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いのちのせんたく  作者: はなぶさ


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12/13

【2】 第三皇子殿下の、

皇妃が戦地から戻ったと聞かされたのは、元帥と話をした数時間後のことだった。

時刻は既に夜半過ぎ。寝室の横の、ごく親しい者だけが立ち入ることを許された応接間で、宰相と直近の公務について話していたときである。

扉を叩く音に顔を上げれば、慌てた様子の側仕えが入室し、額の汗を拭うこともせずに跪いた。そして、いかにも恭しく事の次第を告げる。

要約するとこうだ。天候の具合で足止めされていた後発の部隊がようやっと帝都に帰還し、皇宮の高官が労いの為に出向けば、そこにビアンカが居たのだという。

大勢の兵士たちと共に。護衛をつけることもなく、戦闘魔術師の一人として。


まさか、まだ戻ってきていなかったとは。てっきり元帥と一緒に戻ったのだと思い込んでいた。

なぜ確認しておかなかったのかという自責の念に、胸の奥を絞られるような感覚に陥る。

言葉を失うというのはまさにこのことだった。


「……妃殿下はきっとお疲れでしょうから、本日はこのままお休みいただきましょう」


暗に、戦況報告などは明日の朝で構わないという宰相の言葉に深く頷く。本当は顔を合わせて、その無事を確認したいところだったが、僕が動けばそれだけで大事になってしまう。皇宮内とは言え、部屋から部屋へ移動するだけでも護衛や側仕えなしというわけにはいかないからだ。

慣例的にそうせざるを得ず、また安全面から言っても必要なことなので、難儀なことではあるが理解している。


ともかく今は、疲労困憊に違いない妻を休ませるべきだろう。

どうしても意識の外に追い出すことのできない「少しでも顔を見たい」という欲求を吹き飛ばすようにかぶりを振った。

溜息を喉奥ですり潰して気を取り直し、無造作に並べられた書類に手を伸ばす。

小難しい文章を読み砕くのには集中力がいるので、余計なことを考えずに済むかもしれない。


「……」

一枚、また一枚と内容を確認して印を押し、脇に除けていく。……が、書類の山はなかなか減ってはくれない。音のしない空間に紙を捲る音だけが響いている。

すると、

「陛下も今日のところはもうお休みになった方がいいのでは」と、不自然なほどに柔らかな声が聞こえた。顔を上げれば、応接台の向こう側にいる宰相と視線がぶつかる。労わるような眼差しに、何となくわりが悪くなったような心地がした。


「……嫌ですね、ただ陛下の御身を案じているだけなのに。そんな顔をしないでくださいよ」


指摘されて初めて、眉間に皺が寄っていることに気づく。額と鼻の付け根の間あたりをもみ込んで、平静を取り戻すべく目を閉じた。とってつけたような「いや、君の優しさを疑っているわけではないよ」という言葉は大して意味を持たない。

妙な雰囲気を払拭するついでに、肩を回せば、ばきばきと小枝がしなるような軽快な音がした。

宰相は僕の様子を目を眇めるようにして眺めたあと、大仰に肩を竦める。やれやれ、とでも言いたげだ。

「私は貴方が考えているほどに冷たい人間ではありませんよ」と呆れるように零すと、流れるような仕草で、インク瓶や筆ペン、承認印などを仕舞い始めた。もはや打ち合わせを続ける気はないらしい。


もちろん特に異論はないので、柔らかな感触の背もたれに上半身を預ける。乾いた唇を潤す為に水の入ったグラスを手に取って口に含んだ。すっかりぬるくなっているが悪くない。

手の平で弄ぶようにグラスを揺らせば、室内の明かりを柔く反射する。淡く色付いた繊細なガラス工芸は、国内にとどまらず諸外国でも評判がいいと聞くので、売れ行きが好調なら支援額を増やしていいかもしれない。そんな他愛ないことを思案しながら、応接台に散らばった書類をまとめる宰相の指先に視線を移す。

