2.一年限りの特別講師
「……――であり、精霊が見えるかどうかは完全に生まれついての『資質』に過ぎません。精霊術は、精霊の姿をその目に映して初めて使える術式。つまりは皆様方の学んでいる魔術とは違い、決して努力では補うことのできない分野なのです」
静まり返った教室で、私の声だけが淡々と響く。
学生たちの表情はみな一様に真剣だった。私の話を少しも聞き漏らすまいと耳を傾け、熱心にノートを取ってくれている。
魔術学院で精霊術の概要講義など、受講してくれる生徒がいるのかと最初は疑問だった。が、どうやら杞憂だったらしい。
「精霊術もそして魔術も、力の源となるのはどちらも『魔力』です。では両者の違いは何かというと、その使い道にあります。魔術師が己の魔力を編み上げて術を構築するのに対し、精霊術師は己の魔力を精霊に捧げ、奇跡を乞い願うのです」
だから厳密に言えば、精霊術を行使するのは精霊術師ではない。精霊術師から捧げられた魔力を糧とした、精霊そのものなのだ。
「魔術も精霊術も炎や水などの自然の力を行使する、という部分では共通点があります。ですが両者には明確な違いもあり、具体的に申し上げますと得られる効果が――」
教卓から身を乗り出し、熱を込めて続けようとした瞬間、ガランガランと大きく鐘の音が響き渡る。授業終わりの合図である。
(……やってしまった)
すっと興奮が冷めていき、私はまっすぐに姿勢を正した。
ここで終わりだなんて、中途半端にもほどがある。もっとバランスよく計画的に授業を進めるべきだったのに。
ため息をつきたくなるのをこらえ、私は素知らぬ顔で教科書を閉じた。生徒たちも私にならい、机の上の筆記用具を片付け始める。
「――それでは、続きは次の授業にいたしましょう。皆様、ご清聴ありがとうございました」
◇
「そりゃあ、しょうがないってば。要は慣れよ、慣・れ。回数を重ねていけば、だんだん上手に時間配分できるようになっていくから大丈夫!」
朗らかに笑うなり、ヒルダは大きな鶏肉にかぶりついた。
もぐもぐ咀嚼したかと思うと、今度は焼きたてのパンに手を伸ばす。他にもパスタやサラダと、ヒルダの前には大量の料理が所狭しと並べられていた。
対して私は、午前の授業の失敗を引きずっていまいち食欲が湧かなかった。
今日の昼食に選んだのは、ゆで卵の載った温野菜のサラダだけ。申し訳程度にフォークでつつき、目を伏せる。
「……ですが、私はたった一年間の特別講師なんです。ようやく慣れたころにお役御免では、せっかく講義を希望してくれた生徒たちに申し訳が……」
「も〜、そんな堅苦しく考えることないってばっ」
ジョッキに注がれたオレンジジュースを飲み干して、ヒルダはぷはっと息を吐く。
「ティア先生はあたしたちみたいな職業教師じゃなくって、あくまで善意で教えに来てくれた一個人なんだよ? どんどん数を減らしつつある精霊術師の実体験を伝えるため、わざわざこうして王都に出向いてきてくれた。それだけであたしたち魔術学院の教師は本っ当に感謝してるんだから!」
身振り手振りで元気づけられ、私はしおしおと微笑んだ。
正確には、私を召喚したのは学院ではなく国王陛下だ。魔術の発展とともに廃れていく精霊術を危惧して、未来ある若者たちに精霊術の講義をしてほしいと依頼を受けた。
つまり王立魔術学院は単に王命に従っただけなのだが、ヒルダはまるで私を招いたのは学院の総意であるかのように語ってくれた。その心遣いが嬉しくて、私はようやく気分が上向いてくる。
「……ありがとう、ございます」
「元気になったなら、あたしの分も食べて食べて! お肉はもう完食しちゃったけど、パンとパスタは食べていいからね」
にぎやかに小皿に取り分けながら、にしても、とヒルダはしかめっ面をする。
「ティア先生はお母様のご実家の領地で、精霊術師として活躍されていたんでしょう? いくら精霊術師が足りないからといって、わざわざ遠方のティア先生を呼び立てることはなかったのにね。……すでに王都には、これ以上ないくらい適任な精霊術師がいるってのに」
低く吐き捨てられ、私はフォークを持つ手をぎくりと止めた。
ヒルダが誰のことを言っているのかすぐにわかってしまったのだ。
この国――エステリア王国の第三王子にして精霊術師。すなわちローレンツ・エステリアその人である。
(……昨日、突然私に求婚してきた男)
食堂に居合わせた教職員たちには箝口令が敷かれたのか、一日経った今でも学院の中で特に噂は出回っていないようだった。相手が王族であることを考えれば、それも当然かもしれない。
一度も突っ込んで来ないところを見ると、ヒルダもきっと知らないのだろう。私はこっそり安堵の息を吐く。
パンを乱暴に食いちぎり、ヒルダはイライラとテーブルを指で叩いた。
「本当にねぇ、たまには神に仕える精霊術師らしくまっとうに務めを果たせばいいものを。ここだけの話、あの無表情王子の評判は散々よ? 怠惰で無能、やる気もなければ愛想もない。はッ、見目がいいだけの生ける屍よね」
(生ける、屍? あのひとが?)
我知らず、昨日の熱い眼差しを思い出す。
私のことを「美しいひと」と言っていた。自分と結婚してくれ、とも。
(……むしろ、生気とやる気に満ち満ちていた感じがするんだけど)
「ほら、この王立学院は貴族子女が多く通っているでしょう? 平民出の精霊術師だと二の足を踏むかもしれないから、身分のある術師に依頼しようってことになったみたいよ。でもそれならさぁ、まず道理としてあの怠惰王子に頼むべきだったんじゃないの? 腐っても王族なんだから。ホント腹立たしいったら」
愚痴るヒルダに私は言葉少なに相槌を打つ。
ヒルダの物言いはかなりあけすけだが、私にとってはありがたかった。なぜ私が選ばれたのかと、実は怪しむ気持ちもあったのだ。
(よかった。この分ならおそらく、父は関わっていなさそうね……)
黙り込んだ私をどう思ったのか、ヒルダがはっと口をつぐんだ。「ごめん!」と大慌てで手を合わせる。
「あたしはティア先生が選ばれて嬉しいし、他の先生たちもみんな同じ気持ちだからね!? 怠惰王子のほうがよかったなんてことだけは、絶対にないからっ」
「大丈夫です、わかります。不真面目な人間は許せないってお話ですよね?」
「そう! そうなの! みんなの憧れ、神秘の精霊術師があんなのだなんてがっかりだわ、って話なの!」
私は笑って頷いた。
土や木、水や炎、それから空気。すべての事象に宿る精霊たちは、この国にとって信仰の対象であり神でもある。
その精霊を目に映し、恩恵を願うことのできる私たち精霊術師は神に仕えているも同義なのだ。だからこそ私たちは国民から羨望の目を向けられ、それに相応しい働きを期待される――……
「……ローレンツ殿下はもしかして、精霊術師である己を疎んでいらっしゃるんでしょうか?」
静かに尋ねると、ヒルダはぴたりと熱弁を止めた。
戸惑ったように瞬きをして、ややあって「どうかなぁ……」と眉根を寄せる。
「少なくとも、精霊と触れ合うことだけはお好きみたいだけど。部外者だっていうのに、殿下は【止まり木】を手に魔術学院にしょっちゅう乗り込んでくるのよ。実はあの方のお目当てはね、この学院の特別な場所にあってね――」
声を落とすヒルダに釣られるように、私も彼女に顔を近づけた。




