3.学院の秘密の場所
「……ここか」
さく、とやわらかな芝生を踏みしめて、私は小さな森へと足を踏み入れる。
木漏れ日が優しく降り注ぎ、私は思わず立ち止まって深呼吸した。空気がおいしい。緑の香りが心地良い。
ヒルダから聞いた通り、とても美しい場所だった。
授業中なこともあって人っ子ひとりおらず、私は両手を勇ましく振って奥へと進んでいく。子どもみたいに心が弾んで、いつものように淑女ぶってなんかいられない。
(王立魔術学院に、こんな素敵な中庭があったなんて)
正確には、王立学院が建設される以前からこの森はここにあったらしい。
魔術の実施訓練を行うこともあり、学院には広大な敷地が必要だった。選ばれたのが王都の外れにあるこの場所で、小さな森をぐるりと囲むように建てられたのだそうだ。
森の奥へ進むにつれ、花の甘い香りが漂ってくる。ふるる、と私の薄紅色の髪が波打ち始めた。
私は小さく含み笑いをして、「出てきて構わないわよ、コケケ」とささやき掛けた。すぐさま、よしきた、と言わんばかりにコケケダマが私の髪から飛び出してくる。
『〜! 〜!』
「ふふっ。コケケもここが気に入ったみたいね」
まるでたんぽぽの綿毛のように空中を浮遊するのは、深緑色のもふもふした球体だ。
サイズはちょうど私のこぶし大くらい。手足も耳もなく、どんな動物にも似ていない。
が、あえて例えるならひよこであろうか。ひよこの割に羽もなければ体もまんまるだが、ぱっちりとした二つのお目々の下に、申し訳程度に付いた小さなくちばしが愛らしい。
『〜〜?』
『〜〜!』
「まあ、こんにちは」
いつの間にやら、コケケダマと瓜二つのもふもふが私たちの周りに集まってきていた。
ふわふわやわらかそうな深緑色の毛を、私とコケケダマを見比べて不思議そうに震わせている。
私は純白のローブの裾をつまみ、王都に来て初めて出会う精霊たちに礼を取った。
「南方のサザランド領地より参りました、精霊術師のティア・イーリックと申します。そしてこちらはわたくしに付いてきてくれた、え〜……、全にして一なる精霊に名など付けるべきではないと重々承知してはおりますが……その、コケケダマ、と幼きころより呼んでいる精霊でございます」
『〜! 〜!』
コケケダマが「どうだい」と言わんばかりにもっふりと毛をふくらませる。
精霊たちは目をまんまるにすると、わあっと一斉に空中でんぐり返りを披露した。これはどういう感情なのか……ちょっとわからない。
私は苦笑しつつ、薄紅色の髪に手を入れふわりと払った。
「あの、わたくし一年間は王都に滞在する予定なのです。これから暇を見てお邪魔させていただきますので、もしわたくしの【止まり木】の止まり心地にご興味があれば……あ、もう止まってくれます?」
言い終わる前に、我先にと精霊たちが私の髪に群がり始める。
ぽふぽふと頭頂部を跳ねたり、長い髪の間を出たりくぐったり。ちなみに重みは少しも感じない。軽く撫でられているような感触があるだけだ。
コケケダマは「うむうむ」と言わんばかりに毛を震わせて見守ってくれている。
ややあって判定を終えたのか、大部分の精霊たちは私の髪から離れて空中浮遊に戻っていった。首をひねって確認すれば、【止まり木】に残ってくれたのは二匹だけのようだ。
嬉しさに思わず頬がゆるむ。
「初対面だというのにありがとうございます。いつまでだって止まっていただいて構いませんし、飽きられたら戻られるのもご自由に。これからよろしくお願いいたします」
『〜! 〜!』
新たな精霊たちがほよん、ほよんと飛び跳ねた。
よかった。領地から王都に向かう長い道中で、コケケダマ以外の精霊たちはみんな【止まり木】から離れて元の住処へ帰ってしまったのだ。
精霊のいない精霊術師は何の術も使えない。
私はようやく、王都に到着してからずっと感じていた緊張から解き放たれた。
鼻歌交じりに年経た大木に寄りかかれば、【止まり木】の精霊たちが私の髪をついついと優しくついばんだ。
「……ん? こっち?」
つい、と肯定するように髪が引かれる。
私はうながされるまま再び歩き出し、緑あふれる森の中を進んでいく。いくらも行かずに、澄んだ水をたたえた泉が見えてきた。
「まあ、きれい……!」
履いていたブーツと靴下をもどかしく脱ぎ捨て、素足で芝生を踏みしめ走り出す。
手先をつけてみたら水はびっくりするほど冷たくて、私は息を思いっきり吸って笑い出した。
「足だけなら入ってもいいかしら。わっ、冷たい。見て見て、コケケ!」
両足で水面を叩けば、パシャパシャと激しく水しぶきが飛んだ。
コケケダマと精霊たちも【止まり木】から飛び出して、ぽよんぽよんと泉の上を跳ね回る。沈んだりはしないのね、とおかしくなってくる。
「あははっ。ほらほら、おいでなさい。こっちよこっち!」
「――喜んで。美しいひと」
…………。
私はぎくりと動きを止めた。
何か……後ろから、人の声が聞こえたような。しかもなんだか、微妙に聞き覚えがあるような……?
心の底から嫌だったが、私はぎくしゃくした動きで振り返る。
悪い予感は当たっていて、そこには端正な顔立ちの長身の男が立っていた。陽光を弾き、男の美しい黒髪が輝きを放つ。
「二度目まして、薄紅色の美しい姫君よ。申し遅れたが、俺はローレンツ・エステリアという。――どうか今度こそ、あなたの名をお聞かせ願いたい」




