最終話.世界は今日も。
夜が完全に明ける前に、私とローレンツは王城を出発した。
教師寮の部屋はすでに引き払ってあったので、昨夜は王城に泊めてもらったのだ。用意された馬車に乗り込み、まだ暗い道を駆けていく。
「疲れていないか? 昨夜は送別会で随分遅かったろう」
気遣ってくれるローレンツに、私は笑って首を横に振る。
「大丈夫です。どの道、高揚して眠れなかったと思いますから。いよいよシンシアの故郷を目指すと思ったら、楽しみで仕方なくって。……ね、そうよねシンシア?」
自身の【止まり木】を揺らし、シンシアに呼び掛ける。
シンシアは一瞬だけ顔を覗かせると、くぁ〜あ、とあくびだけして引っ込んでしまった。どうやらまだまだ眠いらしい。
「コケケは? 起きてる?……駄目です、寝ています」
コケケダマは出てきてはくれたものの、そのまま私の膝の上にころんと転がってしまった。くちばしを開いてくうくうと眠りこけている。
「森の精霊たちは?」
「同じくです。……コケケ以外のみんなは、北方まで本当に付いてきてくれるのかしら」
自信なくつぶやくと、ローレンツが「無理だろう」とばっさり切った。
「精霊とは気まぐれなものだから」
「……そうですよね。気まぐれですものね」
あきらめの境地でうんうんと頷き合った。
仕方ない。それもまた精霊の魅力なのだ。
ローレンツがふっと目を細めて窓に目をやった。
いつの間にか日が昇ったらしく、陽の光が馬車の中にも差し込んでくる。
「もうじき、王都を出るな。……ん? あれは――」
「! すみません、停めていただいていいですか!?」
私も外の様子に気がつき、慌てて御者さんに呼び掛けた。
馬車が停止し、コケケダマを頭の上に載せてもどかしく外へと飛び出した。
「――セオドア! ヒルダ先生っ!」
王都を出る大門の前に、セオドアとヒルダが並んで立っている。
二人は嬉しげに手を振って、馬車のところまで駆けてきた。
「どうしたの? 見送りはいらないって伝えていたのに」
セオドアの手を取りながら尋ねれば、セオドアがにやりと笑った。
「姉さんがやりたいようにやるなら、僕だってそうしようって決めたんだよ。みんなが寝静まっているうちに、こっそり抜け出してきたんだ。そうしたら、運良くヒルダさんが馬車で拾ってくれて」
セオドアがヒルダを見ると、ヒルダも笑って頷いた。
「そうそう。ティア先生とおそろいの髪した弟くんが、真っ暗な道を一人で歩いてるのを発見しちゃって。どうせ目的は同じでしょ? これ幸いと連れてきちゃった!」
「ふふ。弟がお世話になりました」
ヒルダは山のような餞別を持ってきてくれていて、見事に食べ物ばかりだった。王都百貨店で買い込んだらしい。
「あとはね、一応酔い止めとその他もろもろのお薬も。ティア先生は船酔いするタイプ?」
「どうかしら。馬車に酔ったことはないんですが、船は勝手が違うかもしれませんね」
王都を出た後は港に向かい、大型船に乗り換える予定だった。
ぐるりと大陸を回って、シンシアの故郷である北のオーデア湖を目指すのだ。
ヒルダの餞別を馬車に積んだローレンツが戻ってくる。
「ティア、そろそろ行かなくては」
「あっ、そうですね。……それじゃあセオドア。ヒルダ先生」
名残惜しく抱き合って、二人との別れを惜しんだ。
セオドアはローレンツをキッと睨むと、「姉をよろしくお願いします」とさも嫌そうに頭を下げた。
ローレンツが尊大に頷く。
「任された。大船に乗った気でいるがいい、我が義弟よ」
「だから誰がアンタの弟だ。いいからしっかり姉さんを守れよ」
「もちろんだ。この命に代えても」
「それはいいな。ぜひそうしてくれ」
