43.生まれ変わる
「――それでは、これで最後の授業を終わります。今日で私は特別講師の任を終えて、この学院を去ることとなります。特に最初の方はつたない授業ばかりで、皆さんにはご迷惑をおかけてしてしまったと思います」
教壇に立ち、生徒たち一人一人の顔をしっかり見ながら語りかける。
生徒たちは真剣な面持ちで私の話に耳を傾けていた。私は微笑み、感謝を込めて彼らに別れを告げる。
「けれど私にとっては、一生に一度の得難い経験となりました。生涯、絶対に忘れません。――一年間、本当にありがとうございました」
拍手が沸き起こり、生徒たちも笑顔で私を見送ってくれる。
教室を出た私を生徒が追ってきて、可愛らしい花束を手渡してくれた。嬉しさに言葉を失う私に、他の子たちも我も我もとお菓子や手紙を手に駆け寄ってくる。
「イーリック先生、一生に一度だなんて言わないで」
「あたしたち、みんなで学院長に要望を出しますから。後輩たちにもぜひこの授業を受けてほしいって。何年後でもいいから、またこの学院に来てください」
「精霊術、すごく興味深くて面白かったです。点数関係ないし気楽に受けられて、息抜きにちょうどよくてイテッ」
「一言余計なのよアンタは!」
にぎやかな生徒たちに噴き出してしまう。
贈り物を抱き締めて、私はもう一度彼らに心からの礼を言った。
「ティア先生ぇっ!」
満ち足りた思いで廊下を歩いていたら、ヒルダが小走りにやって来た。
私は顔を引き締め、いかめしく彼女を振り返る。
「ヒルダ先生。廊下を走ってはなりませんよ」
「あらやだ、ごめんなさぁい。最後の最後までティア先生に怒られちゃったぁ」
嬉しげに目を輝かせ、ヒルダがいたずらっぽく笑う。私もつられて頬がゆるんだ。
ヒルダも贈り物を運ぶのを手伝ってくれて、二人連れ立って職員室へと向かう。
「今夜はみんなでお別れ会だねぇ。で、明日の早朝にはもう発つって本当? さすがに慌ただしすぎない?」
心配げなヒルダの視線を感じながら、私は愛おしく自身の【止まり木】を撫でる。
「早くシンシアを故郷に連れて帰ってあげたいんです。それでなくても私の任期が終わるまではと、随分待たせてしまいましたし」
ヒルダには話せる部分だけ、シンシアのことを伝えてあった。
王家にずっと宿っていた精霊で、今はとても弱っていること。シンシアを送るため、これから北方に向かうことを。
少しずつではあるものの、シンシアには回復の兆しが見え始めていた。
透明だった体はだんだんとはっきりとして、眠りっぱなしだったのが最近では日に一度は目覚めてくれる。
色もまだ深緑にはほど遠いものの、ほんのりと黄味がかってきた。まさにまん丸なひよこのようで、これはこれで愛らしい。
「あとさぁ、飲み会で詳しく聞こうと思ってたけど、実家に突撃訪問してきたって本当? ローレンツ殿下が嘆いてたよ。俺に黙って行くとは水臭い、言ってくれたら付いていったのに、って」
「まさにそれを避けたくて、ローレンツ殿下には内緒で行ったんですけど」
せっかちに尋ねてくるヒルダに、私は苦笑する。
この間の休みに、私は王都にあるイーリック伯爵家の別邸を訪ねてきた。
事前に許可を取ったわけでもなく、まさにヒルダの言う通り突撃訪問だった。セオドアにさえ伝えていなかったから、彼も目に見えてうろたえていた。
――ティア。貴様、一体何のつもりだっ
声を荒らげて激昂する父を、私は平坦な気持ちで眺めた。
父を前にこんな気持ちになるのは初めてで、内心では自分でも驚いていた。けれどそれはおくびにも出さず、うやうやしく礼を取った。
『何のつもり、と言われましても。わたくしはこれでもイーリック伯爵家に連なる者で、ましてここにはわたくしの大切な家族がおります。近々王都を離れることになりましたので、ご挨拶に伺うのがそんなにおかしなことでしょうか?』
『そうではないっ。ここには来るなと言っておいたはずだぞ、わたしの命に逆らうなどっ』
『お父様。わたくしにお命じになるのは勝手ですが、それを聞くかは今後はわたくし自身が決めることにいたします』
静かに宣言すれば、父は絶句していた。
ここまであからさまに、父の言に私が逆らうなど初めてのことだったのだ。
おろおろする母と、どう振る舞うべきか決めかねて戸惑うセオドアに、私は父を無視して歩み寄った。
『お母様。しばらくお会いできないかと思いますが、どうかご健勝で。……それから、セオドア』
『……っ』
立ち尽くすセオドアに、私は体をぶつけるようにして抱き着いた。硬直する彼に、小さく笑ってささやきかける。
『――大好きよ。とってもとっても、あなたのことを愛してる。北方から戻った後のことはまだわからないけれど、おそらくは王都で暮らすことになると思うの。毎日だって会いに来るし、あなたの方から遊びに来てくれるのも大歓迎よ。くれぐれも体に気をつけて、私がいない間はどうか無理だけはしないでね?』
『姉、さん……』
セオドアが茫然とつぶやいた。
顔を上げていたずらっぽく微笑みかければ、セオドアもあきらめたみたいに苦笑した。
もう一度きつく抱き合ってから、『それでは、わたくしはこれで』と父に暇乞いをした。
『待てッ、ティア! 貴様……!』
『お父様。わたくしは今後はもう、あなたの何にも縛られません』
一言一言噛み締めるようにして告げ、真正面から父を見据えた。
『伯爵家から完全に離れたかったから、精霊術師として独り立ちをすることを選びました。女のくせに、と蔑まれるのが嫌だったから、誰にも頼らず一人で生き抜くと決めました。あなたがわたくしに結婚を望むから、生涯独身でいようと決意しました』
『な、ん……っ』
『――だけどもう、全部やめることにしたんです』
わなわなと震える父に、すがすがしい気持ちで微笑みかけた。
『私は、私。誰かに反発するためだけに進む道を違えるのは、それこそその誰かに囚われているからに他なりません。そう気づいた瞬間、目の前がぱあっと開けたのです』
私の世界はどこまでも広がっていて、これからどこへ向かったっていい。
自分で決めて、自分で歩く。笑えてしまうほど当たり前のことだったのに。
『お父様。これからの私の人生に、あなたは一切の影響力を持ちませんのでお忘れなく。それではごきげんよう。さようなら。またセオドアとお母様には会いに来ます』
『ティアッ!!』
怒りに我を忘れた父が殴りかかって来る前に、私はとっとと退散することにした。
まあたとえ本当に殴ってきたところで、私にはコケケダマと精霊たちが付いている。返り討ちにする自信満々である。
スキップするように軽やかに帰り道を歩いた。
一歩進むごとに、心が羽のように軽くなっていくのを感じた。




