056 淫獣の真史
「先文明の終わりの話はエタニア大陸でも知られてる?」
話の前に、スカーレットに確認した。
「それくらいは妾らも知っておる。先文明といっても複数の国家が乱立しておったようじゃの。その国家間で大きな争いが起こり、100億を数えた人口もあっという間に5億を切り、そのまま衰退の一途を辿った、と聞いておる」
「うん、ウェリス大陸の遺跡で見つかる史料でも、大雑把にそんな感じ。ボクの話は、それが前提というか、その続きになるんだけど……」
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先文明の末期に起きた、世界を巻き込んだ大戦は、世界の人口の95%以上を塵にすることで辛うじて終結した。しかし、戦争が終わっても人類は滅亡の危機にあった。何しろ人口がいきなり9割減となったのだから。
人々は、大戦の被害の比較的少ないウェリス大陸に集まり寄り添い、懸命に生きた。それでも人口は減り続けた。
人口減少の対策として立ち上がったのが、女の妊娠を強く促す男を人工的に産み出す計画だ。遺伝子工学の粋を結集して造られた男──それは人間とは呼べない、水生爬虫類とも両生類とも見える、巨大な生物だった。
十数体産まれたその生物──淫獣──は、破棄されることなく女との交配が試された。女たちは孕んだものの、産まれ落ちたものは人間ではなく、緑色の卵のようなもの。
数十個の卵から孵ったのは、人間の女と、腰から触手を生やした女と、淫獣だった。男が孵ることはなかった。
女だけ増えても、男も増えなければ人口は減少するばかり。しかし、一度淫獣と性交した女は、男との性交で感じないばかりか、妊娠もできなくなった。淫獣とであれば、子を成すことも可能なのだが。
さらに、男と見れば見境なしに命を取りに行く淫獣の習性も判り、淫獣はすべて殺処分、別の方法へ舵を切ることになった。
しかし、その判断は遅かった。
淫獣の処遇についての話し合いが持たれた頃、淫獣と交わって妊娠中の女たちの数人がそれに気付いた。彼女たちは、研究施設からの脱走を計画し、それを実行した。世界大戦から人口は減少の一途を辿っていたため、監視体制も不十分だったことが、脱走者たちに幸いした。
脱走者たちは、世界大戦で陸地がズタズタになっているエタニア大陸へと渡った。完全な無人状態ではないものの、人口はウェリス大陸に集中していたので、身重の身を隠すならそちらがいいと考えたのだろう。
人口減少対策は舵を別方向へと取ることになった。脱走者の捜索と捕獲も進められたが、遅々として進まなかった。
その内、エタニア大陸で淫獣が確認されるようになった。脱走者の一部はウェリス大陸に留まっていたらしく、それともエタニア大陸から渡って来たのか、ウェリス大陸でも淫獣が確認され、女が襲われる事件も発生した。
淫獣の被害対策が、人口減少の対策よりも急務となった。しかし、淫獣は固くそれでいて弾力のある分厚い皮膚に覆われ、打撃も斬撃もレーザーすらも通さない。
そこで考えられた方法が、またもや遺伝子工学を使うことだった。触手を発現させる遺伝子を抑制する因子を、人間のDNAに組み込むことで、淫獣と交尾しても淫獣や触手の生えた女が産まれないように、計画した。
その因子を埋め込んだ女を淫獣と交配させたものの、上手くはいかなかった。彼らは少しずつ条件を変えて因子を作り直し、何世代もかけて試していった。
その成果か、あるいは偶然の為せる業か、淫獣に対して効果のある因子が発現した。男の中に。
淫獣と交わった女はその男と性交することで、男相手に感じられるようになり、かつ妊娠できるように回復した。
さらにその後、回復した女は淫獣との性交で孕むことはあっても、卵が十分に育つ前に流産する、すなわち淫獣や触手持ちの女を産めなくなった。
当初計画の通りとはいかなかったが、淫獣の発生を抑止することはできた。
ただ、淫獣に対抗できるその因子は、遺伝しなかった。正確には、その因子を持った男は、女との間に子を成せなかった。
淫獣を抑制する因子の発現の解明が進められたが、その頃には人口はさらに減り、それに伴って研究者も減少の一途を辿り、研究は先細りとなっていった。
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「それは、其方と性交しても御子は産まれないばかりか、牝はさらに減少すると、そういうことか?」
ボクの話を聞いたスカーレットは、茫然とした表情を浮かべた。
「史料の解釈が正しければ、そういうことになるね。解釈が間違っている可能性もなくはないけど、昔から研究している考古学者が解読してるから、大きく間違ってはいないと思う。それと、確認したいんだけど」