男にしては嫋やかだ。

ほっそりとしているわけではないが、太くもない。


散らばった思考をそのままに、その手が剣を握るところを想像してみる。彼も貴族であるから、当然、教養の一つとして剣技を習得しているはずなのだが。

そもそも剣を振り抜くことことができるのだろうかという、酷く失礼な考えが過る。


「陛下?」


あまりにも長いこと黙り込んでいたので、不審に思ったようだ。いかにも怪訝そうな顔を向けられては、返事をしないわけにはいかなかった。

「確かに、君の言う通り僕にだって休養が必要だよね。……人間なんだから」

つい数刻前に彼が口にした『皇帝陛下とてただの人間』という言葉をなぞらえるように言えば、はは、と乾いた声が返ってくる。寒い冗談でも聞いたかのような反応である。


「まぁ、人間でも人間でなくても休息は必要ですけどね。馬だってずっと走り続けるわけにはいきません」と、あまりにも多忙な男はやや早口に述べた。

「止まれないのはもはや、暴走です」と。

そして、まとめた書類を室内に控えていた侍従へ手渡す。

楚々とした動きで恭しく紙の束を受け取った従者は深々と頭を下げたあと、足音もなく静かに歩いて退室した。何となくその背中を見送っていれば、


「―――――もしかしたら、もう十分、なのかもしれませんね?」


と、実に静かな声音で問われる。

侍従と共に退出すると思われた宰相は、なぜかその場に留まり、姿勢を正した。居残ってまで、どうしても確認したいことがあったらしい。


「……何が?」と、分かっていながらあえて惚けて見せると、男は苦く笑った。

「妃殿下は今、戦神の名を欲しいままに戦場を駆っておられます。もしも、あの方に勲章を与えていたならば、ありとあらゆる名誉を手中に収めることができたでしょう」

「……」

「さすが、帝国の正妃だと、そういう声も聞こえるようになりました」


まっすぐに僕を見据える双眸は、どこか戸惑っているようにも見える。その心情を正確に測ることはできないけれど、おおよそ間違ってはいないはずだ。


「彼女が正妃であることに異を唱える人間も、……だいぶ、減ってきたと感じています」


だから、しばらく休ませてもいいのでは?と、こちらを窺うように示された提案に再び沈黙する。

はっきりと、どのくらい休ませるのかという期限を口にしないのは、実際のところ彼自身にも迷いがあるからに他ならない。さすがの僕にもそれくらいは察することができた。


確かに、戦勝を重ねるにつれビアンカに対する評価は高くなり、彼女を軽んじるような輩は減ってきたように思う。臣下からの信頼は厚く、戦勝の女神とも言える皇后を崇拝するような者まで出てきた。

だが、それでも、だ。まだ十分だと言い切ることができない。

そもそも社交界では、家の名前と階級こそが全てで、それ以外のことは単なる箔付けにしか過ぎない。

例えば、どれほど武芸に長けていても、頭脳明晰であろうと、称賛を浴びることはあっても評価されるには足りない。

そんな世界で、両親のいない皇后という者の立場がいかほどのものか。想像するに容易い。


では一体、いつになれば彼女の足元は、揺るぎないものになるのか。

もう少しだと、僕だって思いたい。


少し前ならば、いくら彼女を戦場に行かせたくないと言ったところで、誰も取り合ってはくれなかった。現に、僕は何度も言ったのだ。彼女自身に、あるいは己の側近に。議会で声高に叫んだこともある。

帝国の妃を戦場に立たせるなど正気の沙汰ではないと。

けれど、皇帝という絶対的な立場にあっても、元々、何の力も持っていなかった第三皇子だ。

そんな人間の言葉は、銅貨一枚の重みすら持ち合わせていなかった。


祖父の代より帝国に忠義を尽くしてきた高位貴族なぞ、皺の刻まれた顔をますます萎めて言った。

『愛する人間を戦場に行かせたくないのは誰でも同じですよ。それでも、帝国の民は、夫や息子を戦場に送り出すのです』『戦争に負ければ、土地を奪われる。虐げられ、意にそぐわないことでも強要され、何もかも失くすしかなくなる。だから、武器を持ち、先手を打つ』