「……セオドア。さすがに失礼すぎます」
セオドアの頬を引っぱり、ローレンツに頭を下げさせた。
下を向いたセオドアが小さく舌を出しているのに気がついて、私は不覚にも噴き出してしまった。
「もう、セオドア!」
「ははっ、それじゃあね姉さん。馬車が見えなくなるまで見送ってるから、もう行って」
背中を押され、馬車へと乗り込む。
ヒルダが手を伸ばしてきたので、窓越しに二人で握手する。
「元気でね、ティア先生。用事が済んだらなるべく早く帰ってきて。またうちにも泊まりに来てね?」
「ヒルダ先生……はい、ぜひ」
涙がにじみそうになるのをこらえ、必死で微笑んだ。
ヒルダも赤い目をしていたが、「あ、そうだ!」と明るく手を打つ。
「いい加減お互い、『先生』なんて付けるのやめよ? あたしたち、もうとっくに友達なんだから!……てなわけで、行ってらっしゃい。ティア!」
「……っはい、行ってきます。ヒルダ」
馬車が再び軽快に走り出す。
鼻をすする私を心配して、コケケダマと精霊たちが飛び出してきた。
わあわあ顔に群がられ、寂しさなどどこかへ消えてしまう。くすぐったさに笑う私を、ローレンツは温かな眼差しで見守ってくれる。
そうして到着した港には、大型の帆船が停泊していた。
真っ白な帆が目にまぶしく、嗅ぎ慣れない潮の香りに気持ちが高ぶっていく。いよいよ旅が始まるのだと実感した。
「さあ、ティア」
ローレンツの手を借りて、船へと乗り込んだ。
出発までまだ時はあるらしく、ローレンツに誘われてまずは舳先に行ってみる。
(わあ……!)
青く透き通った海が、陽光を反射してきらきらと輝いていた。
波は穏やかにしぶきを上げ、絶え間なく揺れている。いつまでだって飽きずに眺めていられそうだった。
声も立てずに見入っていたら、汽笛が鳴って船がゆっくりと動き出す。
青い空と青い海。太陽は輝き、世界はこの上もなく美しかった。
ローレンツも同じ気持ちなのだろう。
感嘆の息をつき、潤んだ瞳で私を見つめる。どきりと心臓が跳ねた。
――あ。来る。
そう身構えた瞬間、予想通りローレンツが私の手を握る。
「好きだ、ティア。結婚してくれ」
「えっ嫌ですけど」
今日も間髪入れずにお断りした。
ローレンツの顔が絶望に染まった。ずるずると崩れ落ち、拗ねたみたいに私を見上げる。
「俺の愛は、いつになったら受け入れてもらえるんだ……」
「もう。何度も話したじゃありませんか」
熱くなった顔をこすって、私はツンと取り澄ました。
「ローレンツ殿下はまだまだこれからでしょう? まずは色彩を取り戻したありのままの世界を見て、触れて、感じてほしいのです。……それで、その上で、もし……それでもまだ、私のことを……」
恥ずかしさに、どんどん声が小さくなっていく。
「す、すき、だと、おっしゃっていただけるのなら……。その、その時は、私も……」
「――本当か!?」
ローレンツが勢いよく立ち上がる。
喜びを爆発させて、私を軽々と抱き上げた。
「言質は取ったぞ! 約束だからな、ティア!」
「もうっ、はしゃぎすぎです!」
ローレンツがくるくる回って、やがてバランスを崩して甲板に倒れ込む。
二人寝っ転がって見上げた空は青かった。白い雲が流れ、どこまでも飛んでいく。
繋いだ大きな手から熱が伝わってくる。
こっそりとローレンツの方を向いたら、ローレンツも私を見ていた。目が合って、ふわりと嬉しげに笑む。
「世界は今日も輝いていて――ティア、あなたは何より美しい」
――了――
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