4.二度目の邂逅
わずらわしい、面倒くさい。
馴れ馴れしく話しかけないで、あなたなんかお呼びじゃないの。せっかくコケケダマと新しい精霊たちと、楽しい時間を過ごしていたっていうのに!
怒涛のように浮かんできた罵詈雑言を、口に出さないだけの分別が私にはあった。
が、精霊であり幼いころから一緒に育ってきたコケケダマには、そんな分別などもちろん存在しない。
「ぉブッッッ!?」
「コケケ!?」
おそらく私の敵意を感じ取ったのだろう。
水面をばいんと勢いよく蹴って、コケケダマが流星のごとくナンパ男に体当たりした。
顔のど真ん中に直撃して、男がもんどり打って倒れる。
「ちょっ大丈夫ですか!? ローレンツ殿下!」
慌てて男に駆け寄りながらも、胸の奥から嫉妬心が湧き上がる。
(このひと、コケケダマに触れるんだ……)
たいていの精霊術師は精霊が見えるだけ。声も聞こえなければ、触れ合うこともできない。
私は幸い、わずかではあるものの感じ取ることはできる。
それでもコケケダマが今のように私に体当たりしたとしても、私なら軽く撫でられたように感じるだけだろう。倒れ込む事態になんて絶対にならない。
「はあ、驚いた……。良い輝きの精霊だな」
「……輝き?」
起き上がる男に手を貸しながら、私は首をひねった。もしやこの男の目には、精霊は光のように見えるのだろうか。
(だとしたら、とっても眩しそう)
疑問が顔に出ていたのだろうか、男はふっと目を細めて微笑を浮かべた。
「優しい光だ。目に痛いほど強くはなく、色とりどりの金平糖をばら撒いたような小さな光。精霊自体は俺の目には半透明の――例えて言うなら海月のように見えるのだが、彼らの中にたくさんの光る金平糖があイタタタタタ何をされているんだ俺は」
「わたくしの精霊コケケダマが、あなたの頬をくちばしで挟んでひねり上げております」
「そうかもし良かったら止めてもらえるとありがたいのだが」
私は素直に頷くと、「駄目よ、コケケ」と優しくたしなめた。
無論本心ではないので、コケケダマは止まらなかった。頬をひねり上げるのはやめたものの、今度はビシバシと縦横無尽にくちばしで男をつつきまわす。
「イタッくちばしということはイタッ、つまりあなたの目には精霊は鳥のように映っているとイタッ」
「まんまるの球体に、目が二つとくちばしが顔の中心にぎゅっと寄っている感じですね。色は深緑でふわふわしています」
「なるほど痛い、それで痛い『コケケダマ』と名付けたのか痛い。苔と毛玉でコケケダマというわけだ痛い頼むそろそろやめてくれないか」
コケケダマはとうとう男の頭頂部に登り、美しい黒髪をかきわけ地肌に直接攻撃を加えている。毛根に悪影響がありそうだ。
「はいはいコケケ、そろそろあなたの【止まり木】にお戻りなさいな」
見せつけるように長い髪を払えば、コケケダマがもふっと毛をふくらませた。
ぼいんぼいんと男の頭を跳ねて攻撃を終わりにしたらしく、上下左右に激しく空中浮遊しながら私の元へと帰ってくる。……言葉はないが、勝利の雄叫びでも上げているのだろうか。
男がほっとしたように頬をゆるませる。
「ありがとう。あなたの【止まり木】はとても珍しいのだな。生きている【止まり木】など、俺の知る限りでは初めてだ」
「私の知る限りでも……です。精霊術師だった祖母が、幼いころから私の髪を褒めて、いつもすごく丁寧に手入れをしてくれて。だから私の【止まり木】は、祖母から受け継いだものなんです」
「……?」
なぜか男が怪訝そうに眉をひそめた。
その様子に疑問を持ったが、理由を尋ねる気にはなれなかった。
無駄に馴れ合ってしまった、と今になってようやく気づいたのだ。これ以上は危険だ。
私は男から目を逸らして立ち上がり、手早く靴下とブーツを履き直す。今のゴタゴタで足はほとんど乾いていた。
「――それでは、わたくしはこれで。授業の準備がありますので」
歩き出した私を見て、泉で跳ねていた精霊二匹も大急ぎで【止まり木】に戻ってくる。私は彼らに微笑みかけ、足を速めた。
「授業?……そうか、精霊術の特別講師にはあなたが選ばれたのか。では、よければ俺もあなたの手伝いを」
「いいえ結構です。ごきげんよう」
別れの挨拶をしているというのに、男は気にしたふうもなく私の後ろを付いてくる。一応最低限の礼儀はわきまえているらしく、無遠慮に距離を詰めてくることはしない。
付かず離れずを保ったまま、私たちは小さな森を抜けた。
「俺は精霊とたわむれによくここに来るんだ。この学院の卒業生でもあるから、自分の庭のように詳しいし、あなたの手助けができると思う」
「お気遣いなく。不慣れな私のため、お世話についてくださっている先生もおられますので」
「あなたの役に立ちたい。そうだ、精霊術の教科書はどうだった? 講師を断った代わりとして俺が作った教科書だ。俺なら授業の計画を立てるのに助言できると思うのだが」
「……え?」
私は思わずつんのめるように足を止める。
驚きのまま振り返れば、男の顔がぱっと輝いた。頬を上気させ、まるで子どもみたいにあどけなく笑う。
「ようやく俺を見てくれた」
「……っ」
あけっぴろげに示される好意に、私は束の間言葉を失ってしまう。ただ立ち尽くし、まじまじと男を見つめる。
(なんて、素直なひとなの……)
自分はこんなに冷たくあしらっているというのに。ほんの少し目が合っただけのことで、どうしてこれほど嬉しそうに笑えるのか。
じわっと心が解けかけ、私は慌てて己を戒めた。呼吸を整え、爪が食い込むほどきつく手を握り締める。
心を許しては駄目。
継承権はないとはいえ、相手は王族だ。父がこれを知ったら、何と思うか――……
「……本当に、結構ですから。ごきげんよう」
無表情を貼りつけて、平坦な声をしぼり出す。
そのままコケケダマと精霊たちを従えて、足を速めて校舎に入った。男の反応を確かめることはしなかった。
――せっかく喜んでくれた彼の、失望する顔が見たくなかったから。




