36「やり直そう」
この答えを、今見つけに行こう。
きっと、僕がこれからやること、成すことは馬鹿でどうしようもないこと…それでも、僕は見つけたいんだ。
歩き出した一歩は、ただ彼女と話したい思いで溢れていた。
行こう、もう迷うな、貰えたんだ存在を、ならそれは僕がここに居る証明だ。
高坂拓斗なんて言う三十路のどうしようもない童貞男なんかじゃない…灰原時雨なんだ…どうしようもない奴だけど、これから変わっていくから、だから椿さん…僕は君から答えを貰いたい…僕がどうすべきかを。
いつも、学校の行きに見ていたこの公園、今はもうただの公園ではない…ここは、僕と椿さんの思い出の場所、だからこそ僕はここを選んだ、ここに彼女を呼んだんだ。
答えを貰うならここだと、彼女を裏切り、彼女と決別し、彼女に幾度と悪意をぶつけた…ここしかないのだと。
見れば、もう既に彼女の姿が見えていた。
昨日のデートと同じで、ヘアピンを付けていた…あの姿を懐かしく思うのは当然で、あのヘアピンは昔僕があげた物なんだ。
まだ彼女と楽しく語り合う事が出来たあの日々に、あげた物なのだから。
言え、言うんだ、一度だけこの名前を呼ぶ事を許して欲しい。
「つきちゃん」
そう呼ばれた彼女は、ばっとこちらを振り返る。
この一言は、昨日とは違う…もうわかっているんだろう、今の一言は、声音は、椿さんにとって全てを理解できてしまう。
「思い…だしたんだ…!」
涙ぐんだ椿さんの姿を、見ただけでわかる。
どれだけこの時を待ち望んでいたのか、椿さんにとってきっと、昔の灰原時雨と言う存在は掛け替えの無い思い出にいる存在なのだ。
けど、それはまだなんだよ。
まだ僕達はそんな関係にいちゃいけない…。
「椿さん、僕は君に言わなきゃいけない事がある」
「は、はい!」
今椿さんはきっと何かを期待して僕の次の言葉を待っている…けれど、その期待に添える事はどうしたって出来ないんだ。
僕達は、ここから始めなければいけない。
この今を、だからーー
「椿さん、もう逃げるのはやめようよ」
「え」
「もう、お互い逃げるのはやめよう」
「なに…言ってるのかな?」
…なにかおかしいと思っていたんだ。
あんな事を…椿さんを『いじめていた』僕の事をこんなにも盲目になる程、好きなる事はあるのかと…。
香奈ちゃんから聞いた。
全てを、なにもかもーー
『しぃ兄、お姉ちゃんはあの日から…しぃ兄との記憶がないの、お姉ちゃんきっと止めときたいんだよ』
『止めときたい?』
『そう…しぃ兄との時間を、あの日の思い出を…ずっと幸せなままで』
『香奈ちゃん、僕はーー』
『だからしぃ兄』
『?』
『お姉ちゃんを、助けてあげて』
その言葉は、何処までも切なく聞こえた。
全て僕が積み上げてきた物なんだ…このどうしようもなく苦しい感情も…なら僕がどうするか、その忘れ去られた記憶をどうするのか、そんな物一つしかない。
椿さんがまだ逃げると言うなら、僕自身が彼女の近くまで寄ってあげればいい、昔の様にすればいい…今だけでいいんだ…今だけ…またこれを言うのかと思うと、頭がおかしくなる。
この時の僕の感情すらも鮮明に思い出す事が出来る…何処までも冷たくて、本当に何もかもどうでもいい様な、とにかく冷徹な何か…その感情を今の僕に共有すればどうなる?
冷徹な感情と今の僕の感情はぐちゃぐちゃになり、頭痛も吐き気も…どうでも良くなる程に悲しくなる。
僕と言う人間はここまで冷たくなれる物なのか、と。
さぁ言えよ。
もう覚悟は出来てるだろ。
「椿さん、僕は君に昔こう言った」
「なに…を…」
「僕は…お前の事がーー」
「やめーー」
「嫌いだ」
冷徹だった。
その一言は、みんなが良く口にする言葉だ。
それでも、この時の僕が放った一言は、椿さんにとっては本当に、何もかもを、感情を、自身を、失う程に、残酷な一言だった。
まだ、続きがある。
「今日から僕とお前は他人だ。僕に話しかけるな。僕に近づくな、本当に女なんて、死ねばいい」
言い終えた僕は、椿さんをただ見ていた。
そこにあるのはただただ静かで、何処か気持ち悪く、どんよりとした寂寞…そして、椿さんはーー
「あぁ…あぁ…!やだ…!やめっ!!やめて…!嫌いに…ならないでぇ…!」
蹲り、頭を両手で抱えながら悲願する。
忘れていた記憶が、また彼女の心を締め付けている…あぁ最低だよ、どうしうもない程に最悪な奴だよ、僕は…!けど、それでも…!