「なんじゃ」
「ボクがエタニア大陸で交わった牝の人が何人かいたよね。あの人たちはその後、妊娠した?」
「いや。まだじゃ。しかし、あれからまだ一年そこそこだからの」
「まあね。でもその人たち、今後は妊娠しても、仔を産めなくなっている可能性がある」
多分、ボクの聖人としての力はエタニア人の牝に対しても効力を発揮すると思う。
考え込むスカーレットに、ボクはさらに言葉を繋げた。
「それから、見せてもらった女と淫獣……牡の生活区画だけど、あそこの女、牡と女のほかに、牝も産んでいるんじゃないの?」
エタニア大陸では、ウェリス大陸から攫った女を淫獣と生活させているけれど、史料の解釈が正しければ牝も産まれているはずだ。
「……確かに、その通りじゃ」
スカーレットは、しばらくグラスを凝視したまま固まった。ボクは、グラスの中身で喉を癒しながら、彼女が再起動するのを待った。
それにしても、スカーレットとエタニア人は、どうして雌雄が逆転しているという考えから逃れられなかったのだろう? 女と淫獣の間に牝が産まれているなら、雌雄逆転はおかしいと気付きそうなものだけれど。
御子の口伝を信じるあまり、目が曇ってしまったのだろうか。そうとでも思わないと、理由が解らない。
しばらくして、スカーレットは壁の鏡を見つめ、手を軽く振った。それがマイクを入れる合図だったらしく、続けて口を開く。
「すまぬが、セリエスとの性交は一旦中断じゃ。妾らだけで話し合った後、改めて時間を取る。それまで、ウェリス人の使者は丁重に持て成すのじゃ」
ボクの話は、スカーレットの行動を改めさせることはできたようだ。けれど、彼女は完全には諦めたわけではないらしい。ボクとしては、すでに覚悟を決めているから、後はスカーレットの覚悟を待つだけだ。
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スカーレットに事実を離したことは、使節団から苦言を呈された。計画では、このことは秘密にしたまま、シレっとセックスしてしまって聖女の妊娠能力を奪ってしまおう、ということになっていたからね。
でも、ボクとしてはセックスするにしろしないにしろ、騙し討ちのようなことは避けたかったので、スカーレットに知っていることを話した。ボクの我儘だ。
それに、これを話したところで、結果はそう変わらないんじゃないかと思う。エタニア人の滅亡が、数世代違うくらい?
聖人の持つ因子で淫獣や牝が産まれなくなるといっても、ボクがすべての女および牝とセックスするのは現実的ではない。ってか、いくらボクでも無理。さすがに死んじゃうよ。さりとて、数十人、数百人とヤった程度では、大きな違いが出るとも思えない。
ただ、一部の学者たちは、聖人の力は伝染すると考えているんだよね。つまり、ボクと交わった女や牝は聖人の因子を持つようになり(ここまでは史料の解読結果の通り)、その因子を持った女や牝と性交すると、男や淫獣にも転移するのではないか、と。
ボクは、それはないんじゃないかな、と思うんだけど(男は精液を女に流し込むけれど、逆はないし)、性病なんかは女から男にも伝染ることを考えると、なんとも言えない。聖人の因子は、病原菌とは違うと思うんだけどな。
それに、聖人の産まれた理由は判明したけれど、聖女はどのように産まれたのかは判らないんだよね。これからはエタニア大陸の遺跡の発掘も積極的に行うことになるから、それで判明するかも知れない。
それはそれとして、聖人因子の伝染を主張する学者は、聖女は女──牝──に聖人因子が現れた個体ではないかと考えているらしい。聖人の因子は複数の遺伝子の組み合わせで発生する潜性遺伝子のようなものだから、女に発現するとああなるのではないか、ということらしい。
これにもボクは懐古的だ。だって、聖人の因子は触手の排除を目的に研究したわけだから、触手が増えている聖女がその因子を持っているのはおかしいんじゃなかろうか。事実は闇の中なんだけど。
判らないことはそんな風にまだまだあるわけだけど、それは置いといて、使節団はボクに、これ以上は勝手な行動をしないように厳重注意してから、今後の対策のために打ち合わせを始めた。エタニア人がどんな提案をしてくるか予想し、それにどう対応するのか決めるらしい。
エタニア人たちからの連絡はなく、ボクたちは食事を供され、寝室も与えられた。スカーレットの言った通り、丁重にもてなしてくれるらしい。
一応は敵地なので完全に寛ぐわけにはいかないけれど、少しはゆっくりできるかな。




