028 ダリアン:急転直下
1ヶ月半振りくらいにハイダ様から連絡をもらったボクは、心の底から安堵した。ずっと、生きた心地もしなかったから。それも仕方がない。2ヶ月近く前にセリエスが誘拐され、ハイダ様が捜索と救出に向かって以来、音信不通だったんだもん。
ハイダ様の話では、セリエスも無事に救出できたって。今は軍本部にいるけれど、明日か明後日には2人とも帰れるみたい。良かった、本当に良かった、ハイダ様もセリエスも無事で。
勤務先のヌイグルミ工房でハイダ様からの連絡を受けた僕は、飛び跳ねて喜び、職場のみんなに怪訝な目で見られちゃった。セリエスの誘拐の件は秘密にするよう言われているので、『長期出張に行っていた主姐から帰って来ると連絡があった』と誤魔化した。誤魔化すも何も、本当のことだけどね。詳細を言っていないだけで。
工房長が『それなら仕事はもう上がっていいよ』と言ってくれたけど、家に着くのは今日じゃないから、と辞退しつつ、代わりと言うわけじゃないけど明後日を休みにしてもらった。ハイダ様とセリエスの帰宅が明後日になるかも知れないからね。
勤務時間が終わって家に帰ってから、僕はアルクスとベルントと一緒に、改めて喜びを分かち合った。最近は四つん這いで床を這い回るようになったエイトも、ボクたちの喜びを感じているのか普段以上に機嫌が良さそうに見える。産みの親が帰って来ることが解っているのかな。
ハイダ様のいない今、夜はそれぞれの部屋で就寝する。エイトは今夜はベルントと一緒。
エイトは赤ん坊らしく夜泣きすることもあるけれど、それほど酷くはない。夜中に一度目覚めて泣き出しても、もう一度眠りにつけばそのまま朝まで眠っている。それでも、毎晩起こされると寝不足が祟るので、夜は三人交代で面倒をみることにしている。
ハイダ様とセリエスが帰って来たら、ようやく元の生活に戻る。広いベッドでみんなで絡み合うような交わり、本当に久し振りだな。今日はまだヤれないけど。
あ。なんだか下半身が疼いて来た。ハイダ様がセリエスの救出に出てからと言うもの、時々下半身が寂しくなるものの、我慢せずとも耐えられる程度でしかなかった。ハイダ様とセリエスのことが心配で、それどころじゃなかったから。
でも、2人の無事が確認できた今、これまで鳴りを潜めていた性欲が、一気に戻って来た感じ。明日か明後日にはハイダ様とヤれるけど、ちょっと自分で処理しちゃおう。
僕はベッドに裸で寝転がり、愛しいハイダ様の姿を妄想しながら、1人で抜いた。
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翌日の昼過ぎになって、今度はセリエスから連絡が来た。アルクス、ベルント、僕の3人に同時通話で。せっかくみんな家にいるのだからとリビングルームに行ったら、アルクスとベルントも同じことを考えていたようで、わざわざ呼ばなくても集まる形になった。
アルクスがセルフブレスの映像を、リビングルームの大型モニターに転送する。セリエスの顔が大写しになった。
久し振りに見る画面越しのセリエスは、元気そうだった。良かった、誘拐された先で拷問されていたりしたら、とか色々心配していたから。仲間の無事な姿を見て、昨日のハイダ様との通信の時には流さなかった涙が零れちゃったよ。恥ずかしいな。でも本当、何事もなさそうで良かった。
ハイダ様から聞いた通り、今夜か明日には帰れそうだとセリエスは言って、通話を終えた。帰宅するまでの予定は何も言わなかったけれど、聖人だから色々とあるんだろうな。これが一般人だったら、まずは家族の元に帰してくれるよね。
けれど、セルフブレスで連絡可能な距離には、ハイダ様もセリエスも帰って来たんだ。今夜、もしくは明日は、お祝いだね。
……その時は呑気にそう思っていたんだけど、その日のうちに事態は急変した。
夜、この時間になっても音沙汰がないところからすると、今日は2人とも帰って来られそうにないかな、と思いつつ、夕食を摂った後の時間をみんなリビングルームで寛いでいたら、ハイダ様からの通信が僕たち3人のセルフブレスに同時に入った。
『ダリアンかっ。アルクスとベルントとエイトもいるかっ』
僕が最初に受信するなり、ハイダ様が言った。ちょっと焦っているよう。アルクスとベルントは、受信の手間を省いて僕の隣に来た。
「みんないます。どうしたんですか?」
よく見れば、ハイダ様は頭にヘッドセットを装着して、服もコネクトスーツを着ているみたい。首から上しか見えないけど。コネクトスーツを着ているということは、これから出撃なんだろうか。セリエス救出から帰って来たばかりなのに。
『3人ともよく聞け。みんな、非常時用避難袋を持って、すぐに家を出ろ。ヴィークルで他の都市、ソウトかエスタに向かえ。大至急だ』
「何があったんです?」
アルクスが聞いた。彼の腕に抱かれたエイトは大人しく彼にしがみついているけど、僕たちの様子に緊張しているみたい。
『すぐに政府からも通達されるだろうが、淫獣の大群が迫っている。私たちも迎撃に出るが、数が尋常ではない。念のため、お前たちはソーセスを離れていろ』
淫獣が? それも、避難しなければならないほどの大群?
