお酒だけど、強そうな酒でもある。これは飲んでも大丈夫なんだろうか?


「まあ、慣れてないだろうからゆっくり味わって飲んでくれ」


 男が私の方を見て片目をつぶった。この人すごくいい人かも……。


「復興領は大変だって話じゃないか。本家「緑の三日月」はどうして知っているんだい? あの通りの住人かね? ああ、紹介が遅れたね。俺はこの店の店主で『角庵(かくあん)』という冒険者崩れだよ」


「はい。山櫂さんの弟子で『白蓮』と申します」


「弟子!」


 男の目が大きく開かれて、磨いていた金属の器が床に落ちて大きな音を立てた。男が慌てて床におちた器を拾った。


「陶器のやつでなくてよかった。いや良くない。弟子だって? あの人がか?」


「はい」


「信じられないな。山さんは今はどうしている」


「3か月ほど前に亡くなりました」


 男の手が止まった。彼は背後の棚から壺を出すと、手にしていた器になみなみとそれを注いで一息で飲み干した。


「いつまでも良き狩手であらんことを」


 彼は器を目の前に捧げると小さくそうつぶやいた。


 白蓮も目の前の器を取ると一息で飲み干した。


「いつまでも良き狩手であらんことを」


 私は涙を、肩が震えそうになるのを抑えるのが精いっぱいだった。彼に父の話をいっぱい、いっぱいしてあげたいけど、今はそれが私達の目的じゃない。


「最後は?」


「マナ病でした」


「あれだけ森に入っていた人だ。そうだろうな。それでもしゃばで死ねるあたりがあの人らしい」


 男は再び器に酒を注ぐと飲み干した。白蓮の空になった器にも酒を注ぐ。私も少しだけお酒に口をつけた。苦い。それに喉と胃が燃えそう。


「だが……白蓮だっけ? あんたが山さんの弟子とは信じられないな。あの人は誰が頼もうが弟子を取らない人だった。一番粘って一の街まで追いかけて行った俺が言うんだから間違いない」


 そこで白蓮を一瞥して角庵さんは言葉を続けた。


「言葉が悪くて申し訳ないが、当時の俺と比較してもあんたが弟子になれたとは到底信じられないな」


「気の迷いですかね?」


 白蓮がおさまりの悪い髪をかきながら答えた。


「おいおい、生いってるんじゃないぞ。あの人に気の迷いなんてあるわけがない」


 いや、いっぱいありますよ。なんだろう首のあたりも熱くなってきた。


「免許皆伝の書とか、それはまだ無理か。弟子の証明書でももらっておけばよかったですね」


 そんなものあるか白蓮!でもこの二人、お調子者のところがどことなく似た者同士かも?


「まあいい。俺がいくつか山さんの事について質問するから答えてみな。その答え次第で、本物の弟子と認めてやる」


 そういう展開ですか?


 ふふふ、なんでも私に聞きなさい。なんといっても、ここには()がいるんですから。


「じゃ、最初の質問だ。山さんの女の趣味は?」


『え”』


 角庵さん、お願いですから娘に答えられる質問にしてもらえませんでしょうか?


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