『そうするしかないのです』と。

幼子に言い聞かせるような口調は、あまりにも不遜な態度だった。まるで、そんなことも分からないのかと言わんばかりで。


―――――御身も本来なら、戦場で馬を駆っているはず。けれど、それは得策ではない。なぜなら貴方は皇帝だからだ。貴方が皇宮に留まるしかないのなら、皇妃が行くしかないでしょう。と苦笑すら浮かべたその顔に、拳で返すこともなく、一つも反論できなかったのは。

当時の僕が未熟だったからだ。

あの老人はきっとそれさえも知っていて、ビアンカが戦場に立つことの意義を並べたてた。


いわく、皇族だからと言って、責任と義務から逃れることはできない。

いわく、両親のいない皇后が手っ取り早くその地位を盤石なものとするには戦場で功績を上げることだ。

いわく、戦闘魔術師であるビアンカならきっと戦勝を上げることができる。


すなわち、彼女が戦地に立つのは逃れらない宿命のようなものでもあった。

でも、


「……とりあえず、明日、彼女と話をしてみるよ」

情勢は日々、更新されて。世界も変わっていく。

変わらないものなど、何一つない。


宰相は僕の言葉を聞いて、その強張った顔を少しだけ緩めた。

先ほど、魔術師と話していたときはビアンカのことなど気にも留めていないようだったのに、あれはあくまでも宰相としての顔だったということか。

本心では、あの子を案じている。


僕だって、そうだ。



そうだけれど―――――。


「こちらで調整いたしますから、明日の朝は少し遅くても構いませんよ」


あくまでも僕を気遣う宰相が、ほんの僅かに疲労感を滲ませて部屋から出ていくのを見送って。軽く湯あみをした後にやっと寝室に入った。

香の焚かれた心地いい空間に、知らず吐息が漏れる。

その一方でまとわりつくようだった眠気は覚めていくようだった。


掛布の柔らかな感触に包まれながら、眠れぬ夜をやり過ごす。何度も寝返りを打ちながら、どくどくと脈打つ心臓を意識すれば、静まり返っている室内では己の呼吸音すら際立って聞こえた。

いつも。

僕がこんな風に温かな寝具で安眠を貪っているとき、ビアンカは戦場で兵士達と雑魚寝していたのだ。

悪夢に魘される同僚の声を子守唄に、あるいは遠くに響いた爆撃音に身を震わせて。

かつては僕もそうだったから分かる。もっとも、訓練兵の一員として戦場に出たのはずっと昔のことだけれど。


それでも、忘れることなどできやない。

爆風でざわつく皮膚の感触や、目を焼くような炎の色。失った仲間たちの叫び声。その慟哭を、今でも思い出す。


彼女が、皇妃らしく特別扱いを望むような人間であれば良かった。

もしもそうであるなら、戦場であろうとも彼女の為に、特別な天幕を用意することができたのに。幾人もの護衛を置き、完璧な護りの中で、いざというときは誰よりも先に逃がされたはずだ。そうであるなら、そうやすやすと命を奪われるような状況にはならない。

皇族とは本来、そういうものだ。


けれど、彼女は優遇されることを望まない。

それどころか、一兵士として戦場に立つことを当然のごとく受け入れる。


『私の役目は、陛下を護ることです』


ビアンカはいつだってそう言う。戦闘魔術師というのは闘うことが仕事なのだと。


『私はずっと、戦闘魔術師になることを目指していました。なりたいと思っていたものになれた。だから、構いません』と。


仕事なのだから戦うのはごく当たり前のことなのだとのたまうその目が宿しているのは闘志ではなく、静寂だ。凪いだ眼差しは何の感情も浮かべないままで、苦悩する様子もなく、その振る舞いは平時よりも一層淡々としていた。

