人形の家
「マイン家始まって以来の最高傑作です」
養育長は誇らしげにそう言うと、父に向かって母親の背後に隠れている幼女に手を向けた。長椅子に座って煙草の煙をくゆらしていた父が煙草を灰皿に押しつけて立ち上がった。
みんな死んでしまった者達だ。私は夢を見ているのだな。それともあの世とやらでこの人達に再会しているのだろうか? どちらにしても、大した差はない。
母親の顔には間もなく朽ち果てていくものが持つ、退廃の気配が濃厚に漂っている。
『泉恋』、この人をはじめて見た時、まさしく時が止まったかのように感じたものだ。父は彼女を外に出さずに『幹』、次の人形を作るために手元に置いていた。
今は、その時彼女から感じた生命力の輝きは微塵も感じられない。子をなした人形はこれまで咲き誇った美しさの代償を払うかのように、あっという間に死んでしまう。そう砂時計の砂が落ちるように、刻一刻と彼女から生気が失われているのだ。
『私の騎士様』
私がまだ精神的に幼く夢見がちだった頃、彼女は私をそう呼んでくれた。彼女が私をそう呼ばなかったら、槍の稽古などまじめにはやらなかったことだろう。
女衒の親玉にはなくても別に困らない、貴族らしい体裁を保つだけの技だ。だが私は夢の中で彼女の騎士になることに本気であこがれた。若さとは本当に罪深きものだ。
周りの者の反対を押し切って戦場なんて馬鹿げたところに出て行ったのも、自分が彼女の騎士として何かを示したいと思ったからだった。今にして思えば、単にものを知らない愚か者であっただけの事だ。
私からはいつしか若者が持つ何かが失われていき、代わりに祖父が父が受け継いできたくだらない何かが私の中へと注ぎ込まれていった。
そして私は肘掛椅子に座り煙草の煙をくゆらしながら、立ち尽くす親子に向かってゆっくりと歩く父の軍礼服の背中を見ている。もっとも、軍礼服はただのこけおどしで父の趣味だ。彼に従軍経験などはない。
泉恋がおびえた表情で父を見る。彼女はかすかに震えながら父に向かって首を横に振って見せた。
パン!
短く低い音が響く。泉恋が父に打たれた頬を右手で押さえながらもその場を避けようとはしなかった。
パン!
再び響く低く短い音。泉恋の体が床に崩れ落ちる。それでも彼女は必死に立ち上がろうとしていた。父はそれを一顧だにせず、その背後にいた幼女の前に屈みこんだ。父は手にした白手袋を外すと幼女の顔を上に上げさせた。
「確かに、素質は十分にありそうだな」
父は立ち上がると横に控えていた養育長に語った。
「はい。あとは我々の磨き方次第かと思います」
「これだけの素材だ。失敗は許されないぞ」
「もちろんでございます」
養育長の目にあやしい光がゆれる。こんなところでもなければ世間のどこでも居場所がないような腐ったやつだ。私は煙草をひじ掛けの灰皿にねじ込んだ。
「父上、これの養育は私にやらせていただけないでしょうか?」
「お前がか?」
「はい。軍などと言う酔狂なところにいたため、私は次期当主として技にもう少し精通すべきかと思っております」
私がその酔狂なところに行けたのは、何も自分が行きたかっただけではない。父が自分の妄想を私に重ねたからだ。私は父の私に対する髪の毛一本ほどの引け目をついた。
しばし、父が考えるような表情を見せた。その奥では養育長が私に対する怒りと嫉妬を宿して私を見つめている。もっとも彼は態度にはそれを微塵も見せてはいない。彼はこの家の当主という肩書が持つ意味をよく知っている。
「いいだろう。次期当主としての最初の仕事にはふさわしい素材だろう。お前に任せる」
一瞬だけ、養育長に隠し切れない驚きと怒りが現れた。だが父が彼に振り向いたときには、それはどこにも見当たらなくなっていた。
「養育長。これの磨きはアルにやらせる。皆にもそう伝えておけ」
私は父に向かって頭を下げると、その幼女を連れて廊下へと出た。
「名前は?」
「世恋」
「そうか世恋、私はアルだ。お前の兄だよ」
人形は、取り入るべき相手への贈り物ではない。滅ぼすべき相手に贈られるものなのだ。その力は周りにいる人間から希望を、努力を、生きる上で意味のある何かを奪い取るのだ。
じっと自分を見つめる青い目。目の前にいる幼女に対して、マイン家の全てについて謝りたかった。これから起こることについて警告してやりたかった。だがその声は喉を出ることがかなわない。これは悪夢なのだな。
少し大きくなった世恋が私の上着の袖をつかんでいる。
「医者を!」
家の者達が右往左往して走り回っている。床に広がっている赤い染みはすでに黒く変わっていた。私は腕に世恋を抱いて、父の遺骸を見下ろした。
「世恋、お前は神様に何をお願いしたのかな?」
「私がお兄様といられるように、どこか遠くへ連れていかれないように願いしました」
父の遺骸に表情一つ変えないで世恋が答える。
何が『マイン家始まって以来の最高傑作』だ?
本人が望むことなく、お前達はどれだけの化け物を、どれだけの厄災を生み出したのか分かっているのか?
私には『冥闇卿』の事を非難する資格はない。今では私の周りにあるすべてが、私の願いなのかそれとも世恋の力なのかは私には分からない。
だがそれが何だというのだ? そのすべてが私の願いで無かったとしても何も問題はない。それは何よりもおぞましいマイン家という呪いから、私を救ってくれたのだから。
私は、私が私であるために、妹を守り続けねばならない。そしてそれは私の泉恋に対する『騎士の誓い』でもある。貴方が『私の騎士』と私を呼んだ時に私が誓ったもの。
『貴方の大事なものを私は守る』
それだけは間違いなく変わることのない私の永遠の願いだ。そうだろう、私の淑女。




