024 言い寄る聖女
最初に感じたのは、唇に触れる柔らかい物だった。いや、感じていることをはっきりと認識しているわけではない。朦朧とした意識の中で唇に押し付けられる柔らかい物。いったい何だろう?
そんなことを考えたのかどうかすら判らないけれど、突然胸から込み上がってくるものが。
「っうっげほっ、ごほっ」
ボクは身体を折って咳き込んだ。目に涙が滲んでくる。
「セリエスっ。良かった、大丈夫ですか?」
ボクを呼ぶ声に薄っすらと目を開けてる。そういえば、名前を呼ばれるのも久し振りな気がする。
「……モレノさん?」
ここしばらく顔を見なかった、ボクを誘拐した実行犯の心配そうな表情が見えた。
「ここは……どうしたんでした?」
「そのまま、寝ていてください」
起き上がろうとしたら、モレノさんに制された。
彼女がボクの脈を取っている間に周りを見ると、今夜1番目にセックスした女が警備の女兵士2人に床に押さえつけられている。そしてマローネさんと2番目にセックスした女がモレノさんの後ろから心配そうにボクを見ている。
「除細動器、持って来ましたっ」
誰かが部屋に飛び込むように入って来た。
「ありがとう。どうにか人工呼吸で持ち直しました。後で必要になるかも知れないので、置いておいて下さい。……セリエス、失礼します」
モレノさんは入って来た女に言ってから、ボクを抱き上げてベッドに寝かせた。さっきまで、床に寝かされていたことに、今気付いた。そして全裸なことも。
「申し訳ありませんっ。反聖女派の者が紛れていたことに気付かず、御身を危険に晒してしまいましたっ」
マローネさんともう1人の寝た女が、ベッドの横で深々と頭を下げる。
……あ、そっか、ボク、首を絞められたんだっけ。意識を失う前の記憶が戻って来た。ボクは顔を横に向ける。
ボクを暗殺し損ねた女が、立たされるところだった。まだ部屋にいるってことは、そんなに時間は経っていないんだろう。その女は、全裸のままどこかに連れて行かれた。
「本当に申し訳もありません。相手は厳選したのですが、巧妙に隠していたようで、セリエスを危険な目に合わせてしまいました」
今度はモレノさんが謝罪する。そうは言っても、誘拐組織の人に謝られたところで、どう対応すればいいんだか。ボクは寝たまま、曖昧に頷くだけに留めた。
ところで『反聖女派』って何だろう? “何”というか、言葉の通り、聖女の方針に反対する人々の集まり、ってところだろうな。
聖女の方針に反対と言っても、色々なパターンが考えられるけれど。
ウェリス人と交わることに忌避感があるとか。
滅ぶなら自然に任せるべきという思想とか。
もっと積極的に交渉すべきとか。
逆に今のやり方は生温いとか。
どれが正解かは判らない、いや、もしかすると複数派閥があって全部が正解かも知れないけれど、今のボクには関係ないかな。返って好都合かも。上手くすれば、ボクの脱出に手を貸してくれるかも知れない。……いや、それは無理か。おそらく聖女の計画を阻むためだけにボクを亡き者にしようとしたのだから、助けを求めたところでナイフを突き出されるだけだろう。
むしろ、脱出した時に気を付けることが増えるだけか。女になら見つかっても連れ戻されるだけ、と考えていたのに、問答無用で命を取りに来られるかも知れないんだから。
それからボクは医務室に連れて行かれ、精密検査を受けさせられた。幸い、異常は無かったみたい。すぐに意識を取り戻したんだから大丈夫だとは思っていた。
それでも、医務室に一晩泊まることになり、その間にルージュが来てまた謝られた。もういいよ、って感じ。
医務室にいる間は、モレノさんがボクについていた。ソーセスで医師の資格も取っていて、ウェリス人の身体にも詳しいから、と言うことらしい。
「モレノさん、聞いていいですか?」
せっかくの機会なので、ボクはずっと気になっていることを聞いてみることにした。