これが戦地へ送り出される人間とは。誰が信じただろう。

でも、それが。


それこそが、彼女で。


僕は、いかにも冷静だという顔をして『そうだったね。君は皇妃である前に、戦闘魔術師だったんだよね』と、苦笑すら浮かべて、己が妻を何度も戦地へと送り出す。


―――――そんな風にして、幾度となく行われた皇宮の大庭園での出立式。

帝国軍を率いる歴戦の将軍と肩を並べる彼女は、派兵される魔術師団の先頭に立っていた。戦闘魔術師ではあるが正妃である彼女は、いつもだいたいその位置にいる。

背筋を伸ばし、大勢の兵士を従えて。宰相や、他の側近と共に皇宮の露台に立つ僕を見上げていた。

皇帝らしく豪奢な衣装に身を包んだ僕の役目は、彼らに侵攻の合図を送ることだ。


激励の言葉を並べて、そのまま右手を高く上げれば、兵士達は一斉に敬礼する。壮観なほどだった。続いて、将軍の天を割るような大声が響くと、兵士達は城門に向かって歩き出す。よく訓練された動きは圧倒されるほどで、世界にも名を馳せるほどの部隊であると実感した。


だから、必ず帰ってくる。

絶対に、帰ってくる。


震える指を、繊細な刺繍が施された袖の下で、誰にも見られないように強く握りしめた。

遠ざかる小さな背中を見送りながら。

記憶に残されたのは、金色の双眸で僕を射抜いた小さな顔の残像だ。


その姿を思い出す度、僕がどんな気持ちになるかなんて誰も想像できないだろう。



きっと彼女にだって、分からない。



*


**

**



「……失敗した、」

そう口にした自分の声が随分、遠くに聞こえた。鼓膜が何度も震えて、声が二重にも三重にも聞こえる。

「殿下?」と不思議そうに呟いたビアンカの声を最後に、全身から力が抜けた。

多分、何らかの攻撃を受けたのだと説明しようとして言葉が出ないことに気づく。

身体の自由を奪われた。はっきりと自覚してから、そうなるに至った原因を探る為に思考を巡らせる。

もしかしたら、どこかの瞬間で毒でも口にしたのか。あるいは、針のようなもので麻痺毒を注入されたのかもしれない。


こんなときに。こんな場所で。


舌打ちすらできない状況に冷や汗が浮かぶ。……ような気がしたけれど、実際はどうか分からない。

かろうじて耳だけが生きていて、周囲の音を拾っているような状態だった。

一刻も早く、どうにかしなければと思うのに、指先一つ動かすことができない。

戦況はあまり芳しくないというに、陣頭指揮を執らなければならない自分がこんな有様では。……もう、駄目かもしれない。


「……殿下、貴方はこんな場所で命を落としていい人間ではありません。絶対に護ってみせます。だからどうか、諦めないように。……諦めない努力を、してください」


絞りだすような声で話すのは、僕の側近だ。この期に及んで僕を護ろうとするなんて、馬鹿げている。

さっさと放り出せばいいのに。だって―――――、


「聞こえてないんじゃないですか?」

囁き声ですら涼やかな少女の声に、ぼんやりと漂っていた思考が引き戻される。

「いいんだ。聞こえていようがいまいが……どちらでも構わない。伝えたという事実が大切なんだから」

低い声は、淡々としているようで、よく聞けば微かな焦燥のようなものが混じっているようだった。

いつだって冷静沈着を絵に描いたような男なのに珍しい。あるいは、顔が見えない状況だからこそ、感情の機微がよく分かるのか。


ややって僕は、どこかの天幕の中に運ばれたらしかった。時々聞こえる兵士の呻き声や、助けを呼ぶ悲鳴に似た声、薬剤や治療に関する専門用語が飛び交っていることから、怪我人を救護する為に設営された場所なのだと推測した。

