共に生きる
仲間たちがそれぞれの居場所に戻っていき、数ヶ月が経った。窓辺に座っていたオルガは、レースを編んでいた手を休め窓の外を見た。
もうすぐ新しい年を迎えるクレイアイスの街並みは、深々と降る雪化粧に美しく装飾されていた。
サイドチェストに編みかけのレースを置くと、オルガはゆっくりと立ち上がった。最近は、すっかり動くことが大変になってしまったと苦笑いを浮かべる。
オルガのお腹は、ゆったりとしたシルエットのドレスでも隠すのが困難なくらい目立ち始めていた。
「今日は冷えますね」
穏やかな声で話しかけたのは、眠り続けるエミリアンへだ。安らかな顔で眠るエミリアンに、目覚めの気配はない。アデライドがクレイアイス王城に篭り、色々と研究をしてくれていた。それでもいい知らせは届いてはいない。
「先日、ファブリスさんからお手紙がきたんです。今はヴィラエストーリアで、坩堝から溢れた魔物の残党を狩っているんですって」
巧みに人の目を掻い潜った魔物の討伐は、まだ続いていた。土地の浄化も行わなければならず、向こう何年かはファブリスも忙しいようだった。
「アデライドさんは、よく顔を見せてくれますし。あぁ、そうそう。セバスチャンは、アンジェリーヌ様がたいそう気に入って、今はヴィレスの王城で優雅な暮らしですって」
誰かが寝物語で聞かせてしまったらしい。心優しいグレイウルフは、孤独な姫女王の心を癒すという大役を務めているらしい。オルガは微笑み、自身の腹を優しく撫でる。
「ヴァレリーとルーさんは……」
オルガが言いかけ、エミリアンの顔に釘付けになる。見間違いであったかと、何度も瞬きをすると、エミリアンの睫毛が震えた。
「エミリアン様……?」
恐る恐る声を掛ける。震える手でエミリアンの頬に触れると、エミリアンの双眸がゆっくりと開かれた。
寝ぼけ眼でオルガを見つめ微笑んだエミリアンに、オルガも笑みを返そうとした。自然と溢れる涙に、うまくいかないもどかしさを感じながら。オルガは何度もエミリアンの名を呼んだ。
「……?」
不思議そうな顔でオルガを見上げるエミリアンに、オルガは涙を拭いながら微笑んだ。
「ずっと、会いたかった」
輝くような笑顔に、エミリアンの瞳が見開かれる。声を出そうと開かれた唇を、オルガが塞いだ。
「はしたない女だと、笑ってください」
唇を離したオルガが、はにかんだように笑う。エミリアンは目を細めると、微笑んだ。
「僕も、会いたかったから」
手を取り合い見つめ合う2人を祝福するように、重い雲の間から日の光が射し込んだ。芽吹いた新しい命を、慈しむように。
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レイダリアの王都ガレイアは、今日も賑わっていた。
エドワールを失った民たちの悲しみも癒え始め、元の活気を取り戻しつつある。世界は少しずつ進んでいく。
オルガからの書状がレイダリア王室へ届き、教会が伝えていた女神キルギスの神話や災禍の魔女についての記述も徐々に見直され始めていた。
最早、レイダリアに女神の加護はない。だからこそ、いつか女神キルギスが目覚めることがあれば。人々が歪んだ信仰を残さないように、というオルガの願いだった。
「やっぱり、ここに来ると戻ってきたなって思うかな」
呟いたのはヴァレリーだ。冒険者ギルドで依頼の報告と用意を済ませ、今は街外れに来ていた。今ではヴァレリーも、立派な冒険者だった。
「実家に顔は出さないつもりなのか?」
青年が気遣うように声をかける。ヴァレリーは微笑むと、首を横に振った。
「お母さん、今帰ったらしばらく家から出してくれない気がする」
全てが終わり、ヴァレリーの身に起こった変化については両親に説明してあった。そう簡単に受け入れられない事実に、今はお互い時間が必要だった。
「それより、次はどこに行こう」
ヴァレリーが明るい調子で言う。
「そうだな……西にある大陸には、機械仕掛けを扱う国がある。珍しいものが多いから、ヴァレリーも楽しいかもしれない」
「時計とか、そういうの?」
「もっと複雑で大掛かりなものだ。魔力の乏しいものにも簡単に扱える、蒸気を利用した道具や乗り物を造っているらしい」
青年の話に、ヴァレリーが瞳を輝かせる。
「すごい! 行ってみようよ」
ヴァレリーが弾むように言うと、青年が微笑んだ。
「戻ったら、ピィにも会いに行こう。オルガたちにも」
「そうね。戻って来る頃には、エミリアン様も目を覚ましているといいんだけど」
「どうかな」
「そこは同意してよ」
ヴァレリーが頬を膨らませると、青年が笑った。
「変な顔になっているぞ」
「変って……酷いなあ、もう」
ヴァレリーが拗ねたようにそっぽを向くので、青年が頬に口付けた。
「ちょ……見られてる!」
ヴァレリーが赤くなって抗議するのがおかしいのか、青年が更に笑った。ヴァレリーは顔をしかめると、いじけたように歩き出した。
「ルーさんなんて知らない。もう……」
「悪かった」
後を追いながら青年が謝罪すると、ヴァレリーがくるりと振り向く。慌てて青年が立ち止まると、ヴァレリーが悪戯っぽく笑った。
「私、いつか絶対にルーさんを照れさせてみせる」
妙な宣戦布告に、青年が思わず吹き出した。
「なんだそれ」
「そうやってすぐに笑う!」
怒るヴァレリーをよそに、青年は安堵していた。同時に、共に生きたいと願ってくれたヴァレリーを大切に思う。それが「愛」なのだと、青年はやっと悟る。
「愛してる、ヴァレリー」
飾り気のない、真っ直ぐな言葉だった。思わず惚けたような表情になったヴァレリーが、青年の胸に飛び込んだ。
「私も!」
孤独な竜と人間の少女が紡いだ物語が、こうして花開く。
互いを離さぬように手を取り合い、2人は歩き出す。いつ終わるとも知れぬ旅だとしても。そこに互いがいればこそ、幸せなのだと知っていたから。
白い街道が、まるで2人の行く末を照らすように、日の光に燦然と輝いていた。
ここまでお付き合い頂いた皆様、ありがとうございました。
vivre−黒い翼−は、これにて閉幕となります。
読んでいただいた皆様に感謝を申し上げ、短い挨拶とさせて頂きます。
この後番外編も予定しておりますが、別枠でシリーズ管理をして掲載していきたいと思います。