「はい、何でしょう?」
「モレノさんもエタニア人、なんですよね?」
「ええ、そうですよ」
「えっと、その、どうして尻尾がないんですか?」
そう。エタニア人の女には触手のような尻尾が生えている。けれど、モレノさんにそれがない。だからこそ、ソーセスで変に思われることなく生活していたわけだし。
「それは……ウェリス大陸への潜入の任務に志願した時に、切断しました」
「……ぇ」
尻尾を、切った? 自由に動かしたり伸ばしたりできるんだから、神経も通っているよね? それを切断してまでもやり遂げる必要のある任務だったのだろうか? いや、そうなんだろうけど。種族の未来がかかっているのだから。
「……えっと、モレノさんみたいな人、他にもいるの?」
重苦しい空気を振り払うように、ボクは聞いた。
「すみません、それは教えられません」
だよね。でも、それが答えになっている気もする。
もう少し話を聞き出したかったけれど、早く寝るように言われて部屋を暗くされた。殺されかけた直後の割に、ボクはすぐに睡魔の棲家へと誘われた。
モレノさんや兵士が、ボクが襲われたことに気付いたのは、監視カメラのお陰だった。別室で監視を担当していた人が部屋の入口を守っている兵士に連絡して、飛び込んで来たらしい。最初はプレイの一環かと思って、その連絡が遅れたそうだけれど。それにはちょっと文句を言いたいけれど、無事に生きているんだから、まあいいか。
翌日には、ボクは医務室から元の部屋に戻された。夜伽もなくなった。しばらくしたら復活するんだろうけれど。
数日後にはスカーレットがボクの部屋を訪れ、暗殺未遂の謝罪をした。前に聞いた『反聖女派』が、スカーレットの考え──ウェリス人とエタニア人の雌雄の交換──に反対し、その計画を邪魔するためにボクを亡き者にしようとしたらしい。
警備の強化と接する人のチェックを厳しくすることを約束してくれたけれど、それをするくらいならボクをウェリス大陸に帰してくれないかな。
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セリエスの捜索に出て、もう1ヶ月近くが経つ。セリエスは未だ見つからないが、方向は間違ってはいない、という予感がある。
ドローンが捉えた小屋の手前にはモレノのヴィークルが乗り捨てられ、彼女のセルフブレスも捨てられていた。小屋は無人で、ベッドなどの家具はあるものの、長い間使われた形跡はなかった。唯一、通信機が稼働状態であり、小型のドローンが台に着地すると、それから受け取った情報を自動送信するらしかった。
小屋の屋根に立てられたアンテナは、南南西を指向していたため、私たちは特殊ヴィークルをその方向へと向けた。
三交代で睡眠をとりながら、24時間体制で捜索を続けた。今までに見たことのない数の淫獣を見た。ヴィークルに貼った淫獣の皮で誤魔化せるとは言え、接触すればその限りではないだろう。なるべく距離を取りつつ、ゆっくりと、水上を、そして地上を進んだ。
先に進むと、時々、建造物の集まった集落らしき場所があった。実際そこは、集落、村、街といった生活の場だった。エタニア大陸に人間が存在した事実を初めて確認するとともに、セリエスに近付いていることを直感した。この先に、セリエスは、いる。
村や街を見つけると、暗くなるのを待ってから近付き、セリエスの影がないか調べた。しかし今のところ、見つかってはいない。エタニア大陸に住んでいる人間は尻から尻尾を生やしていることが判り、ある程度近付いて熱源センサーで探れば、セリエスがいないことはヴィークルから下りることなく確認できた。
セリエスを見つけられずに進むこと約1ヶ月、今までと違う建造物を発見した。いや、建造物自体は途中で何度か見た、木造の小屋とそう変わらない。しかしそこにいる人間は銃で武装し、夜になっても全員が休むことはなかった。