淫獣は、これまでにも何度となく、エタニア大陸からセレスタ地峡を通って、ここウェリス大陸にやって来た。そのほとんどは城砦小都市フロンテスの東に敷かれた淫獣警戒ラインに引っかかって、フロンテスからこちらへはあまり来ない、と聞いている。
その防衛線を掻い潜って来る淫獣も決して少なくないけれど、それはハイダ様たちエクスペルアーマーを駆るレディーウォーリアーが駆除してくれる。だから、郊外とはいえ都市に住む僕たちは、淫獣を見たことは一度もない。セリエスは仕事の関係で淫獣の死骸なら見たことがあるらしいけど、僕やアルクス、ベルントはそれすらない。フロンテス近隣の村や街に住んでいたら、淫獣に遭遇する可能性もあるらしいけれど。
都市に住む市民にとって、耳にすることはあるけれど目にすることはまずない、それが淫獣という生き物だ。
それなのに、都市から離れることを覚悟しなければいけないなんて、いったいどれほどの大群で現れたと言うのだろう。
「ハイダ様は? それとセリエスは?」
ベルントが聞いた。僕たちだけがソーセスから避難してしまったら、ハイダ様とセリエスとの再会が、また伸びてしまう。
『淫獣を押し戻せなかったら、私たちも避難する。セリエスも一緒だ。心配するな、私はお前たちの主姐で、お前たちは私の従仕だ。必ずお前たちの元へ戻るさ』
ハイダ様は明るい声で答えた。けれど、焦りを押し隠しているように見える。最初はまさに、焦った風な口調だったし。
ハイダ様が僕たちに避難を促すほどに危機的状況ってどんなだろう。レディーウォーリアーがエクスペルアーマーに乗れば、淫獣2~3匹は相手にできるらしい。レディーウォーリアーの練度にも寄るし、3匹相手にできるのはかなりの手練れらしいけど。
エクスペルアーマーの数は、フロンテスに駐留している部隊や各地の村に配置されている部隊も含めて、200騎くらいだったかな?
ということは、600匹以上の淫獣がやって来るんだろうか。今までが数匹だったことと比較すると、確かに危機的状況かも知れない。
「それは……いや、判りました。すぐに荷物をまとめて、家を出ます。ハイダ様とセリエスも、お気をつけて」
アルクスが何かを言いかけたけど、途中で言い直した。
『頼む。再会が伸びてすまんな。忙しいので、これでな』
「ハイダ様っ」通信が切れる前に、と僕は叫んだ。「お帰りをお待ちしていますっ」
ハイダ様はサムズアップして、通信を切った。
淫獣の大群。いったいこれから、どうなるんだろう。
「ダリアン、ぼうっとしていないで、避難の準備だ。急ぐぞ。ベルントも」
アルクスが言った。
「アルクス、本当に出て行くのか? ハイダ様はああ言ったが、ここで待った方が良くないか?」
ベルントが考え深げに言った。
「いや、従仕として主姐の命には従うべきだ。主姐の命令が絶対ってわけじゃないが、今のハイダ様の言葉はおかしい内容ではない。
それともう一つ、ハイダ様が焦るほどの事態だ。ならば、俺たちはここに留まるべきじゃない。所詮、俺たちは男、女の足手纏いにしかなれないからな。ならば、邪魔にならないように、邪魔にならない場所まで離れるべきだ」
アルクスが強い口調で言うと、ベルントも頷いた。
「解った、納得した。そうとなれば、出来るだけ早く出よう。非常袋だけじゃなく、食べ物や毛布もあった方がいいな」
「ああ。あまり多くすると時間が無駄になるから、ほどほどにな。すぐに用意するぞ。ダリアンは、ヴィークルを玄関の前に着けておいてくれ」
「はいっ」
僕は大急ぎで玄関に走った。自分の着替えも少しは持った方が良さそうだけど、ヴィークルを移動させてからでいいよね。
起きていることの正確な情報が判らないけど、ハイダ様とセリエスとの再会を目前にして、僕たちは住み慣れた家から避難する羽目になった。