「くっ!逃げるな!逃げたら昔と何も変わらない!頼むから…もう逃げないでくれ…僕も、もう…逃げないから…」
椿さんに近づき、肩を掴んで伝える。
「ごめん、本当にごめんなさい。いくら謝ったって僕がした事実は変わらないけど…それでも、本当にごめんなさい」
謝っても、僕の心が拭われる事も、彼女の心が救われる事もない…これはただの僕の意思表示にしかすぎないのだから、彼女の為の言葉にすぎないのだから。
「ねぇ椿さん、僕はもう逃げたくないよ…」
そう言うと、椿さんの方が一瞬跳ねた。
今なら、届くかも知れない…僕の思いが、伝えたい思いがーー
「椿さんは、違う?」
そう問うと、椿さんはゆっくりと顔を上げ、一言ーー
「逃げたく…ない…!」
涙で崩れている顔は、もう全てを思い出している顔をしていた。
やっと、お互いがスタート地点に立った。
なら、僕達がやらなければいけない事は決まっている。
「じゃあやり直そう」
「やり直す…?」
「そう…これまで僕が椿さんにして来た事は、どうやったって償える物じゃない…なら、僕は君に返して行きたいんだ。初めからやり直して」
「時雨くん…」
僕は、椿さんとやり直したい…また一から、これからを積み上げで行きたい。
だって今を生きているのは僕なんだ、僕と言う灰原時雨なんだ。
昔の僕はどうやったって何も出来やしない…なら今の僕が、今出来る事、したい事、願う事、それらを決めても、いいはずなんだ。
「勿論、椿さんと次第なんだけど…その嫌じゃなければ…」
「時雨くん」
「は、はい!」
何故か謎に緊張してしまう。
「ボクは時雨くんが言ったこと…してきた事…許せるかって言われたら自信がない…」
「そう…だよね」
「でもーー」
諦めかけたその時、椿さんはーー
「これからの時雨くんなら…許してあげてもいいのかな!」
笑ってそう言った。
夕陽に照らされた椿さんの笑顔は、昨日とは違う…本物の、何かを取り戻した様な、そんな素敵な笑顔だった。
僕達は今日からがスタート地点なんだ。
ゴールまでは遠い道のりかも知れない…それでもゆっくりと、そうゆっくりと、進んで行けばいい。
もう僕らは、道を踏み外したりはしない。
「あ!時雨くん!」
「な、なに!?」
突然大声で呼ばれつい驚いてしまう。
ま、まさかここにきて訂正とかないよね!?
すると、椿さんはこちらに近づき背伸びをするとーー
「ん」
「ふぇ?」
僕の頬に口づけした。
「結婚の約束までやり直しなんて、言わせないからね?」
椿さんはしてやったりとニヤニヤしながらそう言った。
初めはびっくりしたが、このニヤケ顔を見てるとなんか羞恥心を感じる物馬鹿らしくなるな。
「てか子供の頃の約束でしょそれ…」
「む〜!時雨くんはボク以外の女の子と結婚は絶対ダメなのかな!」
「つきちゃん…僕にも選択権があると思うんだ」
「ない!」
いつのまにか、僕は椿さんの事をつきちゃんと読んでいた。
それは本当に自然と、まるでいつもの様に…僕達は、もしかしたらスタート地点ではなく、その先の道中にもういるのかも知れない。
それ程、今日の帰りの会話が楽しかった。
夕陽が沈み掛けている…昨日と同じ様に見えて、まったく違う…今はこの空が涼しく感じる。
明日へと繋いでくれる空なんだなと、そう感じるのだ。
きっと、明日も僕は笑ってる。
読んでくださりありがとうございます!




