第22話 帰宅
三人を乗せた馬車は、王城近くに居を構えたキャメロン公爵家の屋敷へと戻ってきた。
予定の時間より早い帰宅だったのだが、既に先触れが出ていたのだろう、使用人達が並んで出迎えてくれた。
「私達はこれから父上の帰りを待つ。今夜の内に話し合っておきたい事もあるからね」
「ユージーン兄様、では私も一緒に……」
「いいや、君は思っているより疲れているはずだよ。明日は神竜様の御前へお伺いするのだろう? なら早く休まなくちゃ」
「でも、ジェフリー兄様……」
父や兄達が突然の婚約破棄の後始末に奔走してくれているのに、当事者である自分が先に休んでしまうのは抵抗があった。
「大丈夫、心配いらない。それに、決して君を悲しませる結果にはならないと誓う。だから今夜は、私達を安心させると思って早くお休み」
「はい、兄様達……ありがとうございます」
傷心の妹を優しく気遣ってくれる二人の兄の心遣いが嬉しくて、彼女は素直に頷いた。
二人の兄から次々に抱きしめながら、おやすみのキスを額へと贈られ、お返しに、アンドレアからもそれぞれの頬へ軽く唇を寄せる。
「それではお言葉に甘えて、お先に休ませていただきます」
「ああ、良い夢を」
「お休み」
彼女は軽く一礼すると、これから父であるキャメロン公爵の書斎で城から帰ってくるのを待つという兄達と別れ、専属メイドの一人、ライラを伴い、二階にある自分の部屋へと上がっていった。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ふぅ……ただいま、ティナ」
部屋に戻ると、もう一人の専属侍女であるティナが、お茶の用意をして待っていてくれた。
気心の知れた者以外は立ち入ることが許されない自室に入ると、無意識に張り詰めていた気持ちが解放され、どっと疲れが押し寄せて来るのを感じる……。
「旦那様からお伺いしております。お城では、何とも信じられないようなことが起こりましたようで……大変でしたわね」
「そう、もう聞いているのですね。ならば話は早いわ。全く……予想外過ぎて頭が痛かった」
「明日には正式な婚約式だったというお祝いの舞踏会でしたのに……。お嬢様の一生涯に一度の晴れ舞台でしたのに、お痛わしい……。いくら王子殿下とは言え、このような仕打ちは許せませんっ」
「本当に……こんなにお美しくて聡明で慈悲深いお嬢様の、いったい何がご不満だったと言うのでしょう……」
「ティナの言うとおりですわ! それにお相手は、よりにもよって例の噂の身持ちの悪いご令嬢なのでしょう?」
男爵家の娘が王子妃になれる筈がありませんのに、殿下もなにを考えておられるのかと憤りながらも、アンドレアがドレスの上に羽織っていたケープを取り、髪留めや首飾りなどの装飾品を次々と外していく。
手を止めずにきっちりと主人の世話をしながらも、二人の侍女はやるせない思いで不満を漏らした。
――彼女たちは代々、公爵家に仕えるの家系の娘でもあるので忠誠心も高い。
幼き頃は遊び相手として、長じた後はアンドレアの専属侍女として常に身近に侍り、過酷なお妃教育を受ける彼女の努力と王家に対する献身を間近で見守ってきた。
そのように特に親しい間柄であるため、自分達の自慢のお嬢様を辛い目にあわせた、第一王子とドリー男爵令嬢に対する風当たりはここのところずっと強かったのだが……ついに、やり切れない気持ちが爆発してしまったようだった。
アンドレアのドレスを丁寧に脱がせて化粧を落とし、動きやすい部屋着に着替えさせると、自室にある小さな応接セットへと導く。
テーブルの上には、ティナの用意したお茶と軽食が並べられていた。
心が落ち着くようにという彼女なりの配慮なのだろう……豪華で華やかなデザインではなく、淡い花柄の可愛らしいティーセットで整えられているのを見て、細やかな気遣いに心が安らぐのを感じた。
「舞踏会では何も食べられていないと思いまして……シェフに言って、ホットサンドを用意させましたの」
「お嬢様のお好きなレモンティーもお入れ致しましたわ。夜間ですが、今日はいつもより少し、お砂糖を多めにお入れしておきました。きっとお疲れが取れるはずです」
「まあ、嬉しいわ。二人共、ありがとう」
侍女達の言葉に頷いて、まずは一口、カップを傾ける。レモンの爽やかな香りに胸のつかえがとれるようだった。あたたかな紅茶の湯気が心地良く鼻腔をくすぐり、ホッと一息つく。
空腹は特に感じなかったが、せっかくの心尽くしなので軽食も楽しむことにした。チーズとハムの入ったシンプルなホットサンドを摘まむ。素材が良いため挟んであるだけなのに、とても美味しい。
瞬く間に一つ、また一つと食べてしまった。
「不思議ね、こんなにお腹が空いていたなんて……気づかなかったわ」
「あんなことが起こった直後ですもの、無理もありませんわ。でも、きれいにお召し上がりになられて……ようございました」
「お辛いことがあれば、おっしゃってくださいませ。私達でよろしければいつでもお力になりますから」
「ええ。頼りにしているわ。あなた達が味方で居てくれると思うだけで、いつも元気を貰っているもの」
「お嬢様……」
小さな頃から長年、側付きの侍女をしてくれている二人の言葉は、兄達の心遣いと同様に、アンドレアの心を温かくしてくれた。
「でも私は、次へ進まないと……」
「まあ、少しくらいゆっくりされては? そう……この際、少し王都を離れてご領地の方でのんびりなさるのは如何でしょう?」
「これから花の季節ですものね。お祭りもありますし、賑やかで楽しめそうですし…… 気分転換にはもってこいですわね。いかがですか、お嬢様?」
「ええ、春の花祭りは華やかで、私も心惹かれるものがあるけれど……。でも、行かなくては。ずっとお待たせしているのですもの」
――決意を込めて、きっぱりとそういった。