ここなら、僕の容態が急変したときにも対応できると言ったのはビアンカだ。ここであれば、常に衛生兵が待機しているし、多くはないが治癒の魔術を扱える者もいるからと。

おかげで、僕の症状が何なのか、おおよその検討がついた。


「恐らく、何らかの魔術の影響を受けています」という声に誰かが息を呑む。

いっそ軽口にさえ聞こえそうなビアンカと側近の会話が、止まった。

けれど、静まり返ったのはほんの一瞬だ。近くで、立て続けに何かが爆ぜる音がしたからだ。耳を塞ぎたくなどほどの騒音に、衛生兵の声も大きくなる。

「しかし、私は医師ではありませんので正確な判断は下せません」と。他に医師免許を持つ者もいるが、数時間前に天幕を出たきり戻ってきていないのだという。

天幕に運び込むことができなかった兵士の手当に行ったが、もしかしたらどこかで戦闘に巻き込まれているのかもしれないということだった。


圧倒的に、人手が足りない。それこそがこの戦況を物語っている。だからこそ、差し迫った治療の必要がない僕は、そのまま寝かせておくしかないということを言いたいのかもしれない。

そんな話をしている間も、ばちばちばちと、火花が散るような音は止まらなかった。

今すぐに目を開けて、何らかの対処をしなければと思うのに。一切、動くことができない。

あまりのもどかしさに声を上げそうになって、呻き声すら出てこないことに気づく。声帯はその機能を失ってしまったようだ。

焦燥感に、頭の中で悲鳴を上げていると、


「ともかくお前は、殿下を守ってくれ」という側近の声が聞こえた。

どういうことだと問いかけたかったのは僕だけじゃなかったに違いない。けれど、誰かが声を上げる前に、激しい轟音と共に地面が大きく揺れた。

己の身体が、寝かされている敷布の上で転がるのが分かる。

踏ん張ることもできずに、なかなか収まらない微弱な振動を皮膚で感じていると、すぐ側にあったはずの気配が一つ、消えていた。

側近がこの場を離れたのだろう。


「……大丈夫です、殿下。そうでしょう?」

小さな声が、返事もできない僕に語り掛ける。けれど、もしかしたら自分自身に言い聞かせているのではないかと思えた。

微かな不安の色を滲ませたその声が、僕の知っている「彼女」から発せられたものだとは到底、思えない。瞼の裏に、常に淡々とした口調で話す少女の輪郭が浮かび上がる。


僕や側近、他の訓練兵に比べて、誰よりも小さな体躯で。内面は誰よりも大人びている。

年の離れている僕の側近ですら、彼女の聡明さを前にして言葉を失うことがあったくらいだ。

『私は戦闘魔術師になりたいのです。そうすれば、生きていくのに困らない』

崇高な使命や大義を掲げることもなく、熱い心情を吐露することもなかった。

けれど、だからこそ。

皇室で、謀略に翻弄されながら生きてきた僕にとっては「戦闘魔術師になりたい」というただそれだけの実直さが、眩しいほどであった。


本来なら、側近と共に戦地を駆っているところだろうに僕の付き添いをやらされている彼女の心情には同情すら覚える。

誰よりも訓練に励んでいたのは、こんな風に天幕の中でじっとしている為ではなかったはずだ。魔術の扱いに長けているから、訓練兵と言えど戦力になっただろう。


彼女に、ここにいなくてもいいと言いたいのに。

僕はいつだって役には立たない。


少しも動かすことができない指先が語っている。申し訳なさで息が詰まりそうだ。

けれど実際の僕は、相変わらず規則正しく呼吸をしていて「深い眠り」から覚めることはない。



いつの間に戻ってきたのか、側近の「腕をやられた」という切羽詰まった声すらどこか遠くに聞こえる。





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