センサーの反応からセリエスの姿は確認できないが、すぐ近くまで来ていることを感じる。
待っていろ、セリエス。もうすぐ助け出してやる。
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暗殺未遂事件の後、しばらくは休みだった女たちとのまぐわいも、復活している。
以前と違うのは、複数人まとめてということはなく1人ずつということと、マローネさんと兵士2人、計3人に見られながらヤるようになったこと。
確かに、彼女たちにはボクを害する意図はないらしい。誘拐それ自体がボクにとって有害だったということを除けば。
誘拐され、ここに連れて来られてから1ヶ月が過ぎた。相変わらず脱出の目処は立たない。脱出した後の行動指針を立てられないのも問題だよね。非力な男1人で、エタニア大陸の奥地からセレスタ地峡まで移動するだけでも大変なんだから。
そんなある日の夜、部屋に来たのはスカーレットだった。車椅子を使わず、自分の足で歩いている。お付きの2人も伴っているのは以前と同じだ。兵士は入って来なかったし、マローネも、スカーレットを迎え入れると退室した。これは……。
「ここの暮らしはどうかの」
テーブルを挟んで向かい側に座った彼女は、すぐには本題に入らなかった。
「生活だけなら不便はありませんけど、端末も紙もないのが不満です。それと、部屋に窓がないのも」
外には時々、連れ出してもらえるけれど。
「すまんの。其方が脱走を諦めてくれれば、情報も無制限に開示できるのじゃが。窓については其方の逃走防止もあるが、身を守る目的もあるのでの。我慢してくれ」
そうだよね。逃げようとしているのはバレバレだよね。この部屋の天井に監視カメラがあるし。
「今日、妾が来たのはの、以前の依頼を果たしてもらおうと思っての」
「依頼って……ボクは了承していませんけど」
「悪いが、其方に拒否権はないのじゃ」
それは依頼じゃなくて、強制と言うんじゃ。
スカーレットは椅子から立ち上がると、テーブルを回ってボクの前に来た。まだ手を伸ばしても触れない距離なのに、椅子の上で身体を仰け反らせてしまう。
スカーレットは身に付けた服を自ら剥ぎ取り、あっと言う間に全裸をボクに晒した。
「どうかの? 妾は美しいかの?」
聖女が淫らな笑みを浮かべる。
「美しい、です」
それ以外に答えようがないほどに美しい。
スタイルはいいし、赤い髪は輝くようだし、褐色の肌には染み1つない。これを美しいと言わずして、どんな女が美しいと言うのか。
「どうじゃ? 妾とヤってみたくなったかの?」
「えーっと、スカーレットは綺麗だけど、ボクが心からヤりたいのはボクの主姐だけですから」
「振られてしまったの。まあ良い。合意がなくとも、子種をもらえればそれで、の」
彼女の触手が左右から出てきてボクを向く。と思ったら、2本の触手が一瞬で伸びて、ボクの両手に巻き付いた。
「あっ」
ボクは強制的に立たされた。スカーレットは椅子から足を下ろし、ボクとの距離を縮める。
何かヤバい。そんな気がする。今までエタニア人と何度もセックスしてきたのに、それとは違う感じ。
けれど、そんな思いを余所に、スカーレットは近付いてくる。このままでは、喰べられてしまう……。
==登場人物==
■モレノ
軍参謀長の次席秘書官を務める才女。医師と看護士の資格も持つ。身長約170cm。銀色のショートヘアだが、それは染められた色で、本来は赤茶色。また、肌も顔と手を化粧で白く見せていたが、本来は薄褐色。
聖人能力調査特別部隊の秘書官として、参謀長秘書室から異動。特別部隊が解散した後、新たに創設された聖人能力調査室に所属する。
聖人誘拐の実行犯。実はウェリス人ではなく、エタニア人。聖女の計画を推進するため、ウェリス大陸の都市ソーセスに潜入していた。エタニア人牝の特徴である触手状の尻尾は、ウェリス大陸に潜入する時に切断している